ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

山下つとむ

2020-11-14 05:11:03 | 生活
 山下つとむさんとは、筆者が20代日本式大学生だった頃に出向いたインターンシップ先の方である。ずんぐりとしたメガネの小男なことは憶えているものの、同じような雰囲気の人にそれ以降も随分と出会った所為で、顔を思い出そうとしても別人が現れる。インターンシップはたったの2週間であったし、その2週間をずっと山下つとむさんと共にした訳でもないので、何処かで奇跡的に同じ空間に居合わせたとしてもお互いに判別せず、『おぉ、山下つとむさん!』『おぉ、あの時のインターン生!』なんてやりとりにはまずならないはずだ。



山下つとむさんとの思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①インターンシップに参加した理由
筆者の学科では夏休み中にインターンシップに参加することで単位がひとつもらえた。留年ギリギリとは言わないまでも、取得単位数に不安のあった筆者は是非ともインターンに参加しようと決めていた。ろくなサークル活動もしていなかったので夏休みは暇でもあるのだ。さらに当時の筆者の両親は、父親の仕事の関係で筆者の全く知らない町で暮らしており、帰省しても暇になることが確実だったのでインターン先を帰省先の町から選べば暇つぶしにもなるし好都合だという安直な理由で参加したのだった。



⓶インターン
インターンには筆者とは別にもう一人学生が参加しており、彼と共に各部署をたらいまわしにされながらいろいろと体験するというスケジュールであった。丁寧で盛り沢山の企画をしていただいたのだが、この地方都市が他所から来た人に比較的冷たい県民性を持つことや、インターン先は筆者と共に参加した学生の大学閥が強かったこと、さらには彼の父親がこのインターン先のお偉いさんという点などから、筆者と彼との扱いに違いを感じることがままあり、若干の疎外感を味わったのだった。今思えばインターン参加の動機が不純であることが見て取れるほどに生意気な態度をとっていたことが最も影響していたかも知れないと反省できるのだが、当時はそう思わなかった。そんな中で山下つとむさんは屈託なく接してくれたのだった。



③山下つとむさん
山下つとむさんの部署での体験の日は、山下つとむさんの車で各所を外回りして説明をうける行程になっていた。山下つとむさんの説明はとてもわかりやすく、楽しい。それにくだらない話で車内はずっと明るかった。当時30代になりたての山下つとむさんが車を降りて煙草をふかしながら、『そろそろ結婚しないといけないなぁ』と呟いた。筆者が『結婚とはしなくてはいけないものなのですか』と尋ねると山下つとむさんは“ふぅ”とため息をつき、“お前らにはまだわからないだろうがな、社会的にまずいんだよ、長く独身ってのはな”と言った。比較的方言の強いこの地方で、割と標準語を話す山下つとむさんに筆者は親近感を憶えた。



④山下つとむさん
インターンの終盤には皆さんが送別会を開いてくださった。その後に山下つとむさんに二次会として駅前なのか駅裏なのか分からない場所の中国スナックに連れて行ってもらったのだ。山下つとむさんは煙草をふかしながら悠然と千円札を中国女に渡し、彼女の胸元に手を入れたまま焼酎を飲む。これは記憶違いかも知れないが、組織内の大学閥について不満を口にしていたような気もする。家にタクシーで帰ったのは0時を過ぎてからだった。筆者はこのずんぐりの山下つとむさんの中に“大人の男”を見ていた。学生は大人と接する機会が本当に少ないのだ。



 後に山下さんは仕事を通じて偶然筆者の父親と協議する機会を持ち、そのとき父親が急に『息子がお世話になりました』と言ったので仰天していたということだ。さて、不純な動機で参加とは言いつつも、筆者はこのインターン先のような場所への就職に興味があった。だがインターンを通じて筆者はこういうところに就職するのは止そうと思った。もっと風通しの良い、ずっと同じ場所に居なくていい、遊牧民のような生活が望ましいと思ったのだ。同時に山下つとむさんのような明るくて剽軽で、それでもどこか反骨めいた雰囲気を持つ、魅力ある大人になりたいと思った。そうして今、30代独身日本式サラリーマンをしているのだ。独身であることはあの頃に比べるといくらか“社会的にまずいもの”ではなくなってきていると思うのだが、どうでしょうか。

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