鱈の舌とは、魚の鱈の舌のことだ。コロナウイルスによって命を絶たれた人や、間接的な影響として生じた世界的な経済活動の停滞によって倒産や内定取消などの不幸に見舞われている人が数多くいる。だがどんな悲しい厄災であっても、それによって新たな出会いも起きるものだ。○○被害者の会の活動を通じていろいろな人と出会い、人間的に成長できた人もあるだろうし、東日本大震災がきっかけで 出会い、結婚して幸せな家庭を築いた人も少なくないだろう。筆者もまた、コロナのおかげでいくつかの出会いがあった。ひとつは花園大学で仏教哲学を教える佐々木閑先生。彼はコロナの影響で遠隔講義をはじめており、それがユーチューブで一般公開されている。たまたまそれを見つけた筆者は、その古典仏教に関する講義に大いに刺激を受けており、ついに出家を考え始めている。そしてもうひとつが鱈の舌だ。
この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①鱈の舌との出会い
“不要不急の外出”の禁止が発令されていた頃は、州外に出る気分はすっかり失せており、近くの町を気ままにドライブして時間を潰すのが週末の常であった。ある日ウォーターバリー市のはずれを走っているときに、ポルトガルの旗を掲げたスーパーマーケットを見つけたのだ。ポルトガル系住民のコミュニティはハートフォードのParksvilleにもあるのだが、そこには大きなスーパーはない。『面白そうだ』と思いマスクを着用し入ってみるも、そこまで目新しいものは見つけられず、『つまんないな』と思った矢先、冷蔵庫の中に怪しい気配を見出した。
⓶鱈の舌 概要
鱈の舌は、米国ではよくスープの販売に使われる円柱形のプラスチック容器にぎっしり詰まって売られていて、1パウンド15ドルと結構な高級食材だ。最初は『そんなものが売ってあるはずがない、何か違う魚の通称かも知れない』とも思ったのだが、調べたところ本当に鱈の舌であり、北欧や南欧ではよく食べられる食材なのだそうだ。特にフィンランドでは人気食材で、水揚げされた鱈の舌をもぎ取るという地獄での鬼の業務のような残酷なバイトが高給であり、ティーンネイジャーに人気なのだと書かれた日本のブログを目にした。
③鱈の舌 下処理
長屋に帰りさっそく容器を開けてみると、鱈の舌は予想どおり結構なグロテスクさがある。“舌と言われれば舌だな”というかたちをしていて、それになんだかビラビラしたものが付いている。白い薄皮の中にピンクの肉が透けて見える感じや、大きさや形状が、ちょうど皮を剥かれたトノサマガエルの様で気持ちがよくない。また、今回の商品は保存が効くようにかなりの濃度の塩水に漬込んである。北欧ではフライにしたり、バターソテーにしたりするようだが、このまま調理するとしょっぱすぎて話にならないので、何度も洗った後に冷蔵庫で一晩冷水に付けて塩抜きを試みた。
④鱈の舌調理・味
今回はあえて和風に、塩抜きした鱈の舌を酒・砂糖・醬油で煮て食うことにした。味は悪くない。外側の白い部分はコラーゲンのプリプリで、中のピンクの部分になって初めてほんのりと魚の味が感じられる面白い食材だ。だがこの調理方法ではモリモリだくさん食べるとすぐに飽きが来るので、2、3枚の舌を酒と共に楽しむのが適している。北欧の調理法にしたがってフライにすれば、「サクッ!プリッ!サカナ」と変化に富む味覚を楽しめるだろうし、スープの具にしてもよいようにも思う。また挑戦してみたいと思うものの、はやりパウンド15ドルがややネックである。
米国にやってきて随分と時が経つが、長らく『米国レストランのパスタはなぜあのようにネチャネチャと茹ですぎているのだろうか』という疑問を、調べることもないままに漫然と過ごしていた。先日その疑問をふと思い出し、職場のイタリア系アメリカ人のマルコに尋ねたところすぐに答えが返って来た。『それはアメリカ人がイタリア料理を知らないからだ。君にとっての米国の寿司やラーメンと同じさ。俺は外で絶対にパスタを食べないし、イタリア人は当然アルデンテだ!』と強い口調で言われました。こと味覚に関しては、『美味しい味』とは『知っている味』である必要がままある。幼少期の食育はとても重要ということだろう。筆者の母は手巻き寿司にはいつも珍妙な具材を用意していたのでアメリカ寿司にも違和感はないし、ラーメンも基本的に柔らかめに作ってくれていたのでアメリカラーメンも嫌いじゃない。そういえばやわらかパスタも給食でよく出ていた。親や自分の教育環境に感謝しなくてはいけない。
この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①鱈の舌との出会い
“不要不急の外出”の禁止が発令されていた頃は、州外に出る気分はすっかり失せており、近くの町を気ままにドライブして時間を潰すのが週末の常であった。ある日ウォーターバリー市のはずれを走っているときに、ポルトガルの旗を掲げたスーパーマーケットを見つけたのだ。ポルトガル系住民のコミュニティはハートフォードのParksvilleにもあるのだが、そこには大きなスーパーはない。『面白そうだ』と思いマスクを着用し入ってみるも、そこまで目新しいものは見つけられず、『つまんないな』と思った矢先、冷蔵庫の中に怪しい気配を見出した。
⓶鱈の舌 概要
鱈の舌は、米国ではよくスープの販売に使われる円柱形のプラスチック容器にぎっしり詰まって売られていて、1パウンド15ドルと結構な高級食材だ。最初は『そんなものが売ってあるはずがない、何か違う魚の通称かも知れない』とも思ったのだが、調べたところ本当に鱈の舌であり、北欧や南欧ではよく食べられる食材なのだそうだ。特にフィンランドでは人気食材で、水揚げされた鱈の舌をもぎ取るという地獄での鬼の業務のような残酷なバイトが高給であり、ティーンネイジャーに人気なのだと書かれた日本のブログを目にした。
③鱈の舌 下処理
長屋に帰りさっそく容器を開けてみると、鱈の舌は予想どおり結構なグロテスクさがある。“舌と言われれば舌だな”というかたちをしていて、それになんだかビラビラしたものが付いている。白い薄皮の中にピンクの肉が透けて見える感じや、大きさや形状が、ちょうど皮を剥かれたトノサマガエルの様で気持ちがよくない。また、今回の商品は保存が効くようにかなりの濃度の塩水に漬込んである。北欧ではフライにしたり、バターソテーにしたりするようだが、このまま調理するとしょっぱすぎて話にならないので、何度も洗った後に冷蔵庫で一晩冷水に付けて塩抜きを試みた。
④鱈の舌調理・味
今回はあえて和風に、塩抜きした鱈の舌を酒・砂糖・醬油で煮て食うことにした。味は悪くない。外側の白い部分はコラーゲンのプリプリで、中のピンクの部分になって初めてほんのりと魚の味が感じられる面白い食材だ。だがこの調理方法ではモリモリだくさん食べるとすぐに飽きが来るので、2、3枚の舌を酒と共に楽しむのが適している。北欧の調理法にしたがってフライにすれば、「サクッ!プリッ!サカナ」と変化に富む味覚を楽しめるだろうし、スープの具にしてもよいようにも思う。また挑戦してみたいと思うものの、はやりパウンド15ドルがややネックである。
米国にやってきて随分と時が経つが、長らく『米国レストランのパスタはなぜあのようにネチャネチャと茹ですぎているのだろうか』という疑問を、調べることもないままに漫然と過ごしていた。先日その疑問をふと思い出し、職場のイタリア系アメリカ人のマルコに尋ねたところすぐに答えが返って来た。『それはアメリカ人がイタリア料理を知らないからだ。君にとっての米国の寿司やラーメンと同じさ。俺は外で絶対にパスタを食べないし、イタリア人は当然アルデンテだ!』と強い口調で言われました。こと味覚に関しては、『美味しい味』とは『知っている味』である必要がままある。幼少期の食育はとても重要ということだろう。筆者の母は手巻き寿司にはいつも珍妙な具材を用意していたのでアメリカ寿司にも違和感はないし、ラーメンも基本的に柔らかめに作ってくれていたのでアメリカラーメンも嫌いじゃない。そういえばやわらかパスタも給食でよく出ていた。親や自分の教育環境に感謝しなくてはいけない。