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jazz and freedom and avenger

JAZZを聴きながら勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

”one young trumpet playerIreally like” (by Miles Davis)・・・・・ HUB CAP / FREDDIE HUBBARD

2025-03-28 | Legacy of Freddie Hubbard

 

 

前述(2/10付け)のディスクユニオンのウォントリスト VOL.5には”READY FOR FREDDIE”(BLP 4085)がUpされていたけれど、残念にも所有盤はSTEREO盤(BST84085)だった。その代わりと言っては何ですが、”HUB CAP”のMONO盤・BLP4073を持っている。もう30年以上も前、記憶に間違いなければ、DU吉祥寺店で購入した一枚。諭吉(旧札)2枚で釣りがチャリ銭だった。もし、ウォントリストにUpされたら査定価格はいくらだろうか(笑)。

レナード・フェザーによるライナーノーツの冒頭で、マイルスに「この一年間で、本当に感心した若いソロイストは誰か?」と問い掛けると、”Ⅰ’ll tell you one young trumpet playerIreally like ー Freddie Hubbard”と答えが返ってきた、と書かれている。

4040(OPEN SESAME)、4056(GOIN’ UP)、そして本作とほぼ5ヶ月おきに吹き込まれたこの第3作目は、それまでのハードバップ路線とは、異なる新鮮なサウンドを提示している。それはドルフィー、コールマンとの共演、録音体験からくるもので、重要なのは後年、「新主流派」と呼ばれる演奏コンセプトの萌芽が本作で初めてブルーノート・レーベルに記録された点である。
それにしても、ハバードの一作一作毎に進化するスピードに驚かされる。本作では、ソロイストだけではなく、セッション・リーダー、そしてコンポーザー(4曲提供)としての存在感を早くも揺るぎない地点まで押し上げている。この時(1961.4.9)、BNからデビューして未だ1年も経たず、しかも、わずか23才になったばかりである。
本作をtbを加えた3管編成にしたのは、ただ単にサウンドに変化を付けるだけでなく、ブレイキーの3管ジャズ・メッセンジャーズ誕生を念頭に置いていたとしても不思議ではなく、事実、本作から暫らくして、ハバードはモーガンに替わって花形ポジションを手に入れることになるが、それもこれも、ハバードがジャズ・ミュージシャンとしてトータルな面で非凡な才能を有していたことを、ブレイキーが見抜いたのだろう。なお、この録音の直後(14、20日)、ハバードは本作でサイドで入っているJ・ヒースの”THE QUOTA”(RIVERSIDE RLP372)の録音に参加している。ここにはpのウォルトンも参加していてBLUE NOTEとRIVERSIDEがメンバーを融通し合っている所が興味深い。

 

 

1989年5月に臨時増刊されたスイング・ジャーナル誌「新説ジャズ名盤・ウラ名盤」に本作がUpされている。山口弘滋という方が評を執筆されていますが、本作を中心に初リーダー作”OPEN SESAME”(1960年6月)から70年代、80年代の立ち位置、魅力を総括しながら、僻目なくポジティブに展開する様はお見事です。その一部を紹介すると「本作に展開されるハーモニーの新しさはモードによる理論的なバック・ボーンと、フリー・フォームによるコレクティブ・インプロビゼーションから生まれてきたものだ。つまりは60年代ジャズを象徴する新主流派の音楽形態が、この作品によって明確に示されたといっていい。ハード・バップの行き詰まりをハーモニーと編曲重視で打開しようとハバードはまさに60年代を通じてもっとも存在感のあるトランぺッターだった。70年代に入り 新しい分野へのトライやメインストリーマーとして円熟した活動を通じ、 ・・・・・・・ 、そして 86年、87年のマウント・フジ・ジャズ祭のステージでのプレイはかっての新主流派のホープから、ベテランとしての味わいの色を濃くしているが、やはり、現代ジャズ・シーンの重要なプレイヤーのひとりである」。実に明晰な分析による明瞭な評に感動をすら覚えた。レコード評の一つの鑑ですね。

 

 

L・フェザーはライナーノーツの最後をこう締めくくっている。”Hub Cap makes an important new steps in Freddie Hubbard's career as ambitious young playing and writing talent". 山口氏といい、フェザー氏といい、共にミュージシャンに対するリスペクトの念が充溢している。

ちょっと横道にそれますが、本アルバムのインナー・スリーブ(中袋)です。もうお気づきですね。右下の一枚です。

 

 

”BACK TO THE TRACKS / TINA BROOKS”が写っています。BNのカタログにも載り、カヴァからレコード・ナンバー(4052)まで決まりながら、リリース直前で見送られ、一時、「超幻の一枚」と騒がれたブルックスの3枚目のリーダー作です。音源が初めて世に出たのは1985年にモザイク・レーベルからのLP四枚組BOXセットですが、オリジナル・カヴァで出たのは1990年が初めて、それもBNの国内LPを15枚購入の特典盤として。

 

 

ハバードとブルックスは二度、共演している。ハバードの初リーダー作 ”OPEN SESAME”(4040)とブルックスの2作目”TURE BLUE”(4052)。その後、二人は「明暗」を分けた。


さぁ、準備万端 ・・・・・ READY FOR FREDDIE / FREDDIE HUBBARD

2025-02-10 | Legacy of Freddie Hubbard

昨年の晩秋の頃、DU名古屋に立ち寄った際、置かれていたジャズ・レコードのウオントリスト(買取査定10%UP)です。相変わらずBLUE NOTEは人気が有り、オリジナル盤(MONO盤)は高額査定です。TOP3は”INTRODUCING / J・GRIFFIN”(BLP1533)が22万、”HANK / HANK MOBLEY”(BLP1560)、が19.8万、”CLIFF JORDAN / CLIFF JORDAN”(BLP1565)と”US THREE / HORACE PARLAN”(BLP4037)が共に17.6万です。販売価格はいったいどの辺りに落ち着くのでしょうか?

自分が所有する盤は殆どSTEREO盤、又は再発盤、国内盤なので、ここに掲載されているレコードでズバリ該当するのは右ページの”GRASS ROOTS / A・HILL(BST84303)の1枚だけです。

 

左ページの下段にUPされている”READY FOR FREDDIE / FREDDIE HUBBARD”のSTEREO盤(BST84085)を所有しており、MONO盤は5.5万の買取査定がされている。STEREO盤は恐らく六掛け位かな。

 

BN初デビュー後、僅か1年あまりで、早くも4作目(1961.8.21 録音)となる本作はそれまでの3作とは、肌触りが確実に違う。4040、4056、4073では、セッション・リーダーとして、また、時代の新しい担い手として若武者らしく未完ながらグイグイとグループと引っ張っていくようなパワフルなプレイが聴かれるが、ここでは一音一音じっくりと綴るかの如く、まるでベテランのような風格さえ漂わせ、スケールの大きいフレディに変貌している。

ハバードは自己のベスト3の一枚に本作を挙げている。何がそうさせたのだろう。理由は「メンバーを自分で決められ、すべてをコントロールできたから」という。それが率直な答であろう。ポイントはメンツである事は誰の目にも明らか。所謂「1500番」台の匂いがする者はいない。総て「4000番」台、つまり脱(非)ハード・バップ陣容である。この録音はフレディがジャズ・メッセンジャーズ(JM)の入団直後行われ、後年、発掘された‘ヴィレッジ・ゲイト’のライヴものがリリースされるまで、ハバードとショーターの初顔合わせとされていた。
もう一つの注目点は、3ヵ月前に“OLE / J・COLTRANE”で初競演したばかりのE・ジョーンズを起用している点である。“OLE / J・COLTRANE”はコルトレーンとドルフィーの二枚看板が評判でかって、ジャズ喫茶の人気盤であった。まだ新人でありながらハバードもこのセッションに呼ばれ、二人に一歩も二歩も引きながら「第三の男」の役割を完璧に果たしている。LPの収録時間の制限でオリジナル盤から外され、1970年に未発表集としてリリースされた”THE COLTRANE LEGACY”のなかで初めて日のを見た曲、当初は”Untitled Original Ballad”とされていたが、後に判明したビリー・フレイジャーという人物の”To Her Ladyship”ではコルトレーンとドルフィーに位負けしないバラード・プレイを聴かせている。本”READY FOR FREDDIE”のリズム・セクションもこの”OLE”と同じマッコイ、A・ディヴイス、エルヴィンなんです。バーナードのユーフォニウムはおそらくJMと違うメロウなサウンドを狙ったのであろう。

さぁ、準備は整った。あとは曲だ。トップのハバード作"Arietis"はディビスの流れるようなベース・ラインに乗って、ts、euphの助奏を受けながらハバードのtpが滑らかに気持ちよく響き渡る。余力を残しながら朗々と歌うハバードに進境著しいものがある。2曲目の”Weaver Of Dreams”はバラード風から始まり、途中からイン・テンポに変わり、ハバードのペットの音色の良さが際立つワンホーン演奏です。次はショーターの”Marie Anhtoinette”。のりの良さでは、これが一番。ハバードとショーターの相性の良さが発揮されている。

B面には、ハバードのオリジナルが2曲。”Birdlike”とは、ハバードが当時、Sax的フレーズをtpで鳴らそうとしていたことと同時に、パーカーのように吹きたいとの願いが込められているのでしょう。次の”Crisis”は後にジャズ・メッセンジャーズでも再演されている。この2曲は、以前のように単にバリバリと吹くのではなく、なにか今までとは違う自分の新しいスタイルを深く模索しているように聴こえる。

 

 

カヴァに映る23歳の笑みが「ベスト・アルバムの一枚」を物語っている。青摺りの良いカヴァですね。


MUSIC IS HERE / FREDDIE HUBBARD

2023-08-28 | Legacy of Freddie Hubbard

 

昨年、リリースされたアナログ2枚組。1973年、パリでライブ録画(録音)された音源。2011年にDVD”LIVE IN FRANCE”で一部が日の目を見ているけれど、オーディオ単独でリリースされたのは今回が初めてです。妙に発掘音源と煽らないスタンスが好ましい。

 

DVDと異なる収録曲は”Straight Life”の替りに”Sky Dive”と”Povo”が新たに入り、3曲→4曲に増えている点です。

 

1973年と言えば、CTIから”RED CLAY”、”STRAIGHT LIFE”、”FIRST LIGHT”、”SKY DIVE”と傑作、人気作、グラミー受賞作、話題作(K・ジャレット参加)を立て続けに発表し、スターへの階段を一歩一歩登り、翌年にはあのマイルスを人気投票で破り、人気、実力共にマイルスと肩を並べる存在になっている。

 

 

 

収録されている4曲は、良く知られているオリジナル作ですが、既発のレコード(CD)が持つ完成度より、ライブ演奏の魅力の一つでもある臨場感、エナジー感が堪能できます。中でも人気曲”The Intrepid Fox”(勇猛な狐)では、まるでコルトレーンがtpを吹いているのでは、と思うほど凄まじいプレイを聴かせてくれます。また、「日陰の男」、J・COOKのコルトレーン・マナーをマスターしたtsも聴き物ですね。

 

こちらがDVDの”LIVE IN FRANCE 1973”。”Straight Life”、”The Intrepid Fox”、”First Light”の3曲が収録されている。なお、YouTubeでも観れます。

 

リーフレットに載っている写真は当ライブと異なります。

 

マイルス以降では、他のtp奏者に大きな影響も与えた最高のトランペッターですが、90年代初頭以降、トランペッターとしては致命的な唇のコンディション不良、フィジカル面の問題に悩まされ、思うようなプレイが出来なくなったことは誠に残念です。タイトルはシンプルだが、ハバードの真摯なプレイぶりは50年後の今でも無双です。


もう一つの”Stolen Moments” ・・・JAZZ CONFERENCE IN EUROPE / CURTIS FULLER AND THE AMBASSADORS

2022-11-25 | Legacy of Freddie Hubbard


 

一昔前、地元の円盤屋で安く手に入れた一枚。ある時、吉祥寺のオープンして間もない廃盤屋(個人店)へ行くと、この作品が一番、目に付く場所に飾ってあった。青摺りのモノトーンがカッコ良く見えるからだろう。気になる値段は地元と殆ど変わらず、ヤッパリと思ったけれど、ここは東京、吉祥寺、そんな安価なものをわざわざ飾るワケはないだろう、と目をこすってよく見ると、一桁違っていた(笑)。たしか諭吉が3枚でお釣りが少々でした。

流通上、米SMASH盤が一般的ですが、このオランダ・フィリップス盤とカヴァが異なり、ややインパクトが弱く内容の良さの割に軽んじられている。

中身は1961年3月10日、スイスのチューリッヒで行われたQ・ジョーンズ・オーケストラ公演のメンバーの内、10名がコンサート後、アフター・アワーズ・セッションで演奏した音源で、建前上、C・フラーのリーダー作になっている。全4曲ですが、腑に落ちないのがB-1の”Stolen Moments”です。いきなりハバードのソロで始まり、E・ディクソン(ts)のソロも途中でフェード・アウトしてしまう所です。

 

 

 

 

長年の疑問が氷解した作品が1984年にリリースされた発掘盤(マーキュリー)のこちらです。

 

 

似たようなカヴァがあるので紛らわしいけれど、コレが1961年3月10日、スイスのチューリッヒで行われたQ・ジョーンズ・オーケストラのライヴ音源です。ここにフルサイズの”Stolen Moments”が収められている。

ステージでQ・ジョーンズに紹介されたF・ハバード(tp)の5分半を超すロング・ソロについて、ライナー・ノーツでD・モーガンスターンは、

「”Stolen Moments”が初めて収録されたO・ネルソンの名作”BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH”(インパルス盤、1961.2.23)からほんの二週間ほどしか経っていないにもかかわらず、ハバードは全く違う、しかも同等の素晴らしいソロを吹いている。僅か23歳(実際はまだ22歳)にしてこれほどまでに格調高く、自信に満ち、独自性に富んだ表現力を身に付けてけているのは驚嘆するほかない」と語っている。

Q・ジョーンズがハバードを演奏の前後、二度も紹介しているのも頷けます。

話を本題に戻すと、頭の部分をカットし、終りをフェード・アウトしてまで本番の一曲を流用した理由は、制約上、4曲共、コンサート後の演奏と見做すことにより、このハバードの名演を何としても埋もれさせず、世に出したかったのでしょう。関係者の熱い計らいです。いい話ですね。ハバードをカヴァのセンター(右がフラー)に据えたワケも解けます。

なお、フィリップス盤、SMASH盤、共に翌1962年にリリースされている。フィリップス盤(モノラル)は音がリッチでヴォリュームを入れると俄然、リアリティが増します。

 

 


ストレート・アヘッドを堪能 ・・・・・ LIVE IN PARIS 830322 / FREDDIE HUBBARD

2022-03-26 | Legacy of Freddie Hubbard

 

三年前(2019年)にリリースされた発掘CD盤。1983年3月22日、フランスはパリのElysee Montmartreでライヴ録音されたものでメンバーは以前、Upしている”AT THE CLUB”と同じなので欧州ツアの一環だったのだろう。

お馴染みの”One Of Another Kind”から始まる2枚組全7曲、ハバードの無双ぶりが遺憾なく発揮されている。勿論、そこが聴き所ではあるのだが、もう一つの聴き所はオーディエンスの反応、トータルで107分、ストレート・アヘッドな演奏を充分に堪能している。中でもH・マンシーニの”Moment To Moment”の美しいメロディを柔らかく奏でるハバードのflhは絶品、さすがパリの聴衆、確りと応えている。

モダン・トランペットの王道を最高に聴かせる作品です。

 

 

このライヴの丁度、10年前(1973年)にもハバードはパリのTVスタジオで収録している。

 

 

凄まじいパフォーマンスですね。別の機会にUpするつもりです。


真の三部作 ・・・・・ HUBBARD & MOBLEY

2021-06-15 | Legacy of Freddie Hubbard

 

左から”ROLL CALL / HANK MOBLEY”(4058、 1960.Nov.13)、

”GOIN’ UP / FREDDIE HUBBARD”(4056、 1960.Nov.6)、

”UNDERCURRENT / KENNY DREW”(4059 、1960.Dec.11)

三作の共通点は ハバード(tp)、モブレー(ts)というフロント2管のクインテットで録音はほぼ一ヶ月の間、No.も4057のひと番を外しただけの三連荘。

ジャズ・マスコミが作ったモブレーの通称「三部作」に対し、こちらはライオンが初めからハッキリと制作意図した三部作。狙いはデビューしたばかりで未知の器量に溢れるハバードとピークを迎え、恐らくマイルスのグループに参加が決まった?モブレーのプレゼンだったのは明らかですね。

ただ、”GOIN’ UP”は何故かデビュー作”OPEN SESAME”の陰に隠れ、”UNDERCURRENT”もあの「幻の名盤読本」の本稿ではなく巻末のレコード専門店のクイズの中で紹介され「裏・幻の名盤」扱いとなり、後年のヨーロッパ盤のイメージも強く、知名度、人気度は”ROLL CALL”に及ばない。

けれど、内容は甲乙付け難い名演揃いです。

リズム・セクションの人選は一流所、有望株を巧みに配し変化を持たせつつ、曲構成を”ROLL CALL”、”UNDERCURRENT”は全てリーダーのオリジナルで固め、二人の作曲能力を抜かりなく打ち出し、”GOIN’ UP”ではドーハムの代表作2曲を取り入れてハバードの経験の浅さをカヴァしている。

好みの順でいくと、

初心者の頃、初めて聴き朗々と鳴り響くtpに脳天をぶち抜かれた”GOIN’ UP”が一番、二人の息が段々と上手く噛み合い、特にA面の曲が良い”UNDERCURRENT”、そして、”ROLL CALL”かな。

”GOIN’ UP”のオリジナル盤はずっと縁が無く、今でも欲しい一枚です。

兎に角、ハード・バップの神髄、それも50年代ではなく60年代の熱いいぶきを全身に浴びるには最上のもの。

バード、モーガンではなくハバード一人に絞ったライオンの慧眼が光り、10年後、見事に証明されている。

 

 

 


新しい領域にもトライ ・・・・・ THE LOVE CONNECTION / FREDDIE HUBBARD

2021-03-29 | Legacy of Freddie Hubbard

 

ハバードのColumbia時代の作品の世評は総じて芳しくない。まるでフュージョンの親玉のような濡れ衣を着せられかのようだ。ショーター、ハンコックも、また、ナベサダ、ヒノテルだってばんばんフュージョンを演っていたのに・・・、人気投票であのマイルスを破るというタブーを犯したからなのか?(笑)。出る杭は・・・・・・・

ダブル・スタンダードどころではなくミュージシャン毎のマルチ・スタンダードが横行したのが70年代後半以降のわが国のジャズ・ジャーナリズムの世界。

今更、どうでも良い話ですが・・・・・・・。

今回、ピックアップしたアルバムは、カヴァのイージーさで損しているが、C・オガーマンの指揮するオーケストラとアレンジ、キーボードにC・コリア、そして一流のミュージシャン達を配したメジャー・レーベルならではの作品。

愛妻 Brigitte(モデル、ダンサー)と睦まじく収まっているバック・カヴァは、20年前、インディアナポリスのチンピラが、才器と努力によりジャズ界のスーパー・スターに「成り上った」事実を映している。

 

 

キャッチーなTOPのタイトル曲から始まり、愛妻に捧げた”Brigitte”、オガーマンの”This Dream”、B面に移り名作”Little Sunflower”、J・ヘンダーソン(ts)の隠れ名演(BASRA/P・LA ROCA)で知られる渋い”Lazy Afternoon”まで、オガーマン得意のクラッシック調のアレンジを含め、レベルの高い演奏が展開されている。クラッシック畑のミュージシャン達からも称賛・認知されるテクニックを8分の力で吹いている所が実に好ましく、例えば”Little Sunflower”はB・ジョエルの「ニューヨーク 52番街」で評判になった「ザンジバル」の名ソロを彷彿させます。A・ジャロウのボーカルは賛否両論ですが、ハバードのtpはクールでカッコ良いですね。

ジャズで無ければ、ポップスでもない新しい領域にもトライした作品。ハバードのキャリアを辿れば極自然な流れで、クオリティも高い。さすが、コリアもいい仕事をしていますよ。

 

こちらは、昔、SJ誌が本誌の中に組込んだディコグラフィーで、一枚ずつ切り取りファイルしたもの。カヴァが載っており重宝している。1987年まで、リーダー作を主に120枚が掲載されている。

 

 

 

92~3年頃からトランペッターとして致命的な唇の腫瘍により思うような演奏が出来なくなり、2008年12月29日、心臓発作により逝去、享年70。

マイルスが最高なら、最強はハバードと謳われた。


キースが参加した ・・・・・ SKY DIVE / FREDDIE HUBBARD

2020-11-08 | Legacy of Freddie Hubbard

 

K・ジャレットが脳卒中の後遺症により、本格的な復帰は難しいとのニュースが流れている。

若いイメージが強いけれど、自分同様、もう立派な高齢者なのでこういう事態は悲しいかな、いつかやってくる。

キースが50年近く前、ハバードの作品(CTI)に参加した一枚(1972年10月録音)を。

意外に思うかもしれないが、当時のキースは前年にECMに”FACING YOU”を吹き込んだとはいえ、ロイド・グループ時代の高い評価、人気は色褪せ、C・コリアの方に多くの関心が向き、存在感の薄い立場に置かれていた。だから、人気レーベル、しかもスターへの階段を登り始めていたハバードのアルバムに名を連ねられたのは、ある意味、C・テイラーが助け舟を出したようなものだった。

前作”FIRST LIGHT”はD・セベスキーの華麗なペン・ワークとハバードのゴージャスなtpが見事に溶け合いグラミー賞を獲得、本作もセベスキーがアレンジを施し、曲によりソウル色を強め、ベンソン、ロウズ、キースのソロ・スペースも充分に取られ、建付けはしっかりしている。「ゴッド・ファーザーのテーマ」ではキースがマジで弾いています(笑)。ま、ブラインドホールド・テストで出されたら分らないかも。

CTIは後年、リアルタイムで聴きもせず、頭でっかちな小僧たちにクロスオーバー、フュージョン・レーベルと勘違いされ、価値を貶められ勝ちですが、少なくとも個別ではそんなことはなく、そもそもC・テイラーの頭の中には、小難しいジャズは無く、少し進歩的で演る方も聴く方もエンジョイできるジャズで占められており、それ以上を求めるのはお門違いです。

ハバードに関して言えば、多くのプレイヤーは迷っていたのに60年代を引き摺らず新しいジャズtpの領域を広げようとチャレンジしている。そこがイイ。

「ゴッド・ファーザーのテーマ」なんて、他のトランペッターなら提案も無ければ、腰も引く素材だけれど、ハバードは果敢に攻め、キメています。ただ、エンディングでテーマ・メロディを被せたのはテイラー、セベスキーの「弘法の筆の誤り」で、ハバードに罪はありませんよ(笑)。

キースの体調が少しでも回復する事を祈ります。

ジャズを聴き始め、初めて覚えた名はロイドとキース。二人を追い、JAZZに嵌った。

 


正真正銘の当り発掘盤 ・・・ AT THE CLUB / FREDDIE HUBBARD

2020-08-23 | Legacy of Freddie Hubbard

 

一昨年の暮れ辺りに発表された発掘音源CD。

パーソネルは、

Freddie Hubbard (tp,flh)、Bob Sheppard (ts,fl)、Hilton Ruiz (p)、Herbie Lewis (b)、Carl Allen (ds)

録音は1983年3月、ロンドンのクラブ「Roundhouse」。

このハバードを一言でいい表せば「スーパー・カー」でしょう。神業的テクニックを駆使して疾走するスリリングでスケールの大きな世界はスタンダード・カーとは別次元。

心・技・体、三位一体となった熱演は彼の全キャリアの中でも屈指のレベルです。もっとも、「スーパー・カー」に興味がなく四畳半的ジャズを好むファンには ・・・・・・・

収録曲もお馴染みものばかりですが、メンバーがガラッと新しくなった分、受ける印象も異なり新鮮に聴けます。この後、名を上げていくC・アレンの若さ溢れるドラミングもGooですよ。ハバード学校の卒業生は結構、多いですね。

ハバードを「テクニックだけの人」と蔑むコメントを時々、見たり聞いたりするけれど、それで何十年も生き延びれるほどジャズ界は甘くない。マイルスが言った、と保険を掛けているけれど、本当にそう言ったのか、甚だ疑問です。同じトランペッターなら力量は解るはず。裏を返せば「ジェラシー、コンプレックス」を感じていると告白しているのも同然で、マイルスはそんな度量の狭さをあからさまに口にするタイプではない。恐らく、ある特定の立場にいるマイルス信奉者がある目的をもって一部を切取り、拡大解釈、もしくは曲解して拡散させたのでは? マイルスにしてみれば迷惑な話だが、拡散者は「忖度」の一字だったのだろう。

 

 

3曲目”Littel Sunflower”からの後半が好きです。中でも、C・ウォルトンの名作”Bolivia”は最高、リズミカルながらシャープに攻め込むハバード、白熱化するルイツのp、シェパードのts、そして、最後を見事に締めるハバード、これぞライブの醍醐味。名実ともにモダン・トランペッターNo.1の存在を明らかにしている。この音源はもっと早く世に出されるべきでしたね。

正真正銘の「当り発掘盤」。

これからも、どんどんハバードの発掘盤が出てきて、讒言者達を蒼褪めさすといい(笑)。

 

 

 


会心のライブ・・・・・ ROLLIN' / FREDDIE HUBBARD

2020-08-16 | Legacy of Freddie Hubbard

 

インディアナポリスでちょっとペットが上手いと評判のチンピラがNYに上京したのが1958年、マイルス、ドーハム、ファーマーと言った大先輩やバードを始めとする若手達、そして同い年(二十歳)のモーガンとリトルとtp界は錚錚たる人材に溢れていた。しかも、モーガンは既に何枚も、リトルも同年、初リーダー作を吹き込むという状況に対し、ハバードにはサイドで入る位でこれと言った足あとは見当たらない。

ハバードが頭角を現したのは60年に入ってからで、ドルフィーの初リーダー作「惑星」の相棒に抜擢され、また、BNで初リーダー作”OPEN SESAME"を吹き込み、そして、コールマンの”FREE JAZZ”に起用と、一気に「出遅れ」を詰めた。

彼のキャリアの中で、Columbia時代(1974~1979年)の緩い作品にバッシングする人がいるけれど、CTI時代の成功により、金、地位(常勝マイルスを抜き人気No.1)、女(美人モデルと再婚)、そして名誉(グラミー受賞)等々、全てを手に入れ、成上り者気分でちょっと脇が甘くなるのも不思議ではなく、もう少し広い分野までトライしてみようと野望を持ったのではないかな。V.S.O.P.の他、死後、発掘された音源を聴くと、スタジオものとライブものギャップが大きく、当時、使い分けていたフシが有りますね。

1981年5月2日、ドイツ、VILLINGEN JAZZ FESTIVALでのライブもの。リアルタイムでリリースされている。

些かシンプル過ぎるカヴァで、何とも無邪気なボーズが微笑ましいけれど、自分を過小評価しているのではないか、とさえ思える。

”One Of  Another Kind”、“Here 's That Rainy Day”、”Up Jumped Spring”など代表的なレパートリーを網羅(7曲)し、堂々たる「王道」が繰り広げられ、クオリティの高さがオーディエンスの反応の良さに現れている。

1曲1曲の演奏時間も均して7分弱とコンパクトに仕上げ、ライブにありがちなテンションの不用意な隙を作っていないのも好感が持てます。

一番好きな曲は愛妻にデディケートした”Brigitte”、情感をたっぷり湛えたプレイは絶品です。B・チャイルズのpも良いですね。

詳しくは知りませんが、チャイルズは90年代、グラミー賞を3度?も受賞するほど成長している。あまり語られませんが、ハバードは無名時代のケイブルス、バロンも自分のバンドで育てており、その功績はもっと評価されていい。

 

 

ラストのカリプソ・ナンバー”Breaking Point”でビシッと着地を決めるハバード、アンコールの嵐は止まなかった。

ハバード、会心の一枚。