日々雑感

子供たちはいなくなり、夫とワン1匹暮らし。

父のこと

2019年07月09日 | 雑感
父は慢性腎不全になって2010年から人工透析を始めたので、透析10年目になっていた。
一般人に比べ、透析患者の余命は約半分程度と言われているので、余命5年のところを10年もったのだから生命力が強い。それでも透析が長くなるといろいろと合併症が出ていて、昨年末に主治医から「いつ何が起きてもおかしくない状態」と言われていた。
けれど、食欲はあるしそれなりに元気だし、妹と「すぐにどうかなる感じはしないね。」と言っていた。

今年になって貧血がひどくなり少々の下血があるから、おそらく大腸辺りで出血しているようだった。高齢で体力がない父には大腸検査は無理で、貧血状態を見ながら輸血で対処をしていた。

5月に行ったときは、貧血がひどいから弱っているんじゃないかと思っていたら、元気。きつくはあるらしいけど食欲もあるし、大丈夫だと思った。
庭に出てくる筍と蕗が好きで、今年も私が煮たのを美味しそうに食べていた。

5月末に急に状態が悪くなり、主治医から「近い方に連絡してください。」と言われ、もうダメだと覚悟した。
母の命日の前日だったので、母が迎えに来たと思った。
ところがそこから医師も驚きの回復をして危ない状態を脱し、20日ほどかけて急変する前の状態に戻った。生命力強い!

亡くなる1週間前に私が行ったときも元気で、聞きたかった父の子供の頃の話を楽しそうにしてくれた。
『いつ何が起きてもおかしくない状態』は変わらないけど、「これだと来年の東京オリンピックくらいまで大丈夫かも。」と妹と話していたところの2回目の急変で帰らぬ人となった。


父が透析を始めた2010年、同じころから母に病状が現れ始め、暮らしていくのに手助けが必要になってきた。
介護保険を利用しながら近くに居る妹が食事の世話をして、私がたまに行くようにしていたが母の病状はだんだん悪くなり、2012年に妹は介護専念のために仕事をやめ、私は月イチで通うようになった。

介護生活9年ちょっと。やっていたのはほとんど妹。
2015年に母が亡くなり、2017年秋に父が完全に施設に入るまで毎日食事の世話をし、出かけるときは車を出していた。施設に入った後も週に数回通い、通院の付き添いをしていた。
私は月1回行くことと、確定申告、年賀状等をやっていたくらいだから、妹の方がはるかに大変で、妹にはとても感謝している。


実家は人がいなくなったけど、物は残っている。
おそらく結婚したころはほんのちょっとだったのが、50年以上になるとこんなに増えるもんだ。これを片付けるかと思うと、気が遠くなる。
息子たちのためにも、自分もこれから物を少なくしていくべきだな。

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