それはともかく。
先日、五体満足に生んでくれた親に感謝という話をしましたが、いまこうして好きに生きられてるのはその上の世代のおかげでもあると最近わかるようになりました。
つい最近まで外国に文句言われてまで靖国に参拝するのだろうって、単純に政治的パフォーマンスとしか思っていませんでしたが(何、そんなことじゃないですよね。
「本当に奇跡的なことだよなぁ、今自分がいることは」と、はっきりとはでないけど、おぼろげに感じるものがあります。
私の世代なんか「せんそうをしらないこどもたち」の「こどもたち」にあたりますが、案外関係はしているものです。
少し昔話を。
私の父方の祖父は旧日本軍歩兵第16連体(新潟県新発田の歩兵連隊)所属だったそうで、1937年の日中戦争で中国に渡りました。
その後、一時帰国をしましたが、すぐに南方へ。タイ・マレー・ジャワ方面へ。
もちろんのことガダルカナル島の戦いにも参加し、撤退(ケ号作戦)においては命からがら夜の海を泳ぎ駆逐艦までたどり着いたそうです。
そこからタイへ引き返し、そのままインパール作戦の失敗により戦局が悪化していたビルマ方面へ向かい、イラワジ・メイクテーラ会戦へ参加。
当然のことながらここでも撤退を強いられる。ふたたびタイまで引き返すも栄養失調と結核を患い、入院治療を受けているときに終戦を迎えました。
これで生きて帰ってきたのだから奇跡としか言いようがありません。
祖父が強運だったといえば強運だったのかもしれませんが、その強運も共に戦い命を落とした日本人のうえにあるものです。
私がこうして生きていいるのも「ただの偶然だ」と一言でいえてしまうかもしれません。
しかし、その偶然も多くの人の協力や努力で成り立っているのだと今年ベトナムへきて強く思います。
それがひとの歴史だろうし、人生というのはそういうものなのかもしれませんので感謝するというのも大げさだとは思います。
ただ、そうした因果めいたものが、私が確かな存在であることを示してくれているように思えて奇妙です。
その祖父とは面識がありません。
厳密にいうと面識はあるそうですが、私の記憶にはありません。
私が生まれて間もなく亡くなっています。
葬式で私が泣いているのをみて「生まれ変わりみたいだと思った」とか、だいぶ前に親戚連中が言っていたのを思い出します。
そんな私が東南アジアで仕事をしているのだから、また不思議なものです。
…てなことを思う、2014年8月でした。
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