俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

何を望み、何を願う

2006-07-11 04:24:31 | 今日この頃
 電話から風邪が移ったおそれがあるATOPです、こんばんは。なんか鼻水たれてきました…やっぱヒゲ剃ってないからかなぁ(何。私がじゃないです…これ以上言うと問題になるので言いません。しかし、昨日から今日にかけてメールと電話がやたらきます…そうでした実は私、責任ある立場なんでした(汗。

 最近思っていたことをまとめて書きます。たぶん話は前後するだろうし、支離滅裂になるだろうけど言いたいことは簡単な話です。
 部活動の本質は自主性にあると思う。というか本来そうあるべきだと私は思います。自主性の元に生まれる理念・価値観こそがイデオロギーであり、新聞部を通して言えば論調なはずです。しかし、自主性をなくしてはマスメディアとしての資格もないだろうし、さらに言えば部活動でも何でもなくただの強制労働でしかないんじゃないだろうか。「ただやらされている」。ただそれだけでしかない。
 だから考える。考える必要がある。「俺は何をしたいのか」「俺たちは何をしたいのか」。意志なきところに道はない。むしろ使い方が正しくないとは思うが我思う、故に我あり。自分自身が何を願い・何を望むのか。それすら分からなければ自主性を追求することは到底不可能。「何を願い・何を望むか」を理解した上で何をしないといけないか(具体的プラン等)を考え、何を優先し、目標達成のために何を制限するか(自主規律)を考えるのが本来の部活動があるべき姿だと思います。伝統だかなんだかわけのわからないものに従い、上から下への指示だけを首にタテを振ることは自主性でも何でもない。ただやらされているだけ。
 ここ最近体育会の取材をしているとOB会の存在について考える。たいていの場合、煙たい存在としてある。正直活動をしている当事者からすれば「金は出しても口は出すな」というのが正直なところなんだ思う。私もそう思う。困った時に助けてくれるOBでなくて、困らせるためにOBがいるならそれは必要ないのだと思う。
 結局、今の部活は何もかも中途半端だったんだと思う。今もなおそれは変わらないと思う。自主性を見いだせなかった…見いだせずにいる。結局言われたままにうんとうなずき、考えることをしなかった。今度のことも結局誰が望んだことか、願ったことなのかさっぱりわからない。それに対して私達も何を思い感じたか。受け入れることは簡単で「はいはい、そうしましょう。そういうことになるからみんなで考えて」となればそうするだろうと思う。でもそれで良いわけがないじゃないですか。
 中学・高校とハンドボールをやってきた。でもそれはハンドボールが絶対的に好きだったからじゃない。ハンドボール部という部活動を通して学ぶことが多くあったし、その環境に・活動に自主性があったからやってきたんだと思う。その時はそんなことを微塵にも思わなかったが、今になってみればそう思う。たまたまハンドボールをやっただけで、それは日本一になることが目標でもなかったし、誰かのためでもなく自分自身のためにやって、競技を通して何かを得ただけのこと。
 私自身も自主性を確立できないだろうし、周りも同じだと思う。結局上も下も腐っているんだ。救いようがない。
 結局、自主性を見いだせなかったために「何がしたいか」が不透明になり、全てが中途半端と言うよりも曖昧になってしまった。曖昧になったことで直視せず、気付いていたとしても気付かないふり。見事に悪循環の渦に飲み込まれ、腐敗が腐敗を呼ぶ。学生が部活動をやるのか、学生が会社経営をやるのか、みんなでやるのか、できる奴がやるのか、体育会員なのか、体育会員でないのか、準本部員なのか、準本部員でないのか、その時どきで変わるロジック。それを幾年に渡り繰り返してきたしわ寄せが今来てるんじゃないでしょうか。正直うんざりです。そんなことすらハッキリできないなら自主性も糞もないじゃないですか。
 考えは言わなきゃ通じない。これは間違いないです。黙ってたら何考えているのかわからないし、お互いに損するばかり。お互いがお互いに一方的になるだけで結局何も生まれてこない。
 あなたは何を望み、願うのか。絶望の淵に立っているならなおさら。正直絶望することには飽きた。もういい加減にしないといけない。

PS 最近ようやく分かってきた気がする…

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