jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

夏のエコ対策の優れもの

2016-07-29 | リフォーム

昨年、リフォームした施工会社から、「見学させて欲しい」と連絡が。

今まで、2、3回、そうした依頼がありましたが、まだ決定していない方々の複数組だったのでお断りしていましたが、今回は、ほぼ決定している1組で、設備と内装の参考というのでOKを出しました。

 

OKと言ったものの、さぁ、大変、片付けと掃除。しばらくまともに掃除もせず、一年半近く経つと生活臭が滲んできている。限りなく「展示場」の雰囲気に近づけようと二日間、汗だくになって仕上げた。

 

ご主人が一番、気に入ったものが吐き出し窓に取り付けた「ブラインド式電動シャッター」。ブレード(羽根)の角度が可変なので外からの光と空気の取り入れと視線をコントロールできる優れもの。

 

 

 

 

特に夏場は、葦や簾等々の遮光ぶつを掛ける必要がなく外観がスッキリし、風がある夜など窓を解放すればエアコンは要らないほど涼しく、まるでビア・ガーデンに。また、予約タイマー式なので朝・晩、定時に自動開閉し、大変便利ですね。

 

こちらは小、中窓用の通称、「エコ面格子と」呼ばれるもの。ブレードの開閉は電動ではなく手動となりますが、原理は同じで外からの視線を遮りながら空気を通せます。隣家と接近してたり、向かえの家の2階からの視線には特に有効ですね。しかも基本的にカーテンは不要になります。

 

 

一言でいえば、どちらも一種の「外付けブラインド」ですね。

帰り際に「リフォームして一年半経ったとは思えないほどスッキリしてますね」と言われた。

汗だくになった甲斐がありました。

 

どうでもいいことですが、展示場に倣ってBGMに選んだ一枚は、MEHLDAUの‘Art of the Trio Vol.1’。

Gooですね。

 

 

 

 


PURE ? ・・・・・ NEXUS / JOHN KLEMMER

2016-07-25 | ジャズ・ts

 

 

1979年、突如、フュージョン界で活躍していたクレマーからデュオ、トリオというフォーマットでシビアなアルバムが発表され驚きをもって迎えられた。

曲目からしてロリンズ、特にコルトレーンに挑戦したかのような2枚組。弥が上にも力量が問われる。

まぁ、崖からパラシュート無しで飛び降りる心境だったのかもしれない。

J・クレマーはそれほどメジャーなts奏者ではないけれど、70年代に入りインパルスから「ソフト&メロー」なアルバムを出すにつれ名も知れ渡り、そのギャップの大きさから、当時かなり反響を呼んだ。

ただ、フュージョン作品との対比という物差しだけで、本作を語るのはどうでしょうか?

もう少しクレマーのキャリアを遡ってみよう。

彼の初リーダー作は、1967年5月にCADETに録音された‘INVOLVEMENT’で、その頃のジャズ・シーンの空気をうまく吸収、反映しながらスタンダード曲ではまだ20歳とは思えぬ確りしたtsを聴かせている。

NHKの「ジャズ・フラッシュ」で司会の児山紀芳氏は「有望な新人sax奏者の登場」とこのアルバムをリアルタイムで紹介し、同時に取り上げられたのがG・バーツの「リブラ」だった。

その後、カデットから数作、リリースしているが、今ひとつ、クレマーの実像が絞り切れないまま甘目のフュージョンに突入し、「もう、アカン」と思った矢先に本作が・・・・・・・

 

休火山の突然の噴火は一部から「硬派の名盤」と高評価を得ているようだが、何度聴き直しても、自分はそれほどポジティブになれない。クレマーがハードに吹けば吹くほどbとds、或いはds、二人の存在が希薄になり、そもそもそれほどアドリブ自体に味があるわけでもないクレマーの独演会に終始している。コルトレーン・ライクに、幾らシリアスに吹いてもクレマーの本心が見えてこない。

自ら、本作を‘Pure Jazz’と自画自賛した時点で、噴煙の高さは限界を・・・・・・・・

その後、クレマーが大噴火したとの記憶もない。

 


惜しい!!!・・・・・ EAST BROADWAY RUN DOWN / SONNY ROLLINS

2016-07-16 | ジャズ・ts

 

 

先日、Daysに寄った際の事。

アイラーのラスト・レコーディングが流れると、先に居た一人から「ロリンズのイースト・ブロードウェイ・・・・・の方がいいよ」と。

マスターは次にコルトレーンの「クレッセント」を予定していたが、急遽、本作に変更。

自分はこのレコードがあまり解らないので、流れる前に「どのあたりが良いのですか?A面?B面?ですか」と、その方に訊ねると「なんか、グッとくるんだよね」とだけ。確かに、いきなり訊かれると返答に困りますよね。失礼しました。

このレコードはまだコルトレーンが生きている1966年に録音、リリースされ、メンバーも強力で、当時、コルトレーンに対抗した「ロリンズ流フリー・ジャズ」と話題にもなった。

 

本作が果してフリー・ジャズなのか?は兎も角、自分がよく解らないと思う点は、A面の1曲しか参加していないハバードの使い方。全曲参加させた方がよかったのでは?ハバードの破天荒でコントロールが利いたソロを聴くと、勿体ないなぁ、と思う。それか、全曲トリオのほうが統一感があったのでは。

コルトレーンはフリー・ジャズと心中する覚悟を決めていたが、ロリンズにはそこまでの覚悟はなく、その象徴的なスタンスが本作と言える。

 

話がわき道に逸れますが、61年にロリンズが再起した時のジャズ・クラブの演奏をコルトレーンの夫人はその模様をテープに録音し、ヨーロッパを巡演中のコルトレーンに送り、ロリンズの動向を常にチェックしていたそうです。ただ、当時、既にポータブル・レコーダーが有ったのか、と疑問が残りますが、その位、コルトレーンは的を絞っていた事が容易に想像できます。

また、コルトレーンが61年にインパルスと契約する際、マイルスのやり方を見習い代理人を立て、しかもマイルスと同じ代理人で高額の契約金(3年・5万ドル)を獲得している。更に64年の再契約時にはアルバム作り~リリースまで、ほぼ全権を得たようです。確かに、翌65年になると、夥しいほど録音している。学習能力に長け、強かですね。

その点、ロリンズは「お坊ちゃん」ですかね。RCAとの契約が終わり、コルトレーンの優遇契約を耳にしてインパルスと契約するわけですが、代理人を立てなかったそうで、後に「何も専門的な知識もないオレは、うまいこと搾取された」と愚痴っている。ヒットした‘ALFIE’の取り分のことかもしれない。また、この「イースト・ブロードウェイ・・・・・」について、親会社の担当重役から「こんな作品なんか作るから、売れないんだ!」と激しく叱責され、プライドを大きく傷つけられたロリンズはその後の録音を拒否したそうです。となると契約違反となった可能性が高いですね。72年まで新録が途絶えた事実からすると、ロリンズの心中は計りしれません。

逸れついでにもう一つ。1968年と思いますが、ロリンズが来日した時の事。TVの歌謡番組を観ていたら、いきなりロリンズがブラウン管に現われ驚いた。更にビックリしたのは、何と西郷輝彦の歌伴で「マック・ザ・ナイフ(モリタート)」を演り出したのです。「サービス精神」旺盛と言えば、聞こえはいいかもしれないが、なにもそこまで・・・・・・・と思った記憶があります。ま、その大らかさがロリンズの魅力の一つかも。

 

話を戻すと、この録音はヴァン・ゲルダー・スタジオで1日で終わっている。

「フリーごっこ」(A-1の後半)なんて止め、4人のそれこそガチンコ勝負で5曲位、録音出来なかったのか?1曲しか参加できなかったハバードはどんな思いでスタジオを後にしたのだろうか?

担当重役は、コマーシャルな意味ではなく、その中途半端な「甘さ」を衝いたのだろう。間違っていないと思う。

 

そう言えば、明日はコルトレーンの命日ですね。 


半世紀経っても、未だに新鮮な響きが ・・・・・ CHARLES LLOYD / IN EUROPE & IN THE SOVIET UNION

2016-07-10 | ジャズ・ts

7月になると、デパートの夏物セールが始まりカミさんの買物に付き合わされる。一段落して、JR高島屋の上層階にある本屋へ。「キースを聴け!」を見つけパラパラと。

本作が「忘れられた名盤のトップ・ランク」(だったような気が?)とコメントされ、UPされていた。

 

 

1966年11月29日、ノルウェーのオスロでのライブもの。確かに、あの‘FOREST FLIOWER’があまりにも有名なので、つい聴き逃し勝ちになりますが、メンバーも同じで、しかもほんの二ヶ月半後なのでなかなかいいですね。

当時の「フラワー・ムーブメント」という社会現象と結びつき「サイケデリック・ジャズ」と安っぽい表現をされたが、ロイド・グループの演奏コンセプトは実はフリー・ジャズ・イディオムをベースにロック・ビートやその他の音楽のリズムを巧みに取り入れ、融合させた全く新しいジャズ・スタイルだった。

ジャズという既成概念、規範に囚われることなく、ひたすら自分のスタイルを追及し、見事にジャズ・ファンの感性を捉えたのです。

ロイドの凄まじい人気に「機を見るに敏な商売人」などとチクる方々がいましたが、ロイドの感性に追いついていけなかっただけのこと。

 

ロイドのtsは初め、コルトレーンのエピゴーネンと見做されていたが、この頃になると、むしろアイラーに近いサウンドとなっている。

B-2の‘European Fantasy’なんか、実にスピリチュアルな演奏でアイラーのラスト・レコーディングを聴いているような錯覚に陥る。4年も前という所がなんとも興味深いですね。

また、TOPの‘Tagore’でのデジョネットの革新的なドラミングは、このグループのポテンシャルの高さを暗示している。

録音が凄く良く、‘Manhattan Carousel’におけるC・マクビーのbソロは鳥肌ものですよ。

なお、聴衆の拍手が意図的にブースト?され、不自然に聴こえますが、内容とは無関係と割り切っている。まさかスタジオ録音に被せたとは思えませんが・・・・・・・

 

ページを捲ると‘IN THE SOVIET UNION’が。 

 

 

翌1967年5月14日、旧ソビエト連邦エストニア共和国のタリン市のジャズ・フェスティバルでライヴ録音されたもので、‘IN EUROPE’が「忘れられた名盤」と言うなら、本作は「知られざる大傑作」か?、と思ったら意外にもあっさりと、「熱い演奏」で終わっている。

誰が聴いてもこちらの方が圧倒的に優れているのになぁ。30分以上もスタンディング・オベーションが止まなかったという伝説のステージです。なにか別の思惑が有ったのかもしれない。

特にA-2、‘Sweet Georgia Bright’はもうぶち切れフリー・ジャズだが、、これ以上突き進むとOBというギリギリのラインで留まっている所が真にスリリング!これぞロイド・ジャズの真骨頂ですね。

インスピレーションに富んだキースのpは底知れぬ才能をまざまざと見せ付けるし、ロイドもデジョネットも、マクビーと替わったR・マックルーアも、もうキレまくっているよ。

興奮が渦巻くラスト・ナンバー‘Tribal Dance’も凄い!としか言い様がありません。コルトレーンをリズミカルにしたロイドの踊るようなtsに煽られる。

それにしてもこの日のキース、とても人間業と思えない。

 

ただ、残念な事に本作がリリースされたのは、1970年になってから。その時、既にこのグループは解散していて、しかも、潮目がエレクトリック・ジャズに移り変わろうとした時期に重なったのが痛く、米国DB誌では‘Make no mistake, this is an excellent album'と評され★★★★1/2と高得点を得たものの、我が国ではこの頃のロイドを色眼鏡で見る人が少なくなくほとんど話題に登らなかった。

個人的に「不滅の名演」と思っているのですが・・・・・・・

未聴の方は、勇気を出して(笑)是非、聴いてみてください。期待は決して裏切られません。

「太く短く」、鮮やかに散った象徴的なグループでした。


すっきり サマー・カット ・・・・・ カメラ嫌いの レノン

2016-07-05 | ペット

 

 

久々にレノンのup。今月の24日にもう10歳に。

急に暑くなり、気が付くとソファからひんやりするフローリングの上に移っているケースが多くなったので慌ててカットに。

大のカメラ嫌いで撮ろうとすると、すぐ動き出すのですが、今日はスッキリして気分がよかったのでしょう。

相変わらず元気で、散歩で「いくつ?4~5歳?」と聞かれるほど。

まだまだです。