廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

いつかはジョー・パス・モデルを

2017年03月26日 | Jazz LP (Pacific)

Joe Pass / For Django  ( 米 Pacific Jazz PJ-85 )


私の中では、ジャズ・ギターのレコードのTop5に入る作品。 ピアノレスで代わりにジョン・ピサノが最低限のコードで色を添える。 録音がいいおかげで
楽器の音が非常にクリアで、これ以上ないくらいジョー・パスのギターが愉しめる。 パシフィック・ジャズというレーベル臭がしない王道のギタージャズに
なっているところが嬉しい。 一応ジャンゴ・ラインハルトゆかりの曲が集められているけれど、サウンドはモダンでリズムの緩急も上手く効いている。

ギターという楽器は他の楽器と比べて、誰かに似ている、ということがあまりない。 サックスやピアノは自然と「~派」というスクールに分類されがち
だけど、それに比べるとギターは演奏者の個性がストレートに反映される。 ジョー・パスの場合も誰かに似ているというところがなく、一聴して簡単に
ジョー・パスだというのがわかる。 だからギター音楽はどんなジャンルであれ、聴いていて面白いのだと思う。

ジョー・パスのいいところは、技術的にどうこういう以前に彼の創る音楽が他の同世代のギタリスト達よりも感覚的にフレッシュで現代的なところだと思う。
だからアルバム1枚を通して聴いても、飽きることがない。 それに比べて、例えばタル・ファーロなんかやたらと上手いギターなのに音楽自体は古臭くて、
アルバムを通して聴こうとしても途中で退屈になって飽きてしまう。 当たり前のことだけど、楽器が上手いというだけではどうしようもないのだ。

レコードを買うのに飽きたら、いつかは彼が愛用したギブソンのヴィンテージ ES-175 を買いたいと常々思っているんだけど、その日はいつやって来る
のかなあ。 でもまあ、こういうのは憧れているうちが一番楽しいのかもしれない。 ジョー・パスのレコードを聴くたびに、そんなことを考える。


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食傷気味、なんて言わずに

2017年03月25日 | Jazz LP

Bill Evans / On A Monday Evening  ( 米 Concord FAN 00096 0888072019720 )


音質が良好だ。 一番気になるこの点が大丈夫なのは、何より嬉しい。 エヴァンスのピアノの音が我々がよく知っている、あの音だ。
正規録音のような音質なので、これは安心して聴ける。

1976年11月25日、ウィスコンシン大学マジソン校のユニオンシアターで行われたライヴで、エディ・ゴメス、エリオット・ジグムンドの時代のトリオ。
若いマーティ・モレルだとライヴでは張り切り過ぎてうるさい時があるけれど、ジグムンドは趣味のいいドラムを演奏する。 このメンバーは何と言っても、
"You Must Believe In Spring" を創ったトリオだ。 ワーナーの音質はいささか人工着色料的な匂いがしてジャズのサウンドとしては少しクセがあるけど、
こちらのサウンドはそういうところはなく、自然な雰囲気が好ましい。

演奏の質感も "You Must Believe In Spring" とよく似ていて、あのアルバムが好きならこれもきっと気に入るだろう(但し、あんなにおセンチじゃない)。 
収録されている曲も良く、いい作品に仕上がっている。 エヴァンスが晩年に好んで演奏した "Minha (All Mine)" というバラードが特に素晴らしい。 

エヴァンスの未発表録音は一定枚数のセールが見込めるせいか、最近はこうしてよく発売される。 マニアからすればもう食傷気味になってきて、またか、
という感じになっているだろうけど、これは「当たり」なので聴かれるといいと思う。 ジャケット・デザインもDUのブログで見た時はイマイチだなあと思ったけど、
実物は深いインディゴ・ブルーが上品な色合いで思ったよりもいい出来だった。 内容としては良くも悪くもビル・エヴァンス・トリオの典型的な演奏なので
取り立てて新鮮味はないかもしれない。 でも、私はこれはとてもいいと思った。



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40年代のスイング・ジャズを再現

2017年03月20日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Interpretation #2  ( 米 Norgran MG N-1008 )


ジョン・カービーのレコードを聴いた後にこのレコードを聴いて、積年の疑問が解けた。 

昔から疑問だった。 なぜゲッツはこの時期の相棒にブルックマイヤーやジョン・ウィリアムスを選んだんだろう、と。 なぜトランペットではなく、
トロンボーンが必要だったのか。 特に音楽上有益な効果が認められるわけでもないこの2人をなぜ選んだのか。 たくさんの録音があるということは、
明らかに何か意図があったのは間違いないんだけど、我々がゲッツに期待するのはもっとしっとりとした洗練された音楽なのに、このバンドの演奏は
どれもアップテンポで落ち着きがなく、抒情味に欠ける音楽をやっている。 スタン・ゲッツらしくない音楽だとずっと思っていた。

ところが、ジョン・カービーの演奏の後にたまたま続けてこのバンドの演奏を聴いたら、この2つの音楽がとてもよく似ているということに気が付いた。 
ゲッツの音楽のほうがカジュアルな普段着の軽装だけれど、個別に聴くとそういう連想は出てこないのに連続して聴くとよく似ていることがわかった。

つまり、この時期のゲッツは40年代のスイングジャズを自分なりに再現したかったということだったんだろうと思う。 だから、ワンホーンではダメだし、
トランペットではモダンになってしまう。 そういう意味では、ブルックマイヤーのぼやけたサウンドはうってつけだったし、没個性的なウィリアムスも
ピアノが意味を持つとスイングジャズにはならないから最適だったということなんだろう。 実際はそれだけではなく、白人同士のほうがやりやすかった
という事情もあっただろうけど、それでもジョン・ウィリアムスは非常に指の良く動くリズム感のいいピアノを弾くことができたから、彼がリズムセクションの
重要な担い手になることでこのバンドは明るいスイングジャズを創り出すことができたのだと思う。

ブルックマイヤーは不思議なアーティストで、ズートと組めば彼の中間派的な部分を引き出すし、マリガンと組めば西海岸の乾いた空気にうまく染まるし、
ジュフリーと組めば中西部のカントリー的慕情を喚起させる。 ゲッツとの演奏ではニューヨークでかつて盛んに演奏されたスイングジャズを下支えして、
という具合いで、まるで各リーダーのアイデンティティーの扉を開け閉めする門番のようだ。

そんな中で、ブルックマイヤー作の "Minor Blues" というマイナーキーの仄暗い曲でゲッツはついうっかりとモダニストの顔を覗かせる。 ミディアム
テンポながらもゲッツらしい湧き出るような滑らかなフレーズで心に残る楽曲へと仕上げている。 これはいい演奏だと思う。



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他とは違うハーモニーの色彩

2017年03月18日 | Jazz LP (Columbia)

John Kirby and his orchestra  ( 米 Columbia GL 502 )


スイングジャズは好きだけれど、熱心にレコードを探して買い求めるほど、ではない。 概ね、どれも似たような音楽で大きな違いはないように聴こえて
しまうからだと思う。 実際はもちろんそんなことはなかったんだろうけど、スイング時代の録音は基本的にSP期であって、それをLPで復刻する際に
各々の微妙なニュアンスの違いみたいなものが削ぎ落されてしまっているんじゃないか、と思えるフシがある。 ちょうどCDが商用化されて間もない頃に、
アナログからデジタルにトランスファーした際に帯域をいじって立体感や空気感のようなものをカットしてしまったように。

但し、そういう均一化されて聴こえるスイングジャズの中で、私の耳に唯一他とは違うハーモニーの色合いが聴き取れるのがこのジョン・カービーのサウンド。
さほどたくさんスイングを聴いてきた訳ではないけれど、それでもどうもこの楽団のアンサンブルだけは明らかに他とは色彩が違うように聴こえるのだ。 

ニューヨーク52番街のオニックス・クラブの常設用として自身のバンドを編成した際に集めたメンバーがチャーリー・シェイヴァース、バスター・ベイリー、
ラッセル・プロコープという後のビッグ・ネーム達ということもあるんだろうし、オーケストラとはいっても6人構成のセクステットで風通しのいいサウンドだった
こともあるのかもしれない。 3人の管楽器奏者はそれぞれが自分だけのサウンドを持っていたマエストロだったから、セクステットでのアンサンブルの
中でも3人の優美な音が潰されることがなかったからなのかもしれない。

このアルバムに収録された曲の半分くらいはグリーグやショパンやシューベルトなどの曲が取り上げられており、それらがとてもデリケートに演奏されて
音楽的な優雅さも際立っている。 まだまだ楽曲のレパートリーの少なかったこの時代、こうしてクラシックの曲を演奏することは珍しくなかったけれど、
この楽団の繊細な感性には殊更に相性がよかった。

50年代初頭にこうしてLPに切り直されたものは板おこしではなくマスターテープを使うことが多いから、音質は悪くない。 このレコードもロー・ファイ
ながらも、くっきりとした良質なモノラルサウンドで音楽を愉しむことができる。 

こういう音楽は今や生活の中の至る所で耳にする。 それはTDLだったり、ショッピングモールだったり、TVのCMだったり。 つまり、幸福な日常を演出する
小道具の一つとして私たちは無意識のうちに耳にしている。 スイングジャズを正対して聴くには、現代という時代はあまりに複雑になり過ぎてしまっていて、
「音楽を聴く」という局面においての出番はもはやないのかもしれない。 でも、ジャズを愛する者として、1枚くらいはこういうレコードを持つのも
悪くはないんじゃないか、と思うのだ。


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不遇のアンドリュー・ヒルを救った日本の見識

2017年03月18日 | Jazz LP

Andrew Hill / Hommage, Nefertiti  ( 日本 East Wind EW-8017, EW-8032 )


私に音楽の素晴らしさや猟盤の楽しさを教えてくれる数少ないブログの1つ、Kanazawa Jazz Days のkenさんに教えていただいた、アンドリュー・ヒルの日本録音。
不遇に喘いでいた彼を日本の評論家とレコード会社が救い出した、実に素晴らしい作品たち。 70年代前半はまだ音楽を聴くような年齢ではなかったので、
この時期に作られた作品群は私にとっては未だに未知なる暗黒大陸であり、未聴の作品がたくさん残っている。 だからこうして小さな手がかりを辿りながら
猟盤する愉しさには格別なものがある。 週末の金曜日、DUに立ち寄るとまるで待ち構えていたかのように在庫があって、2枚ともワンコインだった。

アンドリュー・ヒルと言えば当然ブルーノートということで私も時々聴くけれど、それ以上この人を追いかけるようなことはなかった。 ブルーノートの諸作は
評論家には高く評価されてきたけれど、一般的には敬遠されることのほうが当然多い。 アルフレッド・ライオンは人気が出なかったことをとても残念がった
けれど、今振り返ってみるとこれは仕方がないんじゃないだろうか。 この人は元々は普通に主流派のジャズを演奏していたのに、ブルーノートに来た途端に
尖った音楽を始めて、その跳躍の大きさにはちょっと違和感がある。 "Black Fire" も "Point Of Departure" も嫌いではないんだけれど、やっぱり
ちょっと唐突過ぎる感じはするし、この人の内側から自然に湧き出てきたものというよりは先頭集団から遅れないように自分のペースを無視して走っている
ランナーを見ているような感じがする。 彼が当時広く支持されることがなかったのは、聴き手にそういう危なっかしさが伝わったからなんじゃないだろうか。

当時録音されたLP20枚分もの演奏の多くが未発表のままお蔵入りになり、表舞台からは消えざるを得なくなった不遇の時代、スイングジャーナルの編集長が
現地で彼に会い、その演奏を聴いて感銘を受けて日本のレコード会社に録音を勧めた。 その第1弾が "Hommage" というソロ演奏集になる。

針を落として音楽が鳴り始めた途端に、その魅力に憑りつかれた。 ピアノの音や打鍵のタッチの質感はデューク・エリントンを思わせるところがある。
硬質で重みがあり、数珠の紐が切れてテーブルの上で跳ねて飛び散るブラック・パールのように予測不能な軌道を描く。 でも、イメージしがちな難解さは
どこにもなく、こんなにわかりやすいピアノを弾く人なんだっけ?といい意味で予想を裏切られる。 

壁1枚隔てた隣の部屋から聴こえてくるような共感し辛いかつての音楽の面影はどこにもなく、素のピアノ弾きの飾らない姿がある。 "Naked Spirit" なんて
まるでチャイコフスキーが描きそうな曲で、彼の "四季" の中に組み込まれていてもおかしくない。 そういうピアノ音楽の雫がボロボロと滴り落ちてくるような
感じなのだ。 だから、最後まで感激しながら聴き終えることができる。

それに何より、このレコードは音がいい。 ピアノの音の艶やかさと残響感がとても自然で、まさしくピアノ・ブラックと言いたくなるような色彩だ。
正直言って、初めて聴くピアノのレコードでここまで心の奥底深くまで届いてきたのは、ちょっと久しぶりだった。

もう1枚の "Nefertiti" はトリオによる演奏で、こちらも同じように音のいいレコード。 こちらはかなり印象派的な作品で、旋律で音楽を構成する
ことをせず、微かに残っている記憶を頼りに音を探りながら鳴らしていき、ディレイ気味に遅れて後追いで和声が構成されていくような音楽だ。
でも、リチャード・デイヴィスのアルコが印象的な曲があったり、と単調さはなく、どこかで聴いたことがあるような退屈さもなく、とても高度で深みのある
作品になっている。 

金言に導かれて、アンドリュー・ヒルという音楽家のことを完全に見くびっていたことを思い知らされた週末になった。


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影に隠された傑作

2017年03月12日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Unknown Session, Green Dolphin Street  ( 日本ビクター音楽産業 VIJ-4026, VIJ-6457 )


エヴァンスの死後に雨後の筍のごとく出てきた未発表音源の数は一体どのくらいあるのか、私はよく知らない。 ただ、他のアーティストと違うのは、
きっとスタジオ録音の未発表ものの比率が高くて、且つそのクオリテイーの桁違いの高さにあるんじゃないだろうか。 オリン・キープニュースが後年
エヴァンスの未発表録音の掘り起こしに執着したのは、ビジネスのためというよりはある種の使命感に駆られてのことだったんじゃないかと思う。 
これらの未発表物をリリースしていた時期はジャズ業界の低迷期で、いくらエヴァンスのレコードとは言え、大したカネにはならなかっただろうから。

そんな中で、私が最も好きで若い頃から愛聴してきた演奏がズートとジム・ホールが参加した時の演奏で、日本ではこの2枚に分散してリリースされた。
ここで聴けるズート・シムズの演奏は本当に素晴らしく、私は彼の最高の演奏はこれだと思っている。 くすんだような淡い音色、弾力的なフレーズ、
歌うようなメロディーライン、どれをとっても最高の演奏だと思う。 そして、ジム・ホールもこれが彼の最高の演奏だと思う。 こんなに赤裸々に
よく歌うシングル・トーンで彼のギターが聴ける演奏を他に知らない。 アンダーカレントですら、この演奏の前では霞んでしまう。 彼らのリーダー作
ではないので与えられたスペースは限られてはいるものの、その限定性を逆手に取って最高の演奏を残している。

そして、"Loose Bloose" "Time Remembered" という必殺の名曲が収録されているのが、愛聴する2つ目の理由。 特に後者は正規のオリジナル
リリースアルバムには収録されていないにも関わらず、後年になってたくさんのミュージシャンたちに取り上げられてきたことがその素晴らしさを証明している。

最後の理由は、ビクター盤の質の高さだ。 ジャケットの意匠が素晴らしい。 マイルストーンのジャケットの良さを素直に認めて拝借するのは潔いし、
霧で霞む街並みのポートレートもただただ美しい。 そして、レコードを再生した際に出てくる音質の上質さ。 このサウンドクオリティーの上質さは
筆舌に尽くし難い。 ビクターのこの音はもっと高く評価されるべきだと思う。 度が過ぎたオリジナル盤の音質への妄信が特効薬のないウイルスのように
蔓延する中、こういうレコードは世界の片隅に追いやられ、小さな音で鳴っている。 でも、それは間違っていると思う。 どちらがいい/悪いというような
単純な話ではなく、1つ1つに固有の良さがあるということだ。

このクインテットの演奏は静かで落ち着いた内容に終始している。 当時のアメリカではこういうシブい演奏は受けないとの判断だったのだろう。
でも、そういうのは時代と共に変わっていく。 テープが破棄されず保管されて、キープニュースの世捨て人的人柄のおかげで蘇ったのは幸いなことだった。
リヴァーサイド時代で言えば、この2枚は4部作に劣るところのない傑作だと思う。


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西洋音楽史の絵巻物

2017年03月11日 | Jazz LP (Enja)

Alexander von Schlippenbach / Payan  ( 西独 Enja Records 2012 )


1972年2月に収録されたシュリッペンバッハのソロ・ピアノ。 独奏の作品としてはこれが初だと思う。 そのせいかもしれないし、また、エンヤという
フリー専門ではない一般レーベル向けだからそれに合わせたからかもしれないが、フリーというにはいささか大人し過ぎる内容ではないだろうか。

1曲目は、まるでバッハのフーガ小品のような作品で始まる。 2曲目、3曲目も特にフリー色の強くない曲たちが続き、どうしたんだろう、と首を傾げる
ような感じで進む。 が、A面が終わり、B面へと移っていくと、徐々に無調感や無タイム感や特殊技巧感が現れ始め、最後の曲はお手本のようなフリー
ミュージックで終わる。 なるほど、西洋音楽の歴史を1枚のアルバムの中で絵巻物的に表現しているんだな、ということが最後になって判る仕掛けになっている。
如何にもインテリらしい手の込んだ作品で、まるで歴史上の各ポイントを切り取ったスナップショットを時間の流れに沿ってコラージュした現代アートのようだ。

それは、まるで人気のない静かな資料展示館を思わせる。 入口から入って最初の部屋は最古の時代の不完全な形で発掘された欠片から始まって、王朝期、
爛熟して退廃した文化末期、やがて市民革命が起こり、新たな政権の時代、産業革命、世界大戦、そして近代化。 そういう絵巻物をゆっくりと歩きながら
眺めているような気分になる。

そういう知的に制御されたところが素晴らしくもあり、哀しくもある。 止むにやまれぬ表現衝動のようなものの希薄さの中に欧州フリージャズの暗い未来を
予感させるところがあると感じるのは穿った見方か。

尤も、そこまで先走らなくても平易で聴きやすいピアノ独奏集なので、構えることなく接すれば高名なこの演奏家の実像の一端に触れることができるだろう。



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悩ましいゲッツのルースト盤

2017年03月05日 | Jazz LP (Roost)

Stan Getz / The Sound  ( 米 Roost RLP 2207 )


我々のようなマニアはレコードはできるだけオリジナルに近いもので聴きたいと思うものだけど、そんな中でも取り扱いに困るレコードというのがあって、
これなどはその最右翼かもしれない。 ディスコグラフィー的に言えば、このレコードは1956年にそれまでこま切れに散逸していた複数の音源のいくつかを
1つに纏めただけのただの編集盤であって、オリジナルアルバムではない。 

蒐集家がオリジナルという場合、概念的には製造時のファーストロットのものを指すけれど、正確にはそれがファーストロットだったかどうかを判別する
手段がないので、レーベルやマトリクス番号や刻印や盤の形状などの外見上の仕様であくまでも便宜的にオリジナルかどうかを判定している。 だから、
見かけ上の仕様が同じであっても、複数の製造工場にプレスを委託していると微妙に仕上がりが違ったりして、マニアを混乱させることも出てきたりする。

ただ、そういう仕様上の条件は満たしていても、それだけではオリジナルというのに違和感のあるケースが更にあって、それは40年代末から50年代初頭の
限られた時期に録音された音源たちの多くがそれに該当する。 つまり、パーカー、パウエル、モンクなどがこの時期に録音した音源がこれにあたるけれど、
ゲッツのプレスティッジやルースト録音もそこに加わる。 レコードの規格がSP→LP(10inch)→LP(12inch)と短期間に変わる過渡期だったせいだ。

ゲッツのこの12inchには、3つのセッションが収録されている。 1番目はホレス・シルヴァーの初レコーディングでもあるA面1~2曲目、2番目はThree Dueces
というマイナーレーベルのためのセッションをルーストが買い取ったA面3~6曲目(このThree Deucesというレーベルのレコードは当然未リリース)、
3番目はよく知られたスェーデンへ演奏旅行に出た際に録音されたB面全曲。 

これらの音源は、まず、ルーストのSP(北欧含む)、及びメトロノームのSP(北欧のみ)が初版で、次にルーストの10inch LP(北欧含む)、及びメトロノームの
10inchLP(北欧のみ)が第2版(英エスカイヤー盤もあるけれど、これは毛色違いなので除外)、そしてルーストのこの "The Sound" が12inch LPとして
第3版になる(但し、北欧分の数曲がカットされている)。 ただ、ルーストの10inchにも2~3種類の仕様上の形状違いがあって複数版が存在していることも
考えると、この "The Sound" についてはもはやオリジナルというにはあまりに距離が遠過ぎる。

これだけ複雑な販売形態になっている録音の場合、どこで手を打つかは個人の価値観に任せられることになるけど、オリジナルで聴きたい/持ちたいという
マニア魂を泣かせることになっているのは間違いないだろう。

私の場合は基本的に根性がないのでこの12inchでもういいし、それ以上のことは考えたくもない。 ただの編集盤に過ぎなくても、"Dear Old Stockholm"が
収録されているというこの1点だけで、オリジナルからはほど遠い版とは言え、ぎりぎり許されるところがあるよな、と思う。


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今週の拾い物

2017年03月04日 | Jazz LP


今週の拾い物たち。 他にも何枚かあったけれど、いくら安レコとは言え、無節操に買うようなことはしない。 欲しいと思った物の半分を上限にして拾う。
これからも継続して猟盤を愉しむためにも、そのほうがいい。 こういうのは釣り人の心境に近いかもしれない。 漁場を守るのだ。



Bill Evans / Conception  ( 米 Milestone M-47063 )

最近はエヴァンスの未発表録音ものをよく買っているような気がする。 特に意識して探している訳でもないんだけど、よく目に付くからかもしれない。

彼の死後に集中的に発売されたこれらはアウトテイクだからと軽んじられる傾向があるだろうけど、実は内容はどれも素晴らしいのだ、ということが実際に
聴くようになってわかった。 エヴァンスの場合、演奏の出来が悪いからお蔵入りした訳ではなく、当時のレコードという器に盛れる容量には限りがあり、
更にエヴァンス自身がリリースOKを出す基準が厳し過ぎただけなのだ。 

ここに収録されたソロ演奏の数々はどれも素晴らしく、ヴァーヴの"Alone"なんかと比較しても全く引けを取らない演奏なんじゃないかと思う。
音質も良好だし、何一つケチの付けようがない。 "Like Someone In Love" の幻想的でシルクのような手触りは絶品だ。 ジャケットも最高だし。



Steve Kuhn / Mostly Ballads  ( 日本ポリドール 28MJ3546 )

学生時代からの愛聴盤だが、最初からCDで聴いてきたのでレコードだとどんな感じかなとずっと興味があった。 ハーヴィー・シュワルツのベースがより大きく
深く鳴っていて、とてもいい。 

それまではどちらかと言えばカルト的な位置付けだったけれど、この作品は日本や欧米で好意的に迎えられて、以降はたくさん録音を残すようになった。
ちょうどキースのスタンダーズがジャズ界を席巻して頃でもあり、受け入れやすい状況だったこともあったのだろう。 私の一番のお気に入りのアルバム。



The Modern Jazz Quartet / Pyramid  ( 米 Atlantic 1325 )

MJQなんてもう誰も聴かないんだろう、完オリなのに安レコ化している。 そう言えば、「騎士団長殺し」にもこのアルバムが出てきてたなあ。

グループとしての一体感がピークだったのがアトランティック時代で、プレスティッジ時代よりも演奏に生命感が溢れている。 クラシックとの融合、
なんてここには存在しない。 ミルトのヴィブラフォンが全体を支配しながらも、パーシー・ヒースとコニー・ケイが大胆な演奏を展開しているのが意外だ。
この2人の演奏を追いかけて聴くと、とても楽しい。 "Undercurrent" でも取り上げられた "Romaine" が聴けるのが嬉しいアルバム。


エヴァンスのリヴァーサイド作品の日本ビクター盤を聴いてみたくなって在庫があるかな、と仕切りを覗くと、驚くことに1枚もない。 しかも、そういう
状態が何週間も続いている。 どんなフォーマットであれ、人気があるんだなあ、と今更ながらに感心する。 そういうのも含めて、安レコ漁りは愉しい。

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1950年冬、そしてニューヨークの喧騒

2017年02月26日 | Jazz LP

Charlie Parker / Bird at St. Nick's  ( 米 Jazz Workshop JWS 500 )


開演時間が迫っている。 どうしても聴きたい公演だから、と愉しみにしていたのに、相棒のミスのせいで仕事が長引いてしまい、慌てて地下鉄に乗り込んだ。 
あと少しでハーレムだ、気ばかりが焦る。 やがて電車は駅に着き、ドアが開くと飛び出すようにホームに降りて階段を駆け上る。 外は寒くて、吐く息が
白い。 狭い通りを人ごみをかき分けながら走って、ようやく聖ニコラスに辿りついた。 重たいドアを開けると、暖かい空気と人々の話し声や笑い声が
ドッと押し寄せてくる。 既に客席はほとんど埋まっていて、辛うじてドアの近くにポツンと空いた席を見つけて、そこになんとか滑り込む。 額の汗を拭いて、
酒を頼み、既に始まっている演奏の方に目をやる。 ステージの真ん中には大きな身体のバードが堂々と立っていて、"オーニソロジー" を演奏していた。
大勢の人々の熱気と、アルコールと、小屋の中いっぱいに響いているバードのサックスの遠くから聴こえてくるような残響にやがて身体全体が包まれて、
私の意識は次第にぼんやりと彷徨いだした・・・・

このレコードの印象は、こういう感じだ。 つまり、パーカーをめぐる周辺の状況を通してパーカーを聴いているような印象だ。 この演奏は家庭用テープ
レコーダーで録音されていて、パーカーの演奏が始まると録音ボタンが押され、彼の演奏が終わると録音は止められる。 当時はテープ代がとても高価だった
ということもあるが、それよりも何よりも、パーカーの演奏以外は誰も興味なんかなかったのだ。 当時の人にはレッド・ロドニーもアル・ヘイグもロイ・ヘインズも、
パーカーの前では記録に残す価値のない刺身のつまでしかなかった。

たくさん残っているパーカーの私家録音を聴くと、彼の演奏だけではなく、それに付随した当時の様々な世相が一緒に記録されていて、それが面白い。
だから音が悪いから云々という話はあまり意味がなくて、そこに一緒に封じ込められた当時の様子を知ることができるということに意味があるのだと思う。

このレコードで聴けるのはパーカーの残響感の強いアルトの響きと観客の話し声がメインで、バックの演奏はほとんど聴こえない。 だからこの公演では
PAが使われなかったということや、テープレコーダーがステージからかなり遠くの観客席に置かれていたことがわかる。 パーカーの音はとにかく大きかった
そうだから、ステージから離れていてもアルトの音だけはしっかりと録音できたのだろう。

1950年2月の寒い冬のニューヨークという街の喧騒や人々の活気が目の前によみがえる。 そこにこのレコード独自の価値があるのだと思う。


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安レコの底ヂカラ

2017年02月25日 | Jazz LP


今週拾った安レコたちにはテーマがある。 かつてCDで聴いて、音が悪くて投げ出してしまった音盤たち、というテーマである。
レコードで聴き直してみようと思ったまま長らく忘れていたが、偶然、目の前に揃って現れた。



Enrico Pieranunzi / Deep Down  ( 伊 Soul Note SN 1121 )

水も滴るようなピアノの美音が降り注ぐ。 部屋の中の空気がガラリと変わるのがはっきりとわかる。 これがあれば、空気清浄機なんていらないな。
マーク・ジョンソンのジャスト・インなリズムとラインがとても効いていて、演奏を格上げさせている。 "Antigny" "Evans Remembered" という
素晴らしいキラー・チューンに心から酔わされる。 後者では、3人の演奏にはもはやエヴァンス・トリオが乗り移っている。

とにかく、CDとは別次元の音である。 ピエラヌンツィのピアノの音の輝き、マークの太い低音、ジョーイの濡れたようなシンバル、どれをとっても
最高の美音で迫って来る。 この作品の真価が初めてわかった。



Kenny Barron / 1 + 1 + 1  ( 米 Blackhawk Records BKH 5060L )

ベースとデュオで対話する作品で、ベース奏者はロン・カーターとマイケル・ムーアが分担して受け持つ。 マイケル・ムーアはとても好きな人。
ケニー・バロンは過去の偉人たちのいいところを全部1箇所に集めたような、隙1つない完成されたピアニストだ。 黙って拝聴すれば、それでいい。
こんなに素直にスタンダードを歌わせるピアニストは他にはあまりいないんじゃないだろうか。

ブラックホークというレーベルはゲッツのアルバムもそうだったけど、CDの音が私にはどうもダメなので、こうしてレコードで聴くしかない。
期待通りの伸びやかでとても自然な音が心地よい。 初めてまともにこの作品を聴いた気持ちになった。



The Great Jazz Trio / At The Village Vanguard  ( 日本 East Wind EW-8053 )

言うまでもなく、これがオリジナル。 昔からトニーのドラムスの音が凄いことで有名だ。 床が重低音で振動するのがわかる、甚だ近所迷惑な1枚。
でも、聴きどころはそれだけじゃない。 ハンク・ジョーンズの抑えの効いたピアノにも圧倒される。 ロン・カーターは相変わらず音程が悪いけど。
それでもやっぱり、トニーは最高のドラマーであることをこれが裏付ける。 この頃の日本のレーベルは企画・制作を乱発していたけど、その中には
最高のジャズを記録したものも確かにあるのだ。 クラウス・オガーマンが書いた名曲 "Favors" でのハンクの情感が切ない。

これもどういうわけかCDは音の粒度が粗く、興醒めする。 それがレコードだと自然な音場感で、とてもいい。 700円でこれが聴けるんだからなあ。


安レコの底ヂカラを改めて実感させられた3枚。 安レコにしか興味が無くなったせいで、レコード屋にいる時間が以前よりも長くなった。
物量の多さが桁違いだからだ。 結構疲れるけれど、それでもゴソゴソと探すのは楽しくて、あっという間に時間が過ぎている。


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ビ・バップへの目配せ

2017年02月19日 | jazz LP (Atlantic)

Ornette Coleman / Change Of The Century  ( 米 Atlantic 1327 )


"来たるべきもの" が発表されて、ニューヨークを中心にして各地で騒ぎになっていた最中に録音されたアトランティック第2弾。 いろんな意味で相当
注目されていた作品だっただろうと思うけれど、前作はオーネットの作品の中ではかなりポップな(と言っていいだろう)作風だったのに対して、この
アルバムは本格的にジャズを演奏することに真剣に取り組んだ辛口な内容だ。 明らかにパーカーとディジーの演奏を意識していて、それが裏コンセプトに
なっているのは間違いない。

前作で見せた音楽の形式へのこだわりをここでは鮮やかに脱ぎ捨てて、楽曲の主題をすべて拭い去っている。 だから音楽はより抽象的になっている。
その中でオーネットはかなり力強くアルトを演奏していて、時にはパーカーのようにファットなトーンで、時にはドルフィーのように咆哮してみせる。
スピード感もあり、前作のどこか子供が遊んでいる時に見せるような遊戯感のようなものは今回は影を潜め、大人のジャズを聴かせてくれる。

このアルバムを聴いた後にパーカーのサヴォイのレコードを聴いてみると、この2つはさほど距離が離れていないということがよくわかる。 見かけ上の
形式は似ても似つかぬものではあるけれど、核心部分には共通したものがある。 オーネットの音楽には革新と保守の要素が必ず奇妙に同居していて、
それを感じ取ることができさえすればこの人への抵抗感は消える。 そういう意味では、このアルバムはジャズを演奏することによりこだわっているので、
そういうマーブルなブレンド感がくっきりとしている。

聴き終えた後に残る充実感は前作を上回る。 とにかく真面目に真剣に取り組んだ音楽で、後の彼の音楽の原石のようなラフカットされてざらりとした質感は
他ではなかなか聴けない。 折に触れてこういう音楽に接しておかないと、自分の中で上手く音楽への感性を維持し続けられないような気がするのだ。



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今週末の安レコたち

2017年02月18日 | Jazz LP


今週拾った安レコたち。 この辺りはふと聴きたくなる時があるので、手許にあると重宝する。 だから安いのが見つかった時に、サボらずに拾っておく。 



Bill Evans / Time Remembered  ( 日本ビクター VIJ-4035 )

これは探していた未発表録音ものの1枚。 エヴァンスのカッコいい時代の写真をあしらったジャケットが嬉しい。 これを聴くと、日本ビクター盤の
音質の品格の良さが改めてよくわかる。 日本ビクター盤でリヴァーサイド諸作を買い直そうかな、と考え込んでしまう。 何だかんだ言ったところで、
私はこの音を聴いて育ったのだ。 愛着の度合いはオリジナルなんかよりはるかに深い。



Jimmy Rowles / We Could Make Such Beautiful Music Together  ( 米 Xanadu 157 )

スタンダードを原曲のメロディーを解体して演奏しているので何の曲を演奏しているのか一聴するとよくわからないものが多い、とてもよく考えられた
内容になっていて、なかなか硬派だ。 単なる甘いスタンダード物にしていないところに、ベテランの矜持を感じる。 ザナドゥはプレスの版数が多く、
レイタープレスは音が薄くて興醒めするが、初期プレスの盤で聴くと音質はいい。



Mel Torme / At The Crescendo  ( 米 Bethlehem BCP 6020 )

昔からメル・トーメの代表作と言われるけれど、エンターテイメント過剰なところがあり大味な内容だと思う。 同じクレッセンドのライヴなら、
素直に歌に集中しているコーラル盤のほうが出来が良い。 あちらは、作者本人の "The Christmas Song" が聴ける。



Jimmy Raney / Solo  ( 米 Xanadu 140 )

この人はプレスティッジ盤などで聴いても本当の良さはわからない。 クリス・クロス盤やザナドゥ盤で聴いて初めてギタリストとしての良さがわかる。
これは無伴奏のソロ演奏なのでギタリストとしての真価がよくわかる内容で、年老いた見た目の印象とは違う瑞々しさが素晴らしい。 ギターを触ったことが
あれば、この作品の良さは身に染みるはず。


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少し認識が変わった Flight To Demnark

2017年02月12日 | Jazz LP

Duke Jordan / Flight To Denmark  ( デンマーク SteepleChase SCS-1011 )


昔聴いてつまらなかったのに、今聴き直すと印象が変わっているものと言えば、このアルバムなんかもそうだ。 デューク・ジョーダンのトリオの代表作と
名高い作品だけど、若い頃はまあこれがさっぱり面白くなかった。 他のアルバムと比べて選曲がいいので人気があるのはよくわかる、でも何度聴いても
自分の中に引っかかるものがない。 だからレコードは早々に処分して、それ以来このアルバムのことは意識の中から消えていた。

デューク・ジョーダンが腕の達者なピアニストとは言えないことは、マイルスの供述を待つまでもなく、大方の人が認めるところだろう。 但し、だからと言って、
それが音楽家として失格ということではもちろんない。 彼の書いた名曲たちは永遠に輝き続ける。 ベニー・ゴルソンなんかと同じタイプだ。
この2人がいなかったら、ジャズという音楽は随分と味気ないものになっていたに違いない。 

今これを改めて聴いてみると、まずは鍵盤へのタッチの素直さが心地好いことに気付く。 運指はなめらかではないけれど、そこから出てくる音の真っすぐな
ところが意外に気持ちいい。 こういう感じはジャズのフィーリングに欠ける、と捉えられ兼ねない部分で賛否は分かれるかもしれないけれど、今の私には
この音たちが心にうまく響くようになってきている。 だからその感覚に身を任せると、音の触感をトリガーにして音楽が身に染みるようになった。

"No Problem" や "Here's That Rainy Day" というセンスのいい曲が目に付くけれど、このアルバムの白眉は "Glad I Met Pat" というオリジナル。
欧州に移住後、ニューヨーク時代に近所に住んでいた愛らしい少女の想い出を綴ったこの曲は彼らしい慈愛に満ちた優雅で優しいメロディーが素晴らしい。
何気なくこういう曲をアルバムの中に入れるところも、何ともこの人らしい。 もっと前面に出して演奏すればきっと有名な曲になったのに、奥ゆかしい
というか、欲がないというか。

以前は気が付かなかったそういうことが、今はちゃんと受け取ることができる。 私も歳を取り、少しは成長したのかもしれない。
音楽を長年聴いていると、そういう風に自分を相対化できる瞬間がある。 それは決して無為な行為、ということではないのだ。


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少し認識が変わった Brad Mehldau

2017年02月11日 | Jazz LP

Brad Mehldau / 10 Years Solo Live  ( 米 Nonesuch 549103-1 )


入手してからかなり時間が経った。 まあ8枚組の大作なので、何度も繰り返し聴いて、自分の中での評価が固まるのにはそれ相応の時間がかかる。
別に義務としてそうした訳ではなく、この麗しい美音を全身で浴びるように聴くことをただ単に十分愉しんだだけだけど。

このブログにはこれまで1度も登場したことがないことからもわかる通り、私はブラッド・メルドーが「好きではない」。 私がこの人を初めて聴いたのは
"The Art Of The Trio" がリリースされて少し経った頃のことだったから、もう20年も前ということになる。 その時に思ったのは「何てつまらない音楽
なんだろう」ということだった。 そして、それが決定的な印象として自分の中に貼り付いた。 もちろん、その後もポツリポツリといくつかの作品を
つまんで聴いてきたけれど、その張り紙が剥がれ落ちることはなく、いつしかこの人への興味はすっかり無くなってしまった。

そんな中でこの大作に手を出したのは、ECMの作風へのアレルギーが無くなったことと関係がある。 それを克服した今なら、以前のような嫌悪感なく
もっと自然にこの人の音楽に接することができるんじゃないか、という個人的な理由からだと思う。 それに、レコードというフォーマットでリリース
されていることも大いに後押ししてくれた。 CDだけのリリースなら今でも聴いていなかっただろう。

第1面から聴き始めて最初に感じたのは、相変わらず頭で考え過ぎている音楽だなあ、ということだった。 白人のインテリ・アーティストらしい、高級ブランド
スーツで身を固めたスノッブな音楽。 そして、この人は自分を解き放つのが下手なんだなあ、とも思った。 なんでこんなにカチコチに固まった演奏を
するんだ? もっと肩の力を抜いて、自由に飛翔すればいいじゃないか。

ただ、聴き進めていくうちに、少し違うことも感じるようになってくる。 昔聴いたピアノトリオの演奏がまったくスイングすることなく、陰鬱な室内楽を
聴かされているような感じだったので、この人はジャズに対してどこか醒めていて距離を置いているんじゃないかと思っていたけれど、よくよく考えると、
「ジャズはスイングするもの」という定義は60年代の中ごろには既に完全に崩壊している訳で、ジャズが現代までに辿ってきた経緯を十分踏まえた上で、
この人は今でもジャズという音楽を強く信じているのかもしれないという気がしてきた。 キースのソロを聴いているとそのあまりに自我を垂れ流し過ぎる
様子に恥ずかしくて正視できないような気分になることがあるけれど、この人のソロは一定の構築感を指向することを常に忘れない。 潔癖過ぎるほどの
清潔感を感じるけれど、息が詰まるようなところはないし、嫌なところもない。 その端正に整った造形には感服するし、最初は硬過ぎると感じた音楽も
よくよく聴いてみると意外にしなやかな質感があるな、という風に認識も変わってきた。

この人の弱点は打鍵の(おそらくは生来的な)弱さだと思うけれど、鳴っている音の粒立ちの良さとピュアさはそれを補って余りある。 圧倒されるものは
感じないけれど、それでも現時点のジャズというフィールドでピアノをここまで純粋に聴かせることができる人はあまりいないのではないだろうか。
ECMを含めて美音系ピアニストは世界中に存在するし、高度な録音技術の汎用化で音の質感だけで誰のピアノなのかを識別することはもはや難しいけど、
そういう副次的なところではなく、奏でられるピアノ音楽そのものの中に聴く者を黙らせるものがあるのは間違いない。 現にこれだけの量にもかかわらず
飽きることなく何度でも聴き通せるのだ。

50~60年代の演奏を思うと、ジャズピアノというのはなんと様変わりしたことか。 パーカーやマイルスに聴かせたら、これのどこがジャズなんだ?
と言うかもしれない。 でも、ジャズという音楽は常に変わっていくものだということを証明したのはあなたたちじゃないか、と我々は返すしかない。
現在この人が多くのポピュラリティーを獲得しているということがそれを物語っている。 私もこれからはもう少し前向きに聴いてみようと思うようになった。


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