俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

個人名

2006-10-31 13:50:03 | 社会問題
 こんにちは、お久しぶりです。名古屋から帰ってきてから意味もなく時間が過ぎていっています…。

 さてさて最近の流行はどこもかしこも”いじめ”。どの新聞、テレビ、雑誌、ニュースサイトを見てもいじめばかりです。とくに岐阜のバスケ部員の自殺。あれが一番理解できないんだけど…自殺する必要なくないか?まぁ私のような人間には理解できないところなんだろうけど。
 でこの事件に私が興味を引かれたのは、遺書の中身。ニッカンのサブ記事にも書いてあったんですけど、いじめていた人の個人名をあげる遺書って最近では珍しいらしい。確かに。その記事によれば個人名を挙げたときと挙げなかったときの違いについて書いてあって、かかれていなかったときはいじめていた側の後ろめたさのみが残るだけで、書いてあったときのほうがいじめた側の責任の所在がはっきりして、いじめた側の今後のためになる…みたいな事が書いてあった。若干残酷かつとんでもない意見な気もするが、そう大きくは間違っていないと思う。ただ全てがそうだとはいい難いので私も賛同しかねるが…。ただはっきりいっていじめにおいて誰が悪いって言ったらやっぱり直接いじめていたやつが一番悪くて、それを見過ごしていた先生とか学校とかクラスメイトとか親とかが悪いわけじゃない。学校の対応は不誠実かもしれないけど、正直世の中どこいってもあんなものだと思うから、マスコミは好きなだけバッシングすればいい。ただそのマスコミも学校とろくに変わらない体質なんだからばかばかしいことではある。
 ともかくとしていじめたやつが悪い。それ以上のことはキリがないから無視するとして、誰かの死に対して責任を持つというなら死を持ってでしか責任を取れないだろう。だから個人名を挙げられた4人は無限に苦しむはずだろうし、無限に苦しめばいい。ただ何度もいうが、私はいじめられた側はいじめられるべくしていじめられていると思うから、いじめたやつが全部悪いとはいわない。
 それから星野仙一さんがこんなこと言ったらしいです。

(前略)どんなに学校や先生が口を酸っぱくして説いても、メディアがどんな論調や
提案を繰り出したとしても、古今東西、これからどんなに時代が進んでいっても、
「いじめ」問題がなくなることはないんじゃあないかと思う。
子どもの世界だけではなくて大人の世界でも、どこにでも「いじめ」といういやがらせや
弱い者いじめはあるもので、それが残念ながら人間社会の現実的な一面だ。

話を元に戻すと、小学生や中学生がいじめに遭っておかしくなって不登校になったり、
自殺をしたというニュースを見るたびに思うことは、そういう「事件」になってからではもう遅い。
それこそ学校や教師の能力や対応力や「責任」をどこまでも追求してももう遅い。
ラチなんか絶対にあかないということだ。
わたしはやはり「子どものことで」「子どものために」戦うのは親しかいないと思っている。

昔、わたしの友人がこういっていたことがある。近くの公園を通ると偶然、自分の息子が
通っている幼稚園の運動会の練習をやっていて、しばらく様子を見ていると列を組んでいる
途中、息子がうしろの園児から背中を突き飛ばされてよろけるというシーンが。
わがままだけれど、気が強いともいえない自分のやせっぽちの子どもがどう出るかと
見ていると、意外やくるりと向きを変えるや自分をわけもなく突き飛ばした男の子の胸を
突き飛ばして、さらにファイティングポーズをとってみせたのだそうだ。

「いやなことをされても仕返しもできないようなら、これはかなり注意して育てなければ
いけないし、もしこういう類のことがしばしばあるのなら両親で交代で幼稚園にも観察に行って、
いじめっこにも先生にもきちんと話をつけにいくつもりだった」というが、やられっ放しで泣いて
なんかいない、やられたらやり返すような自分の子どもの態度を見てからは安心したという。
日常のごく些細なことかもしれないが、これが普通の親の目というものではないだろうか。(以下略)

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