jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

A NIGHT AT THE OPEN DOOR / TONY FRUSCELLA

2019-02-23 | ジャズ・tp

 

最近、CDの音の調子が頗る良い。理由はCDプレイヤー専用の電源取りの組合せ(コンセントと電源コード)を色々試し、吉が出た。まるで化学実験しているようで上手くいく時もあれば、さっぱりの場合もあり、面倒ですがなかなか楽しい。

そうなると久し振りに出掛け、一枚を。1953年の音源ですが寡作家のFRUSCELLAとなれば大いに興味が湧きます。如何にも「ハイ、やってますよ」といった顔付きカヴァですね。

場所はNYのワシントン・スクエア南のクラブ”OPEN DOOR”でのライヴ、3曲がFRUSCELLA(tp)のカルテット、5曲がB・MOORE(ts)が加わったクインテット。さすがに所々、歪みが出ていますが、この手の音源としては上等な音ですね。

 

 

D・モーガンスターンに「トランペットの詩人」と紹介され、人気の唯一の12㌅リーダー作(アトランティク)同様、渋さ加減が良いですね。カルテットでは”Loverman”に眼が行きますが、ここは”Night In Tunisia”が思いの外Gooですよ。

クインテットでは「伝説の名手」B・MOOREが実力通りのプレイを聴かせてくれ、FRUSCELLAとの相性も問題ないけれど、どうせならFRUSCELLAのワン・ホーンだったらなぁ~と思ってしまう。でも、やはりMOOREのtsも良いなぁ。

 

こちらはP・ウッズとのライヴもの(10㌅、再発盤)

 

 

音が団子気味ですが、こちらにも”Night In Tunisia”が入っていてフラッセラのお気に入りナンバーなんでしょう。

1955年なので、二人共、状態が良い時ですね。

 

 

この人も「逃れられなかった」一人、いい味を持っているのに。


LIVE AT CAFE DES COPAINS / STANLEY COWELL

2019-02-17 | ジャズ・p

 

カウエルは1941年生まれでハンコック、コリアと同世代にも拘わらず、初レコーディングがM・ブラウンの”WHY NOT”(ESP 1966年)とニュージャズ畑だったため、名の浸透に後れを取ったけれど、A・ベイツにその資質を認められリーダー作”BLUES FOR THE VIETCONG”、”BRILLIANT CIRCLES”を吹き込み、また、C・トリヴァーと組んだ「MUSIC INC」が人気を博し、漸く「次代を担う逸材」として認知される存在に。

しかし、自主レーベル「ストラタ・イースト」の運営について起きたごたごたに創作意欲を削がれたのか、ロリンズ、ペッパー、ゲッツ等々のサイドの道を選び、その後、あまりパッとしなくなった。

このアルバムは忘れかけそうになった頃、たまたま見つけたもので、1985年、生まれ故郷トレドでのソロ・ライブもの。FM放送?も前提としてレコード化されたもので、ロケーションを考慮してマチュアなプレイに終始している。「ESP」出身とは誰も想像出来ないだろう。

 

 

こちらは1975年に録音された”REGENERATION”。当時、トレンドでもあったアフリカの民族音楽にアプローチしたもので、スピリチュアル・ジャズとも言われるけど、よう分かりません。この作品を聴くと、そもそもカウエルは良い悪いは兎も角、メジャー志向が希薄だったのでは、と思える。

 

 

 

 

 

A・ペッパー・グループに在団中、”WINTER MOON”の翌日に録音された”ONE SEPTEMBER AFTERNOON”。メンバーは同じでストリングスを外したコンボ・スタイルの作品。ペッパーは好調さを維持していて、あまり表に出てこないアルバムですがなかなかの好盤。

その昔、些細なことがきっかけで評論家の間でペッパーの「前期 vs 後期」論争が勃発した。「復帰後」のペッパーを認めないと強硬主張する辛口評論家と日頃から快く思っていなかった復帰後の後期擁護家(派)が衝突したお家騒動(笑)ですね。両者の論点にずれがある為、不毛の論争に終わったが、失礼ながらなかなか面白かった。「ずれ」とは「(レコード上の)演奏クオリティ 対 人間味を重視したトータルの演奏内容」だったと記憶する。一人のミュージシャンを期間を分けるのは如何なものかと思いますが、後期派は前期も認めている点が前期派と異なる。

このレコードのB-2に入っているカウエルのオリジナル”Goodbye Again”を聴いてみよう。一つのヒントになるかも。

 

 

もし、過去に辛い別れ、そして深い傷を負っていたとしたら、込み上げる感情に果たして耐えられるだろうか。哀しみの度合いによっては慟哭するかもしれない。ペッパーのアルトはまるで人知れず心の奥底にずっと抑え込んでいたものを容赦なく抉り出すように響く。ヤクにより天才的な閃きは奪われたが、その代わり絶望を味わい地獄の淵から這い上がった者にだけ許される一種の魔力を以て、聴く人に「感動、感銘」を与えるミュージシャンになった。

恐らく、ペッパーは「この曲はオレを全面に演らせてくれ」とカウエルに願ったのだろう。こんなプレイをしてくれたらカウエルも作曲者冥利に尽きるというもの。

 

ちょうど10年前の2009年1月28日、名古屋の覚王山にある老舗ライブ・ハウス‘STAR EYES’にC・トリヴァーのビッグ・バンドがやって来た。総勢16名の中に”WHY NOT”とトリヴァーの”THE RINGER”のプレイにぞっこん惚れ込んだカウエルの姿が。

卓越した品格あるピアノさばきにかっての「逸材」の面影は些かも消えていなかった。


LEGACY OF FREDDIE HUBBARD(9)・・・・・ BLUESNIK / JACKIE McLEAN

2019-02-09 | Legacy of Freddie Hubbard

 

マイルスの写真を撮り続け、少し前に「マイルス・デイビス写真集・NO PICTURE!」を上梓したフォトグラファー・内山繁氏によると、マイルスの不可解な、また理不尽とも思える言動は「ボスとしての立ち振る舞い」からだそうで、そうすると「真意」は別のところに、又は真意ではない可能性も無くはない。

マイルスのハバードに対するネガティブな発言の一部がそれなりの立場の方に意図的に?切り取り拡散され、巷で錦の御旗のように利用されたことは残念に思う。

 

まずデビュー間もない60年代前半のジャズ史とハバードのキャリアを照らし合わせると、この男の力量、そして適応力、順応性はずば抜けている。

BNでのリーダー、サイド作の他、例えば、ドルフィーの”OUTWARD BOUND”、コールマンの”FREE JAZZ”、O・ネルソンの”THE BLUES AND THE ABUSTRACT TRUTH”、コルトレーンの”OLE"、Q・ジョーンズの”QUINTESSENCE”、エヴァンスの”INTERPALY”等々、サイドとして話題・人気・名作は枚挙に遑が無い。

これは相手のリーダー、プロデューサーから「あいつなら大丈夫、間違いなくしっかり演ってくれる」と信用・信頼を得ている証拠です。もし、貴方が仕事で新しくプロジェクト・チームを組む際、右腕になる相棒を「テクニック」、「器用」で人選しますか?しかも、「目立ちたがり屋」だとしたら声を掛けますか?答えは火を見るより明らかでしょう。ここが一番重要なポイント。

 

サイドとして素晴らしいアシストをしているアルバムを、

 

 

ジャズのコアとも言えるブルースに再びスポットを当てる機運が高まっていた1961年1月8日録音。一ヶ月後にはO・ネルソンの”THE BLUES AND THE ABUSTRACT TRUTH”も生まれている。

ハードバップに限界、疑問を感じ、O・コールマンの演奏に激しいショックを受けたマクリーン、新しい道への手応えを得たかのよう意欲が充満したプレイを展開している。一方、半年ほど前にBN・初リーダー作を吹き込み、僅か3週間前、コールマンの”FREE JAZZ”に参加したばかりのハバードの50年代のハードバップ臭を些かも感じさせないフレッシュなソロが何と言っても聴きもの。TOPのタイトル曲ではセント・トーマスのワンフレーズを織り込む大胆さと全編に亘り22歳とは思えぬ腹が据わったスケールの大きいプレイでマクリーンの期待に充分応えている。

もう一枚分かり易い事例を、

”THE BLUES AND THE ABUSTRACT TRUTH”で共演したハバードを相棒に選んだ一枚。やや畑違いのエヴァンスの世界にハバードが慣れるまで時間を要したそうですが、ハバードの新しい感性に刺激されたのかエヴァンスは気持ちよく最高にSwingし、J・HALLも弾きまくり、反対にハバードは結構クールに適応。エヴァンスの狙いが見事に的中している。

リリースに関して慎重でハードルが高いエヴァンスがすんなりOKを出した作品。

 

 

反対に、一ヶ月後に録音したZ・シムスとのセッションは「OK」を出さず、1992年までフルサイズで日の目を見ることは無かった。「シムスはゲッツではなかった」と言う方がいるけれど、エヴァンスはゲッツとのセッション(1964年)もリアルタイムでは「ボツ」にしているのでこの説は強引過ぎます。ただ、選曲にハンディが有ったとしてもシムスの適応力に問題があった事は当たらずとも遠からずだろう。

 

話を戻すと、

80年代、ハバードがクラブ出演中、マイルスが楽屋に訪れ、二人仲良く写真に納まっている。この時、マイルスはサイドのA・フォスターに会いに来た、と言ったそうですが、案外、ハバードが目当てだったのではないかな。マイルスはそう言う男だから。

”BLUSNIK”を未聴の貴方、要らぬお節介ですが、是非耳通しを。内容は◎です。  


HOWARD McGHEE ・・・・・ 「人生はチェリーがいっぱいのように楽しいものよ」

2019-02-02 | ジャズ・tp

 

 

マギーは好きな一人ですが、本作はアバウトな予備知識では自分の守備範囲から少々ズレていると思っていた。

ミュージカル映画の挿入歌を題材に木管楽器5本のアンサンブルをバックにマギーがフューチュアーされ、しかも収録曲数が12となると、制作コンセプトは凡そ見当が付きます。でも、いざ眼の前にするとそう簡単に外せない。

迷った末、売れていれば縁が無かったと諦められるしと、もう一度出掛けた。同じ場所にじっと自分を待っていた。

カヴァは二つの角がほんの僅か凹み、バックにちょっとした擦れとシミが一ヶ所ありますが、コーティングは見事なほど綺麗でかすり傷が微かなNM⁻、盤質は目視で傷なしのNM⁺とコンディションは極上、 もうスルーする手はないですね。

 

 

自分のマギーのストライク・ゾーンはモダン派と組んだコンボ・スタイル、中でも”DUSTY BLUE”、"SHARP EDGE”辺りなので、想定していた通りの演奏に「やっぱりなぁ~」と。でも、不思議に落胆はしなかった。限られた短いソロ・スペースの中にマギーの翳りのある一匹狼風ダンディズムは充分ではないけれど聴き取れるし、F・ハンターの緩めでほんわかしたアレンジ・ワークは思いの外、自分と周波数が合い、決めて正解と思った。

 

 

この作品は一般向けというより玄人好み、コレクターズ・アイテムの色が濃いですね。

暖炉に火を入れヴィンテージ・スピーカーを真空管でドライヴ、そんな時このマギーは堪らないかも・・・・・・・、 ”Life Is Just A Bowl Of Cherries”