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読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「暗殺者~アサシン」にまつわる二つの外国映画と邦画

2007-10-28 20:46:37 | 映画;洋画
アサシン(assassin)は、「暗殺者、暗殺団、刺客という意味を指し、ハシーシュ(大麻)、差別的に大麻中毒者、ハシシン老人、ハサス(原理)など諸説ある。元々の意味合いとしては重要な人物を殺害した人物または団体を指す言葉であるが、漫画『ゴルゴ13』等の影響からか多くの場合、水面下で暗殺する目標に気づかれないよう密かに活動する意味合いが強い」。

「また歴史の文脈では『the Assassins』は11世紀から14世紀、シリアにおいて十字軍やザンギー朝など諸勢力間で暗殺をも手段として勢力を築いたイスラム教シーア派イスマーイール派の分派ニザール派を指すが、これに伴う逸話はほとんど伝説である。同義にassassinator、動詞形にassassinate等がある。また『assassin bug』と言う言葉もあり、これは吸血昆虫のことを指す」。(ウィキペディア)

いきなり、難しい語源の話から始めてしまいましたが、ここは映画のお話を。「無期懲役を言い渡された少女が政府の秘密機関に見出され、暗殺者としての道を歩む。次々と下される暗殺指令を着実にこなしていく血みどろの日々。しかし、出口のない暗黒の世界で真実の愛を知ったとき、彼女の中で何かが変わり始めた…」、というストーリーでお馴染みの「ニキータ」と「ア・サ・シ・ン」を取り上げます。

リュック・ベッソン監督の1990年のフランス映画「ニキータ」とジョン・バダム監督によるそのリメイク「アサシン」。主演のアンヌ・パリローとブリジッド・フォンダ、政府の秘密機関の育ての親、チェッキー・カリョとガブリエル・バーン、恋人のジャン=ユーグ・アングラードとダーモット・マローニー、組織の教育担当のジャンヌ・モローとアン・バンクロフト、「掃除屋」のジャン・レノとハーヴェイ・カイテルの対比を楽しむことができます。

しかし、その前にあえてこの映画のオリジナルだといいたいのが、篠原とおるさんの漫画「さそり」を原作としたに梶芽衣子さんが主演した東映制作による1972年に始まる映画シリーズ「女囚さそり」をあげておきたいと思います。この熱狂的なファンの1人にクエンティン・タランティーノがいるのは知られているところです。

また、逆に1997年には西岡徳馬さんが、製作総指揮・企画・主演の一人三役を務め、続編では監督も務めたVシネマ「内閣特務捜査官 ORDER」は、明らかに「ニキータ」の日本版リメイクと言えます。


「ニキータ/Nikita」(フランス/1990年)
監督、原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ
撮影:ティエリー・アルボガスト
出演:アンヌ・パリロー、ジャン=ユーグ・アングラード、チェッキー・カリョ、ジャンヌ・モロー、ジャン・レノ

リュック・ベッソン(Luc Besson、1959年3月18日)は、「フランスの映画監督、脚本家、プロデューサー。パリ出身。ベッソンは私生活について語ることが少なく、プライベートな面はほとんど知られていないが、両親はともにスキューバダイビングのインストラクターだった。彼もダイバーとして過ごしたが17歳のときに潜水事故に遭いスキューバダイビングが出来なくなっている」。

「幼少期から異彩を放ち、特に思春期には類まれな独創性を発揮して周囲を驚かせた。暇つぶしに書き始めた小説は後に『フィフス・エレメント』の作品世界として活かされている。18歳のとき故郷のパリに戻り、そこで彼は映画の雑用的な仕事をこなして映画製作のノウハウを学んだ。その後3年間アメリカへ移住、さらにフランスに戻って自身の映画プロダクション会社を興す。後に会社はLes Films de Dauphins(「イルカ映画社」とでも訳せるだろうか)と改名し、現在に至っている」。

「1980年代にベッソンはエリック・セラに出会い、自身初のショートフィルムである"L Avant dernier"の構成を依頼。それ以後ベッソンとセラはバンド仲間として、そして最も重要な創作上のパートナーとして数々の作品を共に手がけることになる」。

「1993年に、女優ウィンウィン・ル・ベスコとの間に1女をもうける。彼は1997年11月14日、女優のミラ・ジョヴォヴィッチと結婚したが、後に離婚。その前にも『ニキータ』の主演女優アンヌ・パリローと結婚していたが、作品完成後には離婚していた。現在は2004年8月18日に結婚したヴィルジニー・シラと共に暮らしている」。

「2005年の『アンジェラ』以降はプロデュース業や脚本執筆を中心に活動。しかしショートフィルムに関しては演出を手がけることもあり、日本車の宣伝用フィルムや2012年の夏季オリンピック候補地であったパリのプレゼンテーション用のビデオも製作している。監督業についてはかねてから10作品程度で引退することを公言していたが、2006年9月には『アーサーとミニモイの不思議な国』(3部作)をもって監督業を引退することを発表。同作の日本公開に伴うPR活動で2007年6月に来日した際も引退を宣言している」

つい最近、アメリカ映画「悪夢の破片」(1998)という映画で久々にアンヌ・パリロー。この映画はこの映画でデミ・ムーア主演の「薔薇の眠り」(2002)のアイディアのもとになっているような気がします。

アンヌ・パリロー(Anne Parillaud,1960年5月6日-)は「フランス・パリ出身の女優。中学生の頃から演技の勉強をし、16歳で舞台デビュー。ミッシェル・ラング監督の“Hotel de laplage”で映画デビューを果たす。その後、舞台を見たアラン・ドロンによって彼の初監督作『危険なささやき』や『鷹』に出演。“ドロンの秘蔵っ子”としてし、一部ファンに注目を受ける」。

「そして90年、『ニキータ』によって一躍有名人の仲間入りを果たしてハリウッドにも進出。『仮面の男』では出番は少なかったものの、その繊細な演技力を垣間見せてくれた。リュック・ベッソンとは一児をもうけたが、結婚には至らず破局を迎えた。05年5月、モーリス・ジャールの息子にして女優シャーロット・ランプリングの元夫でもある世界的なシンセサイザー奏者ジャン=ミシェル・ジャールと結婚」。

ジャン=ユーグ・アングラード(Jean-Hugues Anglade, 1955年7月29日-)は「フランス出身の俳優。少年時代から音楽に興味を持ち、ジミ・ヘンドリックスに憧れ『ジプシーズ』というバンドを組み、プロを目指して日夜練習に励む。その後役者志望に路線変更し、1975年からパリのコンセルバトワールで演劇を5年間勉強する。その間にTVでは1977年ごろから出演していた」。

「1982年に映画デビュー。翌年出演した『傷ついた男』では暴力的だが魅力的な男を愛してしまうゲイの青年を見事に演じ、出演2作目にしてセザール賞最優秀新人賞を受賞。1986年の『ベティ・ブルー』では、情緒不安定で後に精神に異常をきたす少女ベティを優しく包み込む青年ゾルグを好演し、世界的にその名が知れ渡る」。

「1989年に『インド夜想曲』での共演をきっかけに女優パメラ・スーと結婚。しかし結婚以前にも様々な女優との浮名を流していた。2000年代に入りパメラ・スーと離婚。2003年頃にベトナム人女性と再婚し、子供も設けたが、その後離婚した」。

「『キリング・ゾーイ』ではエイズに冒された銀行強盗など演技の幅も広く、1994年に出演した『王妃マルゴ』ではセザール賞最優秀助演男優賞を受賞。1996年の『マキシマム・リスク』ではジャン=クロード・ヴァン・ダムと共演、ハリウッドデビューを果たす。翌年『裸足のトンカ』では監督・脚本業にも進出」。

チェッキー・カリョ(Tchéky Karyo,1953年10月4日-)は「フランスで活躍する俳優である。トルコ人の父親とギリシア人の母親の間、イスタンブールで生まれ、パリで育った。妻は女優イザベル・パスコ。舞台俳優として数々の古典劇に出演していた。1982年に映画デビュー。以後、悪役が多いがフランス映画、1990年代に入ってからはハリウッド映画にも多数出演している」。

<チェッキー・カリョ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%A7


「ア・サ・シ・ン/(Point of No Return)」(アメリカ/1993年)
監督:ジョン・バダム
音楽:ハンス・ジマー
撮影:マイケル・ワトキンス
出演:ブリジット・フォンダ、ガブリエル・バーン、ダーモット・マローニー、アン・バンクロフト、ハーヴェイ・カイテル

「1990年のフランス映画の『ニキータ』をハリウッドでリメイクし、舞台をアメリカに移してるが、設定と展開は殆ど同じである。監督はジョン・バダム、主演は当初決まっていたジュリア・ロバーツからブリジット・フォンダに変更して製作。共演はダーモット・マローニー、大女優のアン・バンクロフト、ハーヴェイ・カイテルらが脇を固める。オリジナル版の『ニキータ』には無かったお色気シーンのサービスありで、ヒロインも若干露出が高くセクシーになった」。

ブリジット・フォンダ(Bridget Fonda、本名Bridget Jane Fonda,1964年1月27日-)は、「アメリカ合衆国の女優。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ニューヨーク大学の演劇学科で学び、1986年に卒業。彼女の家族は、世界的に有名な芸能一家である。祖父はヘンリー・フォンダ、父はピーター・フォンダ、伯母はジェーン・フォンダである。その他、親戚には多数の芸能人がいる。2003年12月に『チャーリーとチョコレート工場』や『スパイダーマン』などの音楽を手がける人気映画音楽家のダニー・エルフマンと結婚」。

ダーモット・マローニー(Dermot Mulroney,1963年10月31日-)は「アメリカ合衆国バージニア州出身の俳優。ノースウェスタン大学で学び、1988年に映画デビュー。インディーズ映画にも積極的に出演している。学生時代はチェロ奏者であり、オーケストラに参加していた。『Papercranes』というバンド(レイン・フェニックスとサマー・フェニックスのバンド)でベースとチェロを弾いたりもしている。1990年に女優のキャサリン・キーナーと結婚したが、2005年に離婚している」。

ガブリエル・バーン(Gabriel Byrne、1950年5月12日-)は、「アイルランド・ダブリン出身の俳優である。教師をしていたときに校内で舞台に立つ機会があり、俳優を志すようになる。演技を始めたのは29歳の時なので、遅咲きであると言える。教師をしながら劇団に所属し、その後俳優活動に専念するために退職した。俳優になる前は教師以外にも通訳、闘牛士、コック、考古学の発掘などをして働いていた」。

「アイルランドのテレビシリーズで役を掴み、人気を博した。ダブリンの舞台に立っていたところを映画監督のジョン・ブアマンに見出され、1981年の『エクスカリバー』で映画デビュー。1993年の『父の祈りを』ではプロデューサーを務めている。また、近年ではブロードウェイの舞台にも立っている。女優のエレン・バーキンと1993年に離婚している」。(ウィキペディア他)


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