![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ec/14e555fdcc53c6ce6d329ad358b8d983.jpg)
深川は松尾芭蕉が草庵を結んで
奥の細道へと旅立った場所ですが、
採荼庵(さいとあん)跡には、
旅姿で縁側に腰をかけている芭蕉像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4c/f837984734255486d7cf11645f0746eb.jpg)
芭蕉が奥の細道へと旅立つ直前まで
住んでいたところがこの採荼庵。
仙台堀川に架かる海辺橋の南詰に
庵が再現されているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/14/a0d36f45c7bb45ac460ed6d89b8b5ddd.jpg)
「芭蕉俳句の散歩道」ですか、
これは歩いてみなければ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/38/637eee348ae338b4565cbf1a7a54528f.jpg)
芭蕉が奥の細道の旅先で詠んだ18の句を掲示。
『奥の細道』は、我が家の書棚にも並んでいます。
その旅先も訪れたところが多いので、
絵を見て旅を思い出しながら読みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/c5/a0cdc0d332f9fed6f704529921df1cea.jpg)
工事でこの先は通行止めで来た道を
戻ることになったのですが、
通行止めなら掲示して欲しいわとプンプン。
写真をアップし気づきましたが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/3f/4b6e353d1dc09f2a444284b0b8ae9625.jpg)
ぐるっと回って仙台堀川にでると
「本邦セメント工業発祥之地」の碑を発見!
国産セメントは、1875年深川に建造された
官営セメント工場で造られました。
1882年には浅野総一郎に払い下げられ、
渋沢栄一と共同で出資する形で
「匿名組合 浅野工場」が発足したそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/44/b45a85d71396a8e159bc77ea00e37bc7.jpg)
明治27年に製造されたコンクリートブロックですが、
37年間海中にあっても損傷は認められなかったという
優れたコンクリートあったことの証明とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/83/29af1a31b76c216e9b147cc01840ec82.jpg)
その先には、「平賀源内電気実験の地」碑。
1761年から深川清住町(現・江東区清澄1)の自宅で、
長崎で手に入れたオランダ製の静電気発生装置
エレキテルの構造を解明し、実験しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9b/79cf409bec105bfcea4b6360695d9436.jpg)
佐賀町河岸通りを歩いていると
「陸奥宗光宅跡」碑や「明治維新百年記念碑」など
石碑が多々あり、俳聖の史跡巡りが脱線します。
東京都江東区
2021.12.16
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます