先月で、31歳を迎えた私。
あくまでもメンタル的にはいまだに学生気分です。
飲み会行ったら「フライドポテトください!」とか言ってしまいそうなぐらい学生気分です(何。
最近話題になった、上司と飲みに行ったとき「フライドフライ」はありかなしか論争でも思うのですが、
みな、知らず知らずのうちに年を取っていき、いつの間にか味覚も好みも変化していくんです。
そりゃ、若い人とおっさんが飲みに行けば飲み物だって、食い物だってギャップがあるんですよ。
たしかに、おっさんに合わせたメニューだけ注文するのは、ビールすら飲まない現代の若者にはつらい献立かもしれない。
いまの若い人からしてみれば、自分の親父がどんなもの食っているか知らないひともいるだろう。
幼いころから家族との食事から離れて、塾通いしていた人からしたら、おっさんの好みなんぞ理解する機会は少ないわけで。
というか、おっさん世代との生活習慣やリズム、文化が異なりすぎて、接点とか妥協点を見つけるのが、つい10年前を想定してもより難しくなっているかもしれない。
そして、おっさん世代はわからないかもしれませんが、現代の若い人間には「大人になる」機会とか、意識なんてないのです、たぶん。
いつまでもマンガを読み、アニメを好み、子ども時代の思い出に浸り、独身貴族ならぬ、独身モラトリアムに居続けたいひともいれば、
職場と個人を地続きに考えずに、それぞれで自分の立場を使い分けられる人種もいるのだから、
たまたま付き合いでいった飲み会で「フライドポテト」と注文して怒られたら、2度とおっさん世代とは飲みに行かんだろうに。
閑話休題。
まぁそんなことを思っていたんですが、それは別にどうでもいいことで、今日はその件とは別のことを。
今日、床屋で年下の理容師さんに髪を切ってもらいながら思ったんですけど、きっとその理容師さんからすると、私は充分におっさんなんだろうな、と。
そりゃ、見た目だけではなく、髪質や髪の色、本数からしてもおっさんの域に入っていることを感じているに違いない。
ただ、そこで思うのは、自分としては彼が思っている(かもしれない)ほど、年を取った実感がないこと。
たしかに年々体は固くなり、どこかに不調があったり、病気の回復が遅くなったりと老化を実感はするものの、
周りが感じているほど自分は「おっさんじゃないはず」と思っている(必死。
きっとこれは、みな誰しも感じているに違いない。
「生涯現役」「永遠のホープ」みたいな幻想から、さっき言った「若者気分」「学生気分」なんてものを多かれ少なかれ持っているに違いない。
そう。誰も年齢相応の心構えというか、準備みたいなものができないまま、年を取っていっているのではないか。
それが自分の中で形成されぬうちに、気づくと「おっさん・おばさん」のカテゴリーに突入していっているのである…。
この30代に突入した人間としては、どう心構えを持つべきかを髪を切られながら考えていました。
「おっさんを自分の中で許容すべきか」「おっさんという評価にあらがうべきか」。
結論としては…
おっさん年齢に入ったことは抗えないので、素敵なおっさん像を目指す準備をすべきだと思いました(何。
要するに、もう40代は目前で、40歳になんかなりたくないわ!と駄々をこねるのではなく、素敵なおっさんになろうと思うに至ったわけです。
でも、きっとこの世に素敵なおっさんは空想上の生き物なので、私はなれないのでしょう(笑。
あくまでもメンタル的にはいまだに学生気分です。
飲み会行ったら「フライドポテトください!」とか言ってしまいそうなぐらい学生気分です(何。
最近話題になった、上司と飲みに行ったとき「フライドフライ」はありかなしか論争でも思うのですが、
みな、知らず知らずのうちに年を取っていき、いつの間にか味覚も好みも変化していくんです。
そりゃ、若い人とおっさんが飲みに行けば飲み物だって、食い物だってギャップがあるんですよ。
たしかに、おっさんに合わせたメニューだけ注文するのは、ビールすら飲まない現代の若者にはつらい献立かもしれない。
いまの若い人からしてみれば、自分の親父がどんなもの食っているか知らないひともいるだろう。
幼いころから家族との食事から離れて、塾通いしていた人からしたら、おっさんの好みなんぞ理解する機会は少ないわけで。
というか、おっさん世代との生活習慣やリズム、文化が異なりすぎて、接点とか妥協点を見つけるのが、つい10年前を想定してもより難しくなっているかもしれない。
そして、おっさん世代はわからないかもしれませんが、現代の若い人間には「大人になる」機会とか、意識なんてないのです、たぶん。
いつまでもマンガを読み、アニメを好み、子ども時代の思い出に浸り、独身貴族ならぬ、独身モラトリアムに居続けたいひともいれば、
職場と個人を地続きに考えずに、それぞれで自分の立場を使い分けられる人種もいるのだから、
たまたま付き合いでいった飲み会で「フライドポテト」と注文して怒られたら、2度とおっさん世代とは飲みに行かんだろうに。
閑話休題。
まぁそんなことを思っていたんですが、それは別にどうでもいいことで、今日はその件とは別のことを。
今日、床屋で年下の理容師さんに髪を切ってもらいながら思ったんですけど、きっとその理容師さんからすると、私は充分におっさんなんだろうな、と。
そりゃ、見た目だけではなく、髪質や髪の色、本数からしてもおっさんの域に入っていることを感じているに違いない。
ただ、そこで思うのは、自分としては彼が思っている(かもしれない)ほど、年を取った実感がないこと。
たしかに年々体は固くなり、どこかに不調があったり、病気の回復が遅くなったりと老化を実感はするものの、
周りが感じているほど自分は「おっさんじゃないはず」と思っている(必死。
きっとこれは、みな誰しも感じているに違いない。
「生涯現役」「永遠のホープ」みたいな幻想から、さっき言った「若者気分」「学生気分」なんてものを多かれ少なかれ持っているに違いない。
そう。誰も年齢相応の心構えというか、準備みたいなものができないまま、年を取っていっているのではないか。
それが自分の中で形成されぬうちに、気づくと「おっさん・おばさん」のカテゴリーに突入していっているのである…。
この30代に突入した人間としては、どう心構えを持つべきかを髪を切られながら考えていました。
「おっさんを自分の中で許容すべきか」「おっさんという評価にあらがうべきか」。
結論としては…
おっさん年齢に入ったことは抗えないので、素敵なおっさん像を目指す準備をすべきだと思いました(何。
要するに、もう40代は目前で、40歳になんかなりたくないわ!と駄々をこねるのではなく、素敵なおっさんになろうと思うに至ったわけです。
でも、きっとこの世に素敵なおっさんは空想上の生き物なので、私はなれないのでしょう(笑。
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