jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

正真正銘の当り発掘盤 ・・・ AT THE CLUB / FREDDIE HUBBARD

2020-08-23 | Legacy of Freddie Hubbard

 

一昨年の暮れ辺りに発表された発掘音源CD。

パーソネルは、

Freddie Hubbard (tp,flh)、Bob Sheppard (ts,fl)、Hilton Ruiz (p)、Herbie Lewis (b)、Carl Allen (ds)

録音は1983年3月、ロンドンのクラブ「Roundhouse」。

このハバードを一言でいい表せば「スーパー・カー」でしょう。神業的テクニックを駆使して疾走するスリリングでスケールの大きな世界はスタンダード・カーとは別次元。

心・技・体、三位一体となった熱演は彼の全キャリアの中でも屈指のレベルです。もっとも、「スーパー・カー」に興味がなく四畳半的ジャズを好むファンには ・・・・・・・

収録曲もお馴染みものばかりですが、メンバーがガラッと新しくなった分、受ける印象も異なり新鮮に聴けます。この後、名を上げていくC・アレンの若さ溢れるドラミングもGooですよ。ハバード学校の卒業生は結構、多いですね。

ハバードを「テクニックだけの人」と蔑むコメントを時々、見たり聞いたりするけれど、それで何十年も生き延びれるほどジャズ界は甘くない。マイルスが言った、と保険を掛けているけれど、本当にそう言ったのか、甚だ疑問です。同じトランペッターなら力量は解るはず。裏を返せば「ジェラシー、コンプレックス」を感じていると告白しているのも同然で、マイルスはそんな度量の狭さをあからさまに口にするタイプではない。恐らく、ある特定の立場にいるマイルス信奉者がある目的をもって一部を切取り、拡大解釈、もしくは曲解して拡散させたのでは? マイルスにしてみれば迷惑な話だが、拡散者は「忖度」の一字だったのだろう。

 

 

3曲目”Littel Sunflower”からの後半が好きです。中でも、C・ウォルトンの名作”Bolivia”は最高、リズミカルながらシャープに攻め込むハバード、白熱化するルイツのp、シェパードのts、そして、最後を見事に締めるハバード、これぞライブの醍醐味。名実ともにモダン・トランペッターNo.1の存在を明らかにしている。この音源はもっと早く世に出されるべきでしたね。

正真正銘の「当り発掘盤」。

これからも、どんどんハバードの発掘盤が出てきて、讒言者達を蒼褪めさすといい(笑)。

 

 

 


会心のライブ・・・・・ ROLLIN' / FREDDIE HUBBARD

2020-08-16 | Legacy of Freddie Hubbard

 

インディアナポリスでちょっとペットが上手いと評判のチンピラがNYに上京したのが1958年、マイルス、ドーハム、ファーマーと言った大先輩やバードを始めとする若手達、そして同い年(二十歳)のモーガンとリトルとtp界は錚錚たる人材に溢れていた。しかも、モーガンは既に何枚も、リトルも同年、初リーダー作を吹き込むという状況に対し、ハバードにはサイドで入る位でこれと言った足あとは見当たらない。

ハバードが頭角を現したのは60年に入ってからで、ドルフィーの初リーダー作「惑星」の相棒に抜擢され、また、BNで初リーダー作”OPEN SESAME"を吹き込み、そして、コールマンの”FREE JAZZ”に起用と、一気に「出遅れ」を詰めた。

彼のキャリアの中で、Columbia時代(1974~1979年)の緩い作品にバッシングする人がいるけれど、CTI時代の成功により、金、地位(常勝マイルスを抜き人気No.1)、女(美人モデルと再婚)、そして名誉(グラミー受賞)等々、全てを手に入れ、成上り者気分でちょっと脇が甘くなるのも不思議ではなく、もう少し広い分野までトライしてみようと野望を持ったのではないかな。V.S.O.P.の他、死後、発掘された音源を聴くと、スタジオものとライブものギャップが大きく、当時、使い分けていたフシが有りますね。

1981年5月2日、ドイツ、VILLINGEN JAZZ FESTIVALでのライブもの。リアルタイムでリリースされている。

些かシンプル過ぎるカヴァで、何とも無邪気なボーズが微笑ましいけれど、自分を過小評価しているのではないか、とさえ思える。

”One Of  Another Kind”、“Here 's That Rainy Day”、”Up Jumped Spring”など代表的なレパートリーを網羅(7曲)し、堂々たる「王道」が繰り広げられ、クオリティの高さがオーディエンスの反応の良さに現れている。

1曲1曲の演奏時間も均して7分弱とコンパクトに仕上げ、ライブにありがちなテンションの不用意な隙を作っていないのも好感が持てます。

一番好きな曲は愛妻にデディケートした”Brigitte”、情感をたっぷり湛えたプレイは絶品です。B・チャイルズのpも良いですね。

詳しくは知りませんが、チャイルズは90年代、グラミー賞を3度?も受賞するほど成長している。あまり語られませんが、ハバードは無名時代のケイブルス、バロンも自分のバンドで育てており、その功績はもっと評価されていい。

 

 

ラストのカリプソ・ナンバー”Breaking Point”でビシッと着地を決めるハバード、アンコールの嵐は止まなかった。

ハバード、会心の一枚。


LEGACY OF FREDDIE HUBBARD (12) ・・・・・ BACKLASH

2020-08-09 | Legacy of Freddie Hubbard

 

 

1966年はコルトレーンが初めて日本の土を踏み(7月)、わが国のモダン・ジャズ・ブームが空前の盛り上がりを見せた年ですね。その頃、まだ、ジャズのジャの字も知らなかったが、新聞にステージの異様な模様が報道され、そんな音楽の世界が存在するものだ、と強烈な印象を受けた。

当時のジャズの潮流はコルトレーンが牽引する所謂「アヴァンギャルド」で、前年(65年)の”ASCENSION”に参加していたハバードもS・J誌では「前衛の闘士」として紹介されているほど。A・シェップは「コルトレーンが”ASCENSION”でしようとしたことを本当に理解出来たのはオレとハバードだけだった」と語っており、まんざら的外れではなかったようです(笑)。

そうした時代背景の中、BNからアトランティックに移ったハバードの1stアルバム”BACKLASH”が録音されたのがこの年(1966年10月19日)で、予想に反しソウル・ミュージックをも取り入れ、「すべてのものに興味を持ち、自ら制限を設けない」と、ライナー・ノーツで語っている通り、実に自由奔放な作品だった。

ハバードのリーダー、サイドの作品を時系列に辿っていくと、もうBNというマイナー・レーベルの枠内では収まり切らない力量を既に身に着けていて、BN最後の録音となる1966年3月5日の2曲(後年発表)を聴くと、なぜ、一枚分、続きが録音されなかったのか、よく分かります。つまり、その兆候は既に”BLUE SPIRITS”(BN4196)に表れており、「新主流派」スタイルに拘らず新しいフィールドへチャレンジしたい思いが強く募ったのだろう。「新主流派」スタイルの先導的役割を果たしたハバードにとって当然の帰結です。

因みにマイルスは”MILES SMILES”(1966年)、”SORCERER”(1967年)”NEFERTITI”(1967年)を録音している。

 

キャッチーなソウル・ナンバー2曲、ラテン・フレーバーを粋に効かし、彼の代表作になった“Little Sunflower”、スリリングな”On The Queー Tee”、J・M時代からの人気ワルツ曲”Up Jumped Spring”、そしてミンガス調の”Echoes Of Blue”と実に多彩ですが、総花的になっていないのは、自信と確信に裏打ちされた「チャレンジ・スピリット」が貫いている証です。

サイドもいい仕事をしていますよ。スポールディングはあの辛口評論家の粟村氏が高く評価していたas奏者ですが、ここではflでも貢献しています。また、後にゲッツに気に入られ、活躍するA・デイリー(p)の小気味いいプレイも聞き逃せません。

特に好きな曲は”Up Jumped Spring”でリリカルな曲想の中、徐々に音を詰め込んでいくハバードの背後からアップルトン(ds)がビシバシと打ち込む展開が何とも言えない快感を呼びます。

半世紀以上も前の録音なのに今の耳で聴いても、その刺激性はちっとも色褪せていません。それどころか急成長中の若者が放つ「オーラ」さえ感じさせ、これはちょっとした傑作ですね。