“2022年伊勢”とは2022年の三重県伊勢市である。2022年の夏の一時帰国休暇にて、筆者が紀伊長島の後に訪れたのは伊勢だ。紀伊長島の喫茶敏美を出た後、友人宅の引き戸に置手紙を挟み込み、歩いて紀伊長島駅へ向かった。若い駅員は伊勢までの経路のオプションや乗り換え方法をやけに丁寧に教えてくれた。そのうえホームで待っている筆者のところまでやってきて、乗り換えのメモ書きまで渡してくれたのだ。よくよく考えると顔の見えにくい改札窓口からは、坊主頭にバックパック、Tシャツ姿の筆者は少年に見えたのかも知れない。ホームでメモを手渡してくれた時の困ったような彼の笑顔は、『あ、おっさんやんけ!』という失笑だったのかも知れない。今はそんな気がしている。
伊勢での出来事は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。
①日の出旅館
若い駅員のメモのとおり、多気駅で参宮線に乗り換えて伊勢へ着く。参宮線からの景色は田んぼで、青々とした稲が茂る。“参宮”と名乗りつつも、乗客は部活帰りの学生ばかりでローカル線臭が強く、参拝客は少なそうだ。都心部からは近鉄線の方が便がよいのに違いない。日の出旅館はJR伊勢市駅のロータリーの傍にある小さな旅館で、外観にすこぶる風情がある。宿主はたいへん穏やかな方で、30代独身日本式サラリーマンに優しくアーリー・チェックインを快諾してくれ、市内の案内などもしてくれた。昔の旅館の風情をきちんと残しながらも、洗い場や便所は清潔でよくリフォームされていて心地がよい。宿主の家族もここで暮らしているのようで、小さなめのわらわが明るく『こんにちは!』と30代独身日本式サラリーマンに接してくれたりと、下宿先に居るような心持になる。
②旭湯
日の出旅館の風呂はまだ時間が早く入れないとのことだったので、すぐに銭湯へ向かった。30代独身日本式駐在員にとって一時帰国休暇の大きな楽しみは広い風呂桶で熱い湯につかることだ。旭湯という、何でも伊勢参拝前の禊ぎの場であった二見浦から水を運んでいるという銭湯だ。日の出旅館からは外宮参拝とは真逆の方向へ、JR線と近鉄線の二つの線路を越えていかなくてはならない。駅の東側は庭のない住宅地と河崎商人の古い商店が密集し、狭くて入り組んだ道を通行する車や人がけっこう多くて、伊勢市に住む人々の運転技術の高さが伺える。また、神聖なる神宮の町にも関わらず、立正佼成会さんや『神慈秀明会活動反対!』とのぼりを掲げる善光寺など、宗教的にも入り組んでいる様子がある。旭湯は、なんだか昭和後期の町役場のような、風情がない建屋で少し拍子抜けしたが、中はいたって庶民の銭湯で、男湯と女湯の仕切りの上に夫婦岩のオブジェが飾られている。禊ぎを終えた筆者は、コンクリートで固められた殺風景な勢田川沿いでボーっとして、河崎商人の船の往来を偲ぼうとしたが、暑さに耐えきれずすぐに日の出旅館に戻ったのだった。
③居酒屋かりん
少しだけ飲み足らず、伊勢駅周辺の30代独身日本式サラリーマン向け酒場を求めて歩いていた。期待して潜入した伊勢駅前商店街といううらぶれた路地商店街は、レトロな雰囲気を逆に利用した小じゃれた店が多くて気後れし通り抜けた。その直後に居酒屋かりんと遭遇する。ここはどこからどう見ても30代独身日本式向けである。暖簾をくぐればカウンター席で客は筆者のみ。“さめのたれ”をつつきながら、誰かに話したかった紀伊長島での出来事を女将さんに話すことができた。門限を過ぎた日の出旅館に戻り、風呂に再びつかって眠りについた。
翌朝、一番列車に乗るべく早起きした筆者は、部屋の鍵を箱に入れてこっそりと日の出旅館を出た。しかし駅の改札はまだ開いておらず、せっかくなので神宮へ行ってみることにした。参道はひっそりとしていて、事務所でたむろする新聞配達員以外にヒトがいない。外宮前の広場に入ってみると、参拝時間前の外宮は扉が閉ざされ、小屋の中でガードマンが座っていた。旭湯入湯とかりんでの飲酒の間にあった出来事は、筆者の今後の人生を変えるかも知れないと思っている。そういう人生を変えるような出来事が、いつも死んだ友人の傍で起きていることに罪悪感のようなものも感じている。『ま、まじめに頑張りますのでよろしくお願いします』外から神宮さんに声をかけ、駅に戻った。
伊勢での出来事は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。
①日の出旅館
若い駅員のメモのとおり、多気駅で参宮線に乗り換えて伊勢へ着く。参宮線からの景色は田んぼで、青々とした稲が茂る。“参宮”と名乗りつつも、乗客は部活帰りの学生ばかりでローカル線臭が強く、参拝客は少なそうだ。都心部からは近鉄線の方が便がよいのに違いない。日の出旅館はJR伊勢市駅のロータリーの傍にある小さな旅館で、外観にすこぶる風情がある。宿主はたいへん穏やかな方で、30代独身日本式サラリーマンに優しくアーリー・チェックインを快諾してくれ、市内の案内などもしてくれた。昔の旅館の風情をきちんと残しながらも、洗い場や便所は清潔でよくリフォームされていて心地がよい。宿主の家族もここで暮らしているのようで、小さなめのわらわが明るく『こんにちは!』と30代独身日本式サラリーマンに接してくれたりと、下宿先に居るような心持になる。
②旭湯
日の出旅館の風呂はまだ時間が早く入れないとのことだったので、すぐに銭湯へ向かった。30代独身日本式駐在員にとって一時帰国休暇の大きな楽しみは広い風呂桶で熱い湯につかることだ。旭湯という、何でも伊勢参拝前の禊ぎの場であった二見浦から水を運んでいるという銭湯だ。日の出旅館からは外宮参拝とは真逆の方向へ、JR線と近鉄線の二つの線路を越えていかなくてはならない。駅の東側は庭のない住宅地と河崎商人の古い商店が密集し、狭くて入り組んだ道を通行する車や人がけっこう多くて、伊勢市に住む人々の運転技術の高さが伺える。また、神聖なる神宮の町にも関わらず、立正佼成会さんや『神慈秀明会活動反対!』とのぼりを掲げる善光寺など、宗教的にも入り組んでいる様子がある。旭湯は、なんだか昭和後期の町役場のような、風情がない建屋で少し拍子抜けしたが、中はいたって庶民の銭湯で、男湯と女湯の仕切りの上に夫婦岩のオブジェが飾られている。禊ぎを終えた筆者は、コンクリートで固められた殺風景な勢田川沿いでボーっとして、河崎商人の船の往来を偲ぼうとしたが、暑さに耐えきれずすぐに日の出旅館に戻ったのだった。
③居酒屋かりん
少しだけ飲み足らず、伊勢駅周辺の30代独身日本式サラリーマン向け酒場を求めて歩いていた。期待して潜入した伊勢駅前商店街といううらぶれた路地商店街は、レトロな雰囲気を逆に利用した小じゃれた店が多くて気後れし通り抜けた。その直後に居酒屋かりんと遭遇する。ここはどこからどう見ても30代独身日本式向けである。暖簾をくぐればカウンター席で客は筆者のみ。“さめのたれ”をつつきながら、誰かに話したかった紀伊長島での出来事を女将さんに話すことができた。門限を過ぎた日の出旅館に戻り、風呂に再びつかって眠りについた。
翌朝、一番列車に乗るべく早起きした筆者は、部屋の鍵を箱に入れてこっそりと日の出旅館を出た。しかし駅の改札はまだ開いておらず、せっかくなので神宮へ行ってみることにした。参道はひっそりとしていて、事務所でたむろする新聞配達員以外にヒトがいない。外宮前の広場に入ってみると、参拝時間前の外宮は扉が閉ざされ、小屋の中でガードマンが座っていた。旭湯入湯とかりんでの飲酒の間にあった出来事は、筆者の今後の人生を変えるかも知れないと思っている。そういう人生を変えるような出来事が、いつも死んだ友人の傍で起きていることに罪悪感のようなものも感じている。『ま、まじめに頑張りますのでよろしくお願いします』外から神宮さんに声をかけ、駅に戻った。