読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

戦争と平和を考えるための、「城山三郎と久野収の『平和論』」(佐高信編/2009年)

2009-08-15 12:21:47 | 本;エッセイ・評論
<目次>
二人の「平和論」に学ぶ意味 ──“はじめに”に代えて(2009年4月)・・・佐高 信

第一部 城山三郎の「反戦論」
  「精神の火傷」が生んだ戦争文学(2007年8月)・・・佐高 信
  戦争で得たものは憲法だけだ(2005年8月)・・・城山三郎・佐高 信
  世界金融恐慌の読み方(2008年12月)・・・佐高 信

第二部 久野 収の「非戦論」
  『安全』の論理と平和の論理(1965年4月)・・・久野 収
  戦争と宗教と憲法(1991年4月)・・・久野 収・佐高 信
  非武装的防衛力は幻想であるか(1970年4月)・・・久野 収
  目覚めよ! ジャーナリズム(1993年5月)・・・久野 収・佐高 信

今日は64回目の終戦記念日。ということは、日本はこの64年間、戦争をしなかった証しでもありますね。厳密に言えば、日米安保体制のもとでアメリカに基地や資金を提供してきたのですから、間接的には戦争に関わっているのですが、少なくとも日本国が軍事目的で直接的に他国を攻撃したことはないわけです。このことは私たち日本人が誇ってもいいことのはずです。

本書は、護憲を主張する「平和論」です。その主張は久野収さんによって次のように述べられます。

~・・・敗戦を動機とした憲法の中には、勝者の意志がくわわっていることもたしかである。一方だけを強調し、他方に目をふさぐことは、片手おちうぃまぬがれないだろう。このジレンマを正面から問題にし、国民のほんものの自発的意志にもとづく憲法を考えるのも、わるくはない。しかし、それには、条件のととのうのをまたなければならない。いまは、勝者の意図をこえて、この憲法を守り、生かし、平和の活路を打開する方法をもとめるほうが、国民にふさわしい選択であると思う。~

1965年になされたこの主張を、45年後の今、どう受け止めるか。久野さんの言う条件は今、整っているのか。現行憲法はさまざまな問題に対しさまざまな解釈を加えながら、これまで日本は少なくとも問題解決のために軍事的手段をとらないという一点を64年間守ってきたわけですね。敗戦の仲間であるドイツは51回も憲法改正をしているのに、です。

この日本国憲法のこれからについては、護憲(社民、共産)、改憲(自民)、創憲(民主)といろいろな立場があるわけですが、本書を通じてこれからどのような方法があるのか考えるためのきっかにしたいと思います。

さて、まずは城山三郎さん。17歳で「立派な皇軍」だと思い志願して入隊したことについて、当時ベストセラーだった杉本五郎中佐の「大義」にある次の一節に惹かれたことが紹介されています。

~キリストを仰ぎ、釈迦を尊ぶのをやめよ、万古、天皇を仰げ。天皇に身を奉ずるの喜び、なべての者に許されることなし。その栄を喜び、捨身殉忠、悠久の大義に生くるべし。皇国に生まれし幸い、皇道に殉ずるもなお及び難し。子々孫々に至るまで、身命を重ねて天皇に帰一し奉れ~

しかし後に、この忠君愛国の書には次のような伏字があったことがわかります。

~現在大陸に出ている軍隊は皇軍ではない。奪略・暴行・侵略をほしいままにする軍隊は、皇軍でなく侵略軍である~

このことによって城山さんは最初の小説「大義の末」を書くことになり、「余生としての戦後」を作家として生きることになったのだと。

~あれほど私たちの心をつかんだのは、ただ激越な大義の鼓舞だけではなく、その底に、中佐特有の生一本な正義があり、それが文面ににじみ出ていたからであろう~


次に、哲学者の久野収さん。「『安全』の論理と平和の論理」という1965年の論文が収蔵されていて、次のような一節があります。

~戦争は一国の発意でできるけれども、平和は双方の合意によらなければ保証されないのだから、双方の合意によって平和をもたらすために、戦勝手段である軍備よりも、政治や経済、あるいは文化を頭脳でもって活用しなければならない。

憲法の平和主義は、平和を「安全」ととりちがえ、「安全」を「安全」保障と同視し、「安全」保障を軍事的安全保障に帰着させる“思考の惰性”ときっぱり手をきる決断を表現している。~


杉本 五郎(すぎもと ごろう、明治33年(1900年)5月25日 - 昭和12年(1937年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。「天皇信仰の極北」とされる遺言本『大義』で知られる。

<杉本五郎 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E4%BA%94%E9%83%8E

さらに、久野さんは日本のジャーナリズムについて危惧とともに、覚醒を求めます。

~ジャーナリズムはアカデミーの知識とどう違うかといえば、ジャーナリズムが伝える情報は、アカデミーの無人格な、誰でも使える代わりに誰のものでもないような知識ではない。ジャーナリズムの学者が言っているように、アカデミーの専門知というのは脳の中枢神経から始まって下に降りていく、ジャーナリズムは現場から頭脳へ昇っていく知識だといえるでしょう。~

~現場の情報は、感性や感覚運動神経によって問題の所在を掴んで、それから頭脳に上がっていく知識であって、現場で渦巻いている当事者のそれぞれ対立しあう、あるいは渦巻いているエモーションを介せずしてジャーナリズムの表現はない。~

このジャーナリズムの泰斗として久野さんがあげるのが、「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」紙のコラムニストとして有名なジャーナリスト、ウォルター・リップマン(Walter Lippmann, 1889年9月23日-1974年12月14日)です。

~彼は「世界を揺るがした十日間」を書いたソビエト革命の目撃者、ジョン・リード、近代後期の詩聖、T・S・エリオット、機械を経済学の場面で論じたスチュワート・チェイスたちとハーバード大学で同年だった。そしてこれはぼくが調べて知ったのだが、当時、彼らは一緒に同人誌を出していた。~

この見ることなかった同人誌に触発されて後に久野さんは、新聞「土曜日」、週刊誌「金曜日」を手がけることになります。

<ウォルター・リップマン - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3

久野 収(くの おさむ、1910年6月10日 - 1999年2月9日)は、日本の哲学者・評論家。大阪府堺市生まれ。1934年、京都大学文学部哲学科卒業。

<久野収 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%87%8E%E5%8F%8E

<備忘録>
「城山の軍隊観、自衛隊観、指導者観」(P17)、「杉本五郎中佐の『大義』」(P18-9)、「城山の経済小説の源泉」(P24)、「伏龍」(P31)、「平和と安全」(P90)、「現代の不安」(P92)、「平和計画調査会」(P93)、「日本の憲法」(P117)、「ジャーナリズム」(P138)、「ウォルター・リップマン」(P139)、「雑が本になる」(P141)


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