前述(2/10付け)のディスクユニオンのウォントリスト VOL.5には”READY FOR FREDDIE”(BLP 4085)がUpされていたけれど、残念にも所有盤はSTEREO盤(BST84085)だった。その代わりと言っては何ですが、”HUB CAP”のMONO盤・BLP4073を持っている。もう30年以上も前、記憶に間違いなければ、DU吉祥寺店で購入した一枚。諭吉(旧札)2枚で釣りがチャリ銭だった。もし、ウォントリストにUpされたら査定価格はいくらだろうか(笑)。
レナード・フェザーによるライナーノーツの冒頭で、マイルスに「この一年間で、本当に感心した若いソロイストは誰か?」と問い掛けると、”Ⅰ’ll tell you one young trumpet playerIreally like ー Freddie Hubbard”と答えが返ってきた、と書かれている。
4040(OPEN SESAME)、4056(GOIN’ UP)、そして本作とほぼ5ヶ月おきに吹き込まれたこの第3作目は、それまでのハードバップ路線とは、異なる新鮮なサウンドを提示している。それはドルフィー、コールマンとの共演、録音体験からくるもので、重要なのは後年、「新主流派」と呼ばれる演奏コンセプトの萌芽が本作で初めてブルーノート・レーベルに記録された点である。
それにしても、ハバードの一作一作毎に進化するスピードに驚かされる。本作では、ソロイストだけではなく、セッション・リーダー、そしてコンポーザー(4曲提供)としての存在感を早くも揺るぎない地点まで押し上げている。この時(1961.4.9)、BNからデビューして未だ1年も経たず、しかも、わずか23才になったばかりである。
本作をtbを加えた3管編成にしたのは、ただ単にサウンドに変化を付けるだけでなく、ブレイキーの3管ジャズ・メッセンジャーズ誕生を念頭に置いていたとしても不思議ではなく、事実、本作から暫らくして、ハバードはモーガンに替わって花形ポジションを手に入れることになるが、それもこれも、ハバードがジャズ・ミュージシャンとしてトータルな面で非凡な才能を有していたことを、ブレイキーが見抜いたのだろう。なお、この録音の直後(14、20日)、ハバードは本作でサイドで入っているJ・ヒースの”THE QUOTA”(RIVERSIDE RLP372)の録音に参加している。ここにはpのウォルトンも参加していてBLUE NOTEとRIVERSIDEがメンバーを融通し合っている所が興味深い。
1989年5月に臨時増刊されたスイング・ジャーナル誌「新説ジャズ名盤・ウラ名盤」に本作がUpされている。山口弘滋という方が評を執筆されていますが、本作を中心に初リーダー作”OPEN SESAME”(1960年6月)から70年代、80年代の立ち位置、魅力を総括しながら、僻目なくポジティブに展開する様はお見事です。その一部を紹介すると「本作に展開されるハーモニーの新しさはモードによる理論的なバック・ボーンと、フリー・フォームによるコレクティブ・インプロビゼーションから生まれてきたものだ。つまりは60年代ジャズを象徴する新主流派の音楽形態が、この作品によって明確に示されたといっていい。ハード・バップの行き詰まりをハーモニーと編曲重視で打開しようとハバードはまさに60年代を通じてもっとも存在感のあるトランぺッターだった。70年代に入り 新しい分野へのトライやメインストリーマーとして円熟した活動を通じ、 ・・・・・・・ 、そして 86年、87年のマウント・フジ・ジャズ祭のステージでのプレイはかっての新主流派のホープから、ベテランとしての味わいの色を濃くしているが、やはり、現代ジャズ・シーンの重要なプレイヤーのひとりである」。実に明晰な分析による明瞭な評に感動をすら覚えた。レコード評の一つの鑑ですね。
L・フェザーはライナーノーツの最後をこう締めくくっている。”Hub Cap makes an important new steps in Freddie Hubbard's career as ambitious young playing and writing talent". 山口氏といい、フェザー氏といい、共にミュージシャンに対するリスペクトの念が充溢している。
ちょっと横道にそれますが、本アルバムのインナー・スリーブ(中袋)です。もうお気づきですね。右下の一枚です。
”BACK TO THE TRACKS / TINA BROOKS”が写っています。BNのカタログにも載り、カヴァからレコード・ナンバー(4052)まで決まりながら、リリース直前で見送られ、一時、「超幻の一枚」と騒がれたブルックスの3枚目のリーダー作です。音源が初めて世に出たのは1985年にモザイク・レーベルからのLP四枚組BOXセットですが、オリジナル・カヴァで出たのは1990年が初めて、それもBNの国内LPを15枚購入の特典盤として。
ハバードとブルックスは二度、共演している。ハバードの初リーダー作 ”OPEN SESAME”(4040)とブルックスの2作目”TURE BLUE”(4052)。その後、二人は「明暗」を分けた。