俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

マレーシアへいった話6

2016-01-03 19:37:36 | その他海外
2015年5月1日(金) 正午頃(マレーシア時間) マラッカ オランダ広場

大変暑い中、青雲亭からオランダ広場まで歩きます。



鎌倉の参道と同じで特に見るものはありません(何。

基本的に土産物屋や食べ物屋が並んでいるだけです。

そしてオランダ広場に到着。



オランダ広場について、ガイドさんが

「じゃ、これに乗ってください」



一同『(; ・`д・´) マジっすか‼』

あふれ出る奇天烈感。

絶対日本人観光きゃうぐらいしか黙って乗らないだろうっていうぐらい、奇抜な三輪車(トライショー)。

爆音とどろかす謎の三輪車(スピーカーでついてて音楽が流れています)。



これがサービスなのか。本当にウケるのか。どこウケなんだ!

皆がためらうのをよそに、ガイドさんはさっさとドライバーと交渉。

「じゃ、近くを一周ぐるっと回ってきて、それから高台の教会へ行きます。教会で会いましょう」

一同『(; ・`д・´) マジっすか‼ ってかお前は乗らんのか』

そして、皆黙って乗車。

齢30を迎える私がこんなのに乗っているんだから、どれだけ珍妙か想像できるでしょうか。

できないでしょう。

できないでしょうから、ちゃんとビデオを撮っておきました。

※音量注意!(音楽はアフレコではありません。生音源です)



どんびきだ!!!!!

と、海外まで行って羞恥プレイを楽しんでいる自分に感動(何。

そして、高台の教会へ行く前に、『ザビエル教会』へ到着。



あのザビエルです。ええ、みなさんご存知のザビエルです。イエズス会です。

ここに日本人の銅像があって、その日本人の名前は「やじろう」。



ザビエルを日本へ導いた日本人です。

その歴史についてだれも解説してくれませんでしたが(ガイドがいないから)

調べてみると、鹿児島県出身。

ひとをひとり殺したことで田舎を追われ、マカオを経由してマラッカへやってきたそうです。

ザビエル氏いわく「礼儀正しく、ポルトガル語をよく理解していた」そうです。

少し協会を見学して、再びイカレタ三輪車に乗って、高台の教会を目指します。





高台の教会『セントポール教会』。

階段をしばらく上っていくとマラッカ海峡を見ることができ、遠くにタンカーも見えます。



ここにザビエル像も。



中国布教を目指したザビエルが病に倒れ、その遺体が安置された協会がこちら。



その後、ザビエルの遺体はインドのゴアへ運ばれました。

高台を来た方向とは違う方向へ下っていくと、城壁というか、壁がたくさんあります。

これが『サンチャゴ砦』。



ポルトガル人が作りました。

ガイドさんの言っていたことをうっすら記憶しているのは、もともとはマレー王国が作った砦をポルトガルが征服して作り直したって言っていたような…。(各自で調べてください)

砦を見終えて、さぁ食事。

ここからなんと写真がありません(汗。

挨拶もできない日本人と食事をするのがいかにつらいことか、みなさんに想像できますでしょうか。

お互いに「これでもか」といわんばかりに距離を取って交わされる会話。

続かずぷつぷつ切れる会話。

ただただ運ばれてくる料理を取って食べるだけ。

食器にはしやスプーンが当たる音だけがむなしく響き渡ります。

まぁご飯はおいしかったんですけどね。

マレー料理というよりはやはり中華料理に近くておいしかったです。

そのあと近くの土産物屋に行って、ガイドさんと店のマスターとまったり話していました。

マスターはなぜか私にものを売るつもりがあまりなく、ひたすら安倍総理の英語スピーチがへたくそだと言っていました。

(マスターもガイドさんも日本語がかなりうまく、二人とも日本に長期滞在の経験がある)

それを終え、帰りはワゴンにもう一度乗り、クアラルンプールへ帰りました。

たまたま降りる場所が私が一番早かったのですが私の「お疲れ様でした」にもお返事なく、素晴らしいツアーでした。

ホテルに帰ってきたら、疲れてしまい、外に食べに行く気力を失ってしまいました。

ホテルの目の前にあるセブンイレブンでパンとジュースを買って、冷房の効いた自室で食事(なに。

こうして、マレーシア滞在2日目は終了しました。

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