下北沢と歩んだジャズバー「レディ・ジェーン」が先月の13日に半世紀の歴史に幕を下ろした記事が新聞に載った。何でも松田優作や中島みゆきも通ったそうです。この記事を見た時、初めは「レディ・ジェーン」って?、「メァリー・ジェーン」(ジャズ喫茶)の間違いではないか?と思ったけれど、「メァリー・ジェーン」は確か、渋谷だったのでは、と思いながら記事を読むと、全く別でこちらは下北沢のジャズバーでした。今回店を閉めることになったのは、再開発に伴い立ち退きを求められたようです。現役時代、仕事関係で4~5回、下北沢の街に寄ったことがあり、記憶では路地が沢山あり、そこを多くの人が行き来し、言葉で表現し難い独特の下町風情に溢れていた。
この記事にも「街にも路地が必要だし、人が路地をつくり、街が人をつくる。下北沢には路地があったから演劇の街、音楽の街になったのだ」と書かれている。30年近くも前、自分が感じたものがこれだったのだ。このお店には行ったことがありませんが、マスター自身が言われるように50年近く多くの人に親しまれた事には誇りを持っていいと思います。それだけに残念ですね。
急に東京のジャズ喫茶の思い出が蘇りました。「響」(神保町)、スマイル(お茶の水)、木馬(歌舞伎町)、DUG(新宿)、マイルストーン(高田馬場)、いーぐる(四谷)、メグ(吉祥寺)、A&F(吉祥寺)等々、渋谷は「映画館」の他に何件かありますが、店の名が入り混じっている。また、横浜では「ちぐさ」と「ダウンビート」です。昔はスマホ(グーグルマップ)など無く、慣れない土地で探し当てるのが難儀でしたが、その分、中身が濃かった。今、生き残っている店はほんの僅かだろう。地方も含め生き続けてほしい。昭和を象徴する文化の一つですね。
止むを得ないとは言え、再開発の名の下で「路地」が消えていくのは忍びない。京都の先斗町、木屋町、祇園の例を挙げるまでもなく日本の文化は「路地」から生まれ育まれて来た、と言っても過言ではない。路地裏の先に何が・・・・・、生きるためには好奇心を擽るような空間も必要なんです。