Photo 2002.4.29
東京駅
所在地:千代田区丸の内1-9
建設年:1924(大正13)
構造・階数:鉄骨煉瓦・3F
設計 :辰野金吾
備考 :2012(平成24)に当初の姿に復原
戦災によりドーム屋根、3階を焼失。南北の台形の屋根は戦災復興時の応急措置で、当初はもっと華やかなドーム屋根が載っていた。またドームとドームの間はこの頃は2F建てになっていたが、ここも当初は3F建てだった。
1990年代には解体、建て替えの話もあったが、保存が決まり、容積移転によって耐震化・免震化と復原の費用を捻出することができ、2012年に復原工事が完了した。従ってこのページは、仮復旧の形で推移していた当時の東京駅の様子を示すもの。
Photo 1988.2.28
実は南北に300m近い巨大建築。丸の内側から見た時、背後に八重洲口の大丸が見えてしまって絵にならかったが、再開発によってビルがなくなり、正面からの景色は少しはよくなったようだ。しかしその代わりに八重洲口の南北に超高層ビルが二棟建てられるので、結局は超高層ビルの谷間に赤煉瓦の東京駅がちょこんと残されることになっている。
建築史的には、辰野金吾によって設計・建設された当初の形に戻すことは一つの悲願だったのかもしれない。だが、戦後60年以上の間、東京駅はこの姿で推移し、オリジナルの状態より長い時間が経過していた。現在では大半の人が戦後生まれで、その人々にとっては東京駅といえばこの台形の屋根の建物だった。昔の立面図を見た時、個人的には少し違和感があったのも事実だ。当初の華麗な東京駅を見たくないわけではなかったが、復原がきまった時はなんだか複雑な気分だった。また、戦時の空襲によって焼失したものを修復して使い続けてきたという歴史をリセットするべきではない、との意見もあったと言われる。
従って、当初は戦後60年に渡って姿を見せていた仮復旧の状態こそ、建物の歴史をよく見せているものだから、そのままで良いのではないかとも考えていた。だが、こうして復原が済んでみると、これはこれで当初の意気込みを感じさせるもので、悪くはない。
今はまだやや馴染めない気もする復原駅舎だが、50年、100年先のことを考えれば、これで良いのかもしれない。仮復旧の状態は写真などで残しておいて、機会があるごとに、過去へたどれば良いのかもしれないと考えるようになった。
丸の内南口 Photo 1994.1.22
丸の内南口のドーム天井 Photo 2005.11.27
南北の改札口ホールは地味な感じだった。天井もただのドームだった。現在は柱もピカピカになり、ドームも華やかなものになっている。
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Tokyo Lost Architecture
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