廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ジョー・ゴードンに見出されたアルト

2024年03月17日 | Jazz LP (Contemporary)

Jimmy Woods / Awakening  ( 米 Contemporary Records M 3605 )


ジョー・ゴードンは最後のリーダー作にジミー・ウッズというアルト奏者を呼んだが、おそらくはこの時の演奏が注目されたのだろう、2か月後に
ほぼ同一のメンバーによる録音と別のメンバーによる録音が行われて1枚のアルバムが制作された。これがウッズの初リーダー作になる。
ジョー・ゴードンとの演奏は今度はジミー・ウッズ側から見た音楽という切り口になっていて、ジョー・ゴードンはサポートに回っている。

こちらもゴードンに倣ったかのようにウッズ自作のオリジナルが大半を占めており、意欲的な内容で聴き応えがある。楽曲はゴードンと同様に
ハード・バップからは脱した新しい感覚の音楽になっているが、ウッズ自身のアルトが同時期に出てきたドルフィーに少し似た演奏をしており、
ゴードンのアルバムよりも半歩先を行くような印象を覚える。

61年のゴードン他との録音では曲数が足りなかったのか翌年にワンホーンで追加録音をしており、ゲイリー・ピーコックが参加している。
こちらの演奏は先の録音のものとは少し雰囲気が違っており、しっとりとした抒情的な表情を見せている。そのせいでアルバムとしての統一感には
やや欠けるけど、こちらの演奏も見事な出来である。これだけで1枚作ってもらいたかった。

ジミー・ウッズもこの後もう1枚のリーダー作を作って、その後は途絶えてしまっている。レコード・デビューが遅かったのがまずかったのだろう、
60年代も半ばになるとこういう従来の主流的ジャズは急速に市場から締め出されるようになる。ちょうどその時期だった。どんなに優れた音楽が
出来ても、それは時代のニーズには合わないと見做されてレコードが作られることはなくなっていった。彼のこの後の足跡はよくわからない。
だからこうして辛うじて残されたレコードをコツコツと聴くしかないのだ。



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あるトランペッターの進化(3)

2024年03月13日 | Jazz LP (Contemporary)

Joe Gordon / Lookin' Good  ( 米 Contemporary Records M 3597 )


ジョー・ゴードンはシェリー・マンのバンドを経て1961年に2枚目のリーダー作を作るが、これが音楽的に見事な進化を遂げた傑作になっている。
西海岸での録音だったのでコンテンポラリーが受け皿になっているが、このレーベルのカラーには馴染まない東海岸的なポスト・ハードバップで、
この音楽的変遷はまるでマイルスのそれを思わせる。ここで聴かれる音楽はまるで現代のメインストリーマーたちがやっているような超モダンな
感覚で、彼のエマーシー録音からの7年間はまるでジャズが辿った70年間に相当するかのような錯覚を覚える。

このアルバムはジャケットにも記載があるようにスタンダードは排した全曲ジョー・ゴードンのオリジナルで、彼がトランペット奏者ではなく
音楽家であることを指向していたことがわかる。単にその時代のジャズを演奏しましたということではなく、自分の中に澱のように溜まっていた
音楽的な想いを自身でメロディー化して演奏したところにその他大勢のアルバムとは一線を画す価値がある。どの曲もわかりやすいメロディーで
構成されていて、この時期に台頭していたニュー・ジャズの影響もまったくない。憂いに満ちた翳りのある楽曲も多数あり素晴らしい出来だ。

相方にはエリック・ドルフィーのエピゴーネンのようなジミー・ウッズを選んでいるところが面白いが、このアルバムは全体の雰囲気がゴードンの
曲想で統一されているので、ウッズの個性もうまくその中で中和されていて適度なアクセントとして機能している。全体の演奏にはキレがあり、
ダレる瞬間もまったくなく、正対してじっくり聴くとそのクォリティーの高さには感銘を受ける。

短い期間の中でこれほど正統的に進化を遂げた人はなかなか珍しいのではないか。真面目に音楽に取り組んだことがきちんと形に残るところが
素晴らしいし、何より音楽が変に捻じれておらず、スジがいいところがよかった。彼の音楽や演奏はこの2か月後の別の録音で途絶えてしまうのが
何とも残念でならない。



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あるトランペッターの進化(2)

2024年03月09日 | Jazz LP (Contemporary)

Shelly Mann & His Men / At The Blck Hawk Vol.1  ( 米 Contemporary Records M 3577 )


ジョー・ゴードンのようなマイナーなアーティストになるとその詳細な足跡はわからないが、どうやら1958年に西海岸へ移ったらしい。
どういう理由で西海岸へ行くことになったのかもよくわからないけど、西海岸には彼のようなブラウニー直系のトランペッターがいなかった
からか、すぐに仕事に就くこともできたようで、亡くなる1963年まで彼の地で活動した。

そして1959年頃からはシェリー・マンのバンドの常設メンバーとして参加するようになり、このバンドのカラーを変えることに成功している。
それまでのシェリー・マンのバンドと言えば退屈な編曲重視のアンサンブルものが多く、各メンバーの実力が活かされることのない駄作を
量産していたが、ジョー・ゴードンが加わってからのこのバンドはまるで別のグループへと変貌を遂げた。非常に洗練されたハード・バップの
一流バンドへと。

その最も理想的な成果がこの4枚のアルバムに収められている。コンテンポラリーからのリリースなので一連のシェリー・マンのレコードの中に
埋もれがちだが、これは西海岸で最も優れたジャズ・グループによるスイートで心奪われる名作である。ライヴにも関わらず、まるでスタジオで
演奏されているかのような端正で抑制の効いた演奏が素晴らしい。

まず何と言っても、リッチー・カミューカのテナーに聴き惚れることになる。この人はその実力の割に作品に恵まれず、一般的に代表作と言われる
モード盤もこの人の本質を捉えているとはとても言えず、この4枚のライヴに比べると退屈極まりない駄盤に思えてくる。それに比べてここでの
ふくよかで濃厚な音色によってこれ以上なくなめらかに旋律が歌われる様は筆舌に尽くしがたい。他のレコードで聴く演奏とはまるで別人のよう。

デビュー盤ではブラウニーの影響下にあるような演奏をしていたゴードンは、ここでは各所でデリケートな演奏を聴かせる。"Summertime" や
"Whisper Not" ではマイルスばりのミュートで魅了するし、アップテンポの曲でも伸びやかなトーンとリズムを外すことのないタイム感で
アドリブフレーズを奏でる。どの局面でも音数が適切でここまで豊かな表情で安定した演奏をするトランペットはちょっと珍しいのではないか。
彼の演奏の雰囲気が著しく好ましい方向へと進化しているのが何とも嬉しい。

通常であれば1枚のアルバムとしてまとめるであろうところを4分冊でリリースしているところからも、レーベル側が演奏を切り落とすところが
ないと判断したことが伺える。現にこの演奏はちょっと、というところがどこにもない。アルバム4枚に分けてリリースするというのは異例の扱い
だが、冗長さを感じることはなく、この演奏であればもっと聴きたいという欲求を満たしてくれる。

東海岸のビ・バップに対抗するために始まった西海岸の白人ジャズが初期の形式から脱出しようとした時期にジョー・ゴードンとの邂逅に恵まれ、
世の中の状況に敏感だったシェリー・マンが彼を軸に新しいバンドを作ったのだろう。ジョー・ゴードンにはそうさせる力があったということ
だったのではないかと思う。













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あるトランペッターの進化

2024年03月02日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Joe Godon / Introducing Joe Gordon  ( 米 Emercy Records MG-36025 )


ジョー・ゴードンは1963年に寝煙草が原因の火事で亡くなっている。リーダー作はこの1954年吹き込みのデビュー作を含めて2枚しかないので
一般的知名度は限りなく低いが、サイドマンとしてはコンスタントに演奏が残っていて、当時は有能な演奏家として評価されていた。
大体がこの "Introducing~" というタイトルで登場する人は将来を嘱望されていたケースが多く、その早すぎる死は惜しまれる。

プロとして活動を始めたのが1947年ということだからまったくの新人というわけではなく、そろそろリーダー作を作ってもいいのでは、という
ことで吹き込まれたのだろう。演奏は堂々としたものであり、ラッパもよく鳴っている。1954年と言えばビ・バップがハード・バップへと移行
しつつあった端境期で、このアルバムも様式としてはハード・バップだが、まだ形式的な成熟は見られず、生まれて間もない不安定さの中を
ビ・バップの荒々しい演奏スタイルで進むという内容で、クリフォード・ブラウンがアート・ブレイキーのバンドにいた時の音楽にそっくりだ。
ここにもブレイキーが参加しているので、まさにアート・ブレイキー・クインテットと言われても何も違和感がない内容だ。

クインシー・ジョーンズが作曲した曲を多く取り上げているのがこのアルバムの特徴で、なぜそういうメニューにしたのかはよくわからないが、
スタンダードをまったく入れずに1枚のアルバムを作るところにこの人の音楽上の信念が伺える。そのおかげで非常に硬派な音楽になっていて、
筋金入りの本当のジャズ好きだけに好まれるようなアルバムになっていると思う。そんな中でもクインシー作の "Bouse Bier" が憂いのある
マイナーキーの佳曲で、素晴らしい出来だ。

ただ、この人はこういう荒々しい演奏だけには留まらなかった。この後、西海岸へ移って活動をするのだが、そこで音楽的な進化を遂げる。
そこがこの人の評価ポイントであり、素晴らしいところだったと思う。今回この人を取り上げたのはそのことを書きたかったからに他ならない。
このアルバムはそのイントロである。



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秋吉敏子の貴重な50年代ライヴ

2024年02月18日 | Jazz LP (Verve)

Toshiko Akiyoshi & Leon Sash / At Newport  ( 米 Verve Records MG V-8236 )


ジョージ・ウェインによって1954年に始められたニューポート・ジャズ・フェスティヴァルは現在も続いているのだから驚かされる。真夏の野外で
催されるというのは我々の凝り固まったジャズというイメージには凡そ合わないが、アメリカはそういう価値観ではないのだろう。当時としては
画期的だったようで、1958年には「真夏の夜のジャズ」として映画化もされる。原題には "Night" という単語はなく、「或る夏の日」というのが
正確な訳になる。

ノーマン・グランツの秘蔵っ子だった秋吉敏子もピアノ・トリオとして出演しており、その様子がこのレコードに収められている。写真で見ると
和装だったようで、真夏の野外なのに何とも気の毒なことだが、映画の中に出てくる観客はあまり暑そうな様子はなく、中には上着を着ている
人も多くいるから、日本にような蒸し暑さはなかったのかもしれない。

可愛らしい声で曲名を紹介しながら演奏しているところは生真面目な日本人らしいが、その演奏は骨太なもので、当時の彼女の演奏スタイルが
よくわかる内容となっている。彼女の演奏を聴いていると、ジャズというのは1音1音に思いを込めて演奏する音楽なんだなということを思い
知らされる。そういう音と音の無数の繋がりが大きなうねりとなって聴き手の心を揺さぶるのだ。50年代の彼女の演奏が聴けるレコードは
さほど多く残っているわけではないから、これは重要な一枚と言える。

ヴァーブのこのシリーズには裏面のレオン・サッシュのようにこのレーベルでは他には聴けない多くのアーティストの演奏が含まれていて、
そのどれもが貴重な記録となっている。ドナルド・バードのジャズ・ラボとセシル・テイラーの演奏が含まれたものがよく知られているが、
それ以外の組み合わせも面白く聴くことができる。



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Argoレーベルの良さが感じられる

2024年02月10日 | Jazz LP (Argo)

Norman Simmons / Norman Simmons Trio  ( 米 Argo Records LP-607 )


ノーマン・シモンズはシカゴのローカル・ミュージシャンで、かの地を訪れたミュージシャンの受け皿として共演したり、著名な歌手の歌伴を
務めたりしていた。野心を持ってニューヨークへ出て、ということはしなかったようで、そのため50年代のリーダー作はこの1枚しか残っていない。

これと言って特徴のあるピアノが聴けるわけではなく、ごくごく普通に小気味よく明るい演奏に終始している。他の名の知れた歌伴ピアニストたち
なんかと共通するところが感じられる。フレーズが平易でわかりやすく、タッチも柔らかく、穏やかな表情だ。他のアーティストたちと熾烈な
競争して生き残っていくというような生活とは無縁の、地に足のついた演奏活動をしていたのだろうなと想像することができる。

ARGOには似たようなタイプにジョン・ヤングなんかがいて、あちらは複数枚のリーダー作が残っているのに、このシモンズは1枚のみという
何とも控えめな足跡で、このレーベルであれば言えばいくらでもアルバムは出してくれただろうに、何とももったいないことである。
私は知らなかったのだが、80年代以降になるとポツリポツリとリーダー作が出ているようなので、機会があれば聴いてみたい。

ARGOというレーベルにはこういう地元シカゴ中心で活動していた演奏家のアルバムが数多くある。彼らはいわゆるビッグネームではなく、
日本ではマイナーとかB級とかの形容詞で語られるけれど、別に本人たちはそういうのはどうでもよかったのではないか。
彼らの演奏をレコードを通して聴く限りでは、迷いなく自分の信じる音楽を心地良さそうに演奏している。その中から彼らの見ていた風景や
暮らしていた日々の生活の様子などが透けて見えるような気がする。街のざわめきや風の匂いや交わしていた会話などを感じるような気がする。
ARGOレーベルはそういう当時のシカゴの雰囲気を上手く切り取ってくれたと思う。このレーベルはそこがいい。



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音の中に潜む何か

2024年02月03日 | Jazz LP (Verve)

Charlie Parker / Big Band  ( 米 Clef Records MG C-609 )


チャーリー・マリアーノやドン・セベスキーらが先のアルバムを制作した際、当然ながらこのアルバムのことが年頭にあっただろうと思う。
パーカーが残したアルバムの中でも屈指の1枚としてその頂は音楽家の前に聳え立つ。それでも録音しようとしたのだから、マリアーノも
大したものだと思うが、さすがにこれと比べるのは酷というものだ。

ノーマン・グランツは興行師だったのでアルバム制作にも優れた企画力を発揮して、その結果、他のレーベルでは聴けないようなタイプの
アルバムが残っている。ストリングスやビッグバンドをバックにソリストに吹かせるというのもステージジャズの発想だけど、こういうのは
3大レーベルでは考えられない。結局ヴァーヴのこれらの形が雛型として後々真似されていくが、その原型がパーカーだったというのが
凄かったというわけだ。

このアルバムでは管楽器と弦楽器がミックスされたオーケストラ形式のバックが付くが、その背景の圧力にドライヴされて吹くパーカーが圧巻。
スピード、フレーズの美しさ、楽器の音圧のどれをとっても最高の出来で、ヴァーヴの録音ではこれが演奏力では最も素晴らしい。
音の中に怪物が潜んでいて、空間に解き放たれた途端に姿を現して暴れ出すのを目撃するような衝撃がある。

でも、そういうグロテスクイメージだけで終わることがないのがこの人の凄さで、その音はこの上なく優雅で上質な音色でコーティングされて、
なぜこんなにもと思うくらい美しいメローディーで歌われて最上の音楽へと昇華されている。そこが他のアーティストたちとは決定的に違った。

アルトサックスというあの小さな楽器でこれほどまでに大きな音を出し、大勢のバックミュージシャンたちをも制圧してしまう様子がここには
記録されていて、聴くたびに言葉を失ってしまう。



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マリアーノの肖像に相応しい

2024年01月27日 | Jazz LP

Charlie Mariano / A Portrait Of Charlie Mariano  ( 米 Regina Records LPRS-286 )


ラージ・アンサンブルやストリングスをバックに朗々と吹く、というのはアルト奏者にとっては1つのステータス若しくは憧れだったのかもしれない。
パーカーが確立したこのスタイルを踏襲した人は多く、アート・ペッパー、ポール・デスモンドやフィル・ウッズもやったが、このマリアーノも例外
ではなかった。レコーディングには金がかかるので誰でもやらせてもらえる訳ではなく、エスタブリッシュメントにしか叶わないアルバムだが、
その割には一般的に人気がない。

マリアーノは最高のトーンで自由自在に歌っていて、素晴らしい。単なるスタンダード集ではなく自作も持ち込み、音楽的な深みを出している。
ドン・セベスキーのスコアも甘さは排除されていて引き締まっており、アルトを邪魔しない。ジャケットの印象からくる抽象性のようなものもなく、
音楽全体が親しみやすく、最後まで飽きずに聴くことができる。

マリアーノの良さはアルトの見本のような適度の甘さとよく抜けるビッグ・トーンで優し気でなめらかなフレーズを紡いていくところだと思うけど、
このアルバムではその美点がそのまま反映されていて、素晴らしい出来だ。ワンホーン・カルテットなんかだと気を抜くと単調になりがちだが、
この作品は構成要素がそれなりに多く複雑でもあるので、そういう背景の中では彼の美質はより際立ってくる。タイトルの「チャーリー・マリ
アーノの肖像」というのはこのアルバムの内容を上手く表していると思う。

モノラルプレスも同時リリースされているが、このアルバムはステレオプレスが圧倒する。楽器の艶やかさや音場感の拡がりがひと味違う。



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サル・サルヴァドールの最高傑作はこれか

2024年01月13日 | Jazz LP

Sal Salvador / Starfingers  ( 米 Bee Hive Records BH 7002 )


サル・サルヴァドールと言えばキャピトルやベツレヘムにレコードが残っていてエサ箱ではお馴染みの人だが、これがどれを聴いてもつまらない。
フィンガリングはなめらかでソツなく上手いギターだが、自身の音楽として確立されているものがなく、聴き処がない。結局持っていてもまったく
聴くことはなく棚の肥やしになるだけなので、レコードが我が家の棚に残ることはなかった。ところがこの「その筋の人的ジャケット」の
レコードを聴いてぶっ飛んだ。これがサイコーにいい。

サルヴァドールが目当てでではなく、私の好きなエディ・バートが参加していること、"Nica's Dream" や "Sometime Ago" など好きな曲が入っている
ことなどから聴いてみたのだが、これが抜群にいい。よく見るとメル・ルイスがドラムを叩いており、このドラミングが凄いことになっている。
デレク・スミスのピアノがこんなにみずみずしいなんて知らなかったし、ペッパー・アダムス直系のブリグノラのバリトンも硬質で音楽をキリっと
引き締める。サム・ジョーンズのベースもブンブンと唸るし、参加メンバー全員が見事な演奏をしながら音楽が1つにまとまっていく。

サルヴァドールの音色が如何にも70年代風のイカしたサウンドで、これが完全に病みつきになる。アップな曲でのカッコよさはもちろんだが、
バラードでもメロウで艶めかしい。ベツレヘム時代の型にはまった退屈さからは抜け出していて、生き生きとした音楽に様変わりしている。
ジャズがアメリカの主流の音楽ではなくなったこの時代に、50年代に活躍していたミュージシャンたちが一皮むけた音楽を展開できるように
なったというのは何とも皮肉なことだ。

レコードとしての風格に欠けることから相手にされない時代の作品だが、中身は超一流。見直されるといいのにと思う。



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もし、ロリンズがバンドメンバーだったら

2024年01月01日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / Collector's Items  ( 米 Prestige Records PRLP7044 )


新年の縁起物、マイルス・デイヴィスである。この人の場合、何かそれくらいの理由を付けなければなかなかブログに書こうという気にならない。
特に、このアルバムのような誰からも顧みられないものになると尚更である。

A面は53年、B面は56年の録音でどちらもロリンズとの演奏だが、53年の方はパーカーがテナーを吹いて参加していることで知られている。
契約関係がなかったから、覆面ミュージシャンとしての参加になっている。テナーの音色はあまりパッとしない感じだが、吹いているフレーズが
如何にもパーカーらしいもので、サックス奏者には各々固有の言語があるのだということがよくわかる。

ただこの53年の方は音楽的に聴くべきところはないし、演奏も拙いレベルでわざわざレコードとして切るようなものではない。それがアルバム
タイトルの "Collector's Items" の意味なのだろう。これはマイルスがまだひよっこだった頃の姿の一コマだ。まるで、何かの拍子に物置の中から
出てきた、セピア色に退色した古い写真のようなもの。そういう一般的には商品価値のない、個人史のようなものまでが56年という時期に
こうして正規のアルバムとしてリリースされているところがマイルスのマイルスたる所以である。既にその時点で別格だったということだ。

一方で56年の演奏になると音楽の成熟度はグッと増す。マイルスらしい影が射すようになり、独特の陰影が刻み込まれる。ロリンズは完成の1歩
手前の段階だが、それでもロリンズでしかありえないフレーズを吹くようになっている。マイルスはミュートで演奏し、"In Your Own Sweet Way"
ではバラードのスタイルを確立しようとしている。

マイルスは自己のグループを結成するにあたり、ロリンズをテナーに迎えたかった。でも、ロリンズは固定のバンドに参加するのを好まず、
それは叶わなかった。もしマイルスの第一期クインテットがコルトレーンではなくロリンズだったら、ジャズ史はどうなっていただろう。
この演奏を聴いていると、そう考えずにはいられない。ロリンズがいるとさすがに音楽の安定感は揺るぎがなく、この布陣でバンドの音楽が
発展していたら・・・と考えるのは楽しい。そういう夢想をさせるところが、このレコードの一番の価値かもしれない。



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懸案盤の緩やかな解決

2023年12月31日 | jazz LP (Atlantic)

Ornette Coleman / The Shape Of Jazz To Come  ( 米 Atlantic Records SD 1317 )


今年のレコード漁りで個人的なトピックスの1つは、このステレオ盤を拾えたことだった。

このアルバムのモノラル盤の音の悪さに気が付いたのはCDを聴いた時で、これはどうしてもステレオ盤を探さねばと長年探していたのだけれど、
これがまったく見つからない。並みいる有名な稀少盤もこのステレオ盤の足元にも及ばないなあ、とここ数年はもう探すことすら諦めていた。
そういう個人的な懸案の1枚が今年ようやく解決した。

楽器の音色の輝きが増し、音楽の高級感がアップして聴こえる。無理やり中央に音像を寄せ集めた感じからは解放されて、音楽が自然な様子で
空間の中を舞っているように変わった。これでようやくモノラルとはおさらばできる、と早々に処分した。

レコードを買っている人であれば誰にも「個人的な懸案盤」があるだろう。これだけはどうしても欲しいとか、持っているけど傷があるから
買い換えたいとか、その動機は人それぞれだが、おそらくそこに共通しているのは自分の中だけのどうしても譲れないこだわりではないだろうか。
そしてそのこだわりはあまり他人には理解できない(言い換えると、他人からみるとかなりどうでもいい)類のものだろう。でも、この自分にしか
わからない自分にとっての大事なこだわりこそがこの趣味の根底を支えていて、これが枯れた時にこの趣味は終わりを迎えるのだろう。

コロナ禍がひと段落して中古市場の状況は大きく様変わりしたが、それでも2020~21年頃の中古の流通が鳴りを潜めたあの耐え難いストレスから
解放される程度までには中古市場は復活しつつある。願わくは来年は更に流通量とスピードが増して、価格がコロナ前のレベルまでは下がって
欲しい。中古レコードの流通は人々の営みそのものを映し出しているのだから。



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ラジオデイズレコード 初訪問

2023年12月25日 | 廃盤レコード店



親戚の法要で12/23(土)~24(日)は名古屋に行っていたが、その隙間を縫ってラジオデイズレコードへ行ってきた。以前から1度行ってみたいと
思っていたレコード屋さんだった。オールジャンルを取り扱っているが、ご店主はジャズのコレクターなので、きっとジャズの中古が充実して
いるのだろう、と思っていたからだ。

店頭に出ている商品数自体は多くはないが、お店の規模感や他ジャンルとのバランスからすればこのくらいが妥当というところなのだろう。
私好みのタイトルの在庫が複数あって、それ以外に買い換え目的の物も含めて、何枚か手にすることが出来た。初めて訪れたお店でこういう
経験ができるのはうれしいものである。これからは時々名古屋に来ることになるので、またお邪魔したいと思う。

帰りの新幹線の中でつらつらと考えてみると、特に目当てのものもなくお店に行って、レコードをパタパタとめくっていたら探していたものに
思わず出会って、ホクホクした気分で帰るというようなことは今年はまったくなかったことに気付いた。東京のお店は概ね週末のセールまで
レコードは抱え込まれていて、Web上の写真とリストで購買欲を煽りながら競争して買わせるというスタイルが定着しているが、そういうのが
嫌いな私などは、ユニオンでめぼしいレコードを買う機会がすっかり無くなってしまった。

たくさんの買い取りが持ち込まれるユニオンのようなところはそうでもしないと商品の回転が悪くなり、キャッシュフローが悪化してしまうので
止む無くやっているのだろうし、買う側もどの店舗に欲しいレコードが出るかが効率良くわかるので、マス的な需要と供給のバランスは取れている
のかもしれない。ただ、私のようにこの趣味に効率などまったく求めていない人間からしたら、こういうやり方は迷惑以外の何物でもない。
中古レコードは1人でコツコツと探すのが楽しいのであって、他人と奪い合いながら買うなんてことはあり得ないことだ。

だから、私のような人間にとっては、ラジオデイズレコードのようなお店があるのは有難いことだ。ご主人と少しお話させていただいたが、
名古屋はジャズのコレクターの数が少ないのだそうだ。そのおかげでエサ箱が荒れていないのだろう。いくらお店側が努力されているとはいえ、
これが東京だったらエサ箱は引っ掻き回されて、魅力のある在庫を常に維持するというようなことは叶わないのではないかと思う。

規模の論理でレコードを流通させる領域とは別に、マニアの気持ちに寄り添ったお店が存在するというのは我々には心強いことなので、
頻繁に行くことはできなくても、これからも頑張ってお店を続けてもらいたいと思う年の瀬だった。



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トニー・ベネットを偲んで

2023年12月23日 | Jazz LP (Vocal)

Tony Bennett / Snowfall  ( 日本 CBS・ソニーレコード SONX 60088 )


先日亡くなったトニー・ベネットの最初のクリスマス・アルバム。と言っても1968年発売で、他のビッグネームと比べると遅いリリースだ。
経緯はよくわからないが、クロスビーやシナトラ、ナット・キング・コールらの有名アルバムがある中では制作に慎重だったのかもしれない。
メル・トーメやサラ・ヴォーンもこの時期にはアルバムを作っていない。おそらく、アメリカではポピュラー歌手たちが数えきれないほどの
クリスマス・アルバムを作っていただろうから、そういう有象無象とは一線を引いたものにしなければという自負があったのかもしれない。

私が子供だった頃に比べると、最近のクリスマスはその有難みのようなものは随分と希薄になってしまったような気がする。昔は12月になると
デパートに行くのが楽しみで仕方がなかった。飾り付けはクリスマス一色となり、ジングルベルのメロディーがずっと流れていて、そこはまるで
別世界だった。今よりも冬はもっと寒かったが、そこだけは暖かく、甘い匂いが漂い、人々は幸せそうな顔をしていたような気がする。
私がクリスマス・アルバムが好きなのは、自分の中でクリスマスがそういう記憶と結びついているからだろう。

ゴージャスなオーケーストラをバックに、トニー・ベネットの歌声が響き渡る。いつものことだが、オーケストラのサウンドに負けることのない、
素晴らしい声だ。亡くなったことが今更ながらだが悔やまれる。

クリスマス・アルバムはそれ自体が幸せだ。トニー・ベネットがクリスマス・アルバムを残してくれたことを噛みしめて聴いていたい。



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2nd ジャケット愛好会

2023年12月10日 | Jazz雑記
私の経験上、オリジナルだ、初版だ、と騒いでいるうちは白帯。再発盤もオリジナルと同じように愛でることができるようになって、
初めて「レコード愛好家」を名乗って黒帯を締めていい。特にセカンドプレスあたりは製造時期がさほど離れているわけではないので、
オリジナルとはまた別の風格というか独自の質感あって、愛すべきレコードたちである。そこに気付くことができるかどうかはこの趣味に
気持ちの余裕をもって接しているか次第。オリジナルを追求するのはもちろん楽しいが、度が過ぎて視野狭窄に陥ってしまうと
この趣味の愉しさは半減する。

セカンドプレスがいいのはそういう風格の良さだけではなく、値段が安いこと。オリジナルではない、ということだけで値段は大幅に下がる。
ここに載せたものは、すべて5千円未満だった。




ジャケットデザインは私はこちらの方が好きだ。若い頃に何かの本でこのアルバムが取り上げられているのを読んだ時にはこのジャケットが
紙面に載っていて、そのせいでこちらのデザインがオリジナルだと長年思い込んでいた。つまり、このジャケットにチープさを感じなかった
ということだろう。音質も初版と特に変わらない。






国内盤が出た時はこのデザインが採用された。初版のデヴィッド・S・マーチンの絵は正直イマイチで、こちらのジャケットの方が愛着が湧く。





如何にもサヴォイ、というデザインで、これはこれで良いと思う。"featuring Canonball" って、Adderleyまで入れてやればいいのに、と
思うけど、そういう雑で投げやりなところもサヴォイらしくて美味しい。チェンバースもバードも若いなあ。





版権がサヴォイに移ってから再リリースされたもので、盤はサヴォイとしてのセカンドプレスになり、RVG刻印がない。
でも、この方がなぜか音質がヴィヴィッド。特に、シンバルの音の良さが全然違う。だから、普段はこちらを聴く機会の方が多い。

とまあ、こんな感じでセカンドプレスもそれ自体で立派なジャンルの1つなのである。


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ジャケット・デザインに惚れて聴く

2023年12月03日 | Jazz LP (Contemporary)

Hampton Hawes / Vol.2, The Trio  ( 米 Contemporary C 3515 )


ジャズ界屈指のジャケット・デザイン。最も好きなジャケットの1つだ。麻薬中毒者らしく痩せぎすで退廃的な姿がモノクロの風景の中に
浮かび上がる。モノトーンのレタリングが背景にうまく溶け込み決まっている。

1955~56年にかけて録音された複数の演奏が3分冊にまとめられたよく知られた内容だが、選曲的にもこの第2集が一番いい。
"あなたと夜と音楽と" で始まるというのが何ともいい。この人は自身のピアニズムで聴かせる人ではないので、選曲が重要になる。
自分の好きな楽曲が入っているアルバムを選ぶといいのだろう。

ロイ・デュナンの録音だが平均的なモノラルサウンドで際立った特徴は見られないが、レッド・ミッチェルのベース音がよく効いていて
トリオとしての纏まりや躍動感が優れている。よく出来たピアノ・トリオの作品になっている。

60年代以降になると独特の深みを見せるようになるけれど、この時期はまだ若さが勝った演奏でこれはこれで悪くない。
ピアノの腕1本で勝負するんだという気概が強く伝わってきて、その潔さが気持ちいいアルバムである。


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