1992.10.15(Thu) Moscow
05:30 起床。結局モスクワ滞在中はずっと時差ボケのままだった。しかし徐々に就寝時間と起床時間が後ろにずれており、日本では昼頃起床という状態。帰国後に普通の生活に戻すのがつらそうだ。昨日、ホテルに戻ってから倒れるように寝てしまったので、起き抜けに風呂に入る。
06:30頃、薬を飲むためにお湯をコップ一杯貰う。モスクワ滞在中、疲労で頭痛がしたりしていたので、大事をとって予防的に薬を飲んでいた。ジェジュールナヤと呼ばれるフロアサービスのおばさんに廊下で声を掛け、ロシア会話ハンディブックを片手にカタコトのロシア語で部屋番号を伝え、お湯をコップ一杯下さいと頼んでみた。最初はうまく言えずにフレーズを繰り返したが、その内面倒になってガイドブックをちょっと見せながら話す。するとおばさんはわかったという顔をしながら、比較的はっきりとした口調で正しい発音で僕の言った言葉を復唱してニコッと微笑み、給湯室へと立ち去っていった。私は取り残される形になり、本当に部屋に持ってきてくれるのだろうかと思いながら自室に戻ったが、数分後、おばさんが部屋をノックしてお湯を持ってきてくれた。ここらへん、ちゃんとしたホテルの客室サービスは良い。
07:30 朝食までに時間があるのにお腹が空いてしまう。しかし食べ物は何もない。空腹なので再び寝付くこともできず、暇つぶしにCNN等を見る。ニュースの英語は多少判るときもあるが、やはり細かいところは付いて行けない。しかし映像があるのでそれなりには理解ができる。日頃、ニュースや天気予報に浸った生活をしているので、情報過疎状態になるとなんとも心許なくなることに改めて気づく。しかし旅行中は別の情報収集に懸命で、世界がどうなろうと知ったことではないという気分であることも事実だ。
早朝の窓の外はどんよりとしている。天気予報は今日も曇だと言っている。旅行の最後の方になってまた少し時間と気分的余裕ができたので日本の友人らに手紙を書く。
ロシアに来てから浴室やトイレが興味深かったので、ここツェーデーテーでも浴室の写真を撮っておく。
また、土産物として買ったマトリョーシカを電話台に部屋の鍵と共に並べ、身の回りの記録写真を撮る。
部屋の鍵はシリンダー錠で、これまでのホテルに比べれば開け閉めはうまくいく。だがここの鍵にはタマゴ大の鉛の塊が付いていて、これに部屋番号が刻まれており、ポケットに入れるとズッシリと重くかさばる。また鍵穴にさしてドアを開ける際、必ずドアパネルにこの重りが激突して大きな音がする。度重なるこの激突でドアの塗料は剥げ、心なしか板も凹んでいる。何故こんなに重く大きな塊を鍵に付けておくのか、そこら辺今ひとつ判らないままだった。
09:00 朝食。ロシアの料理はあまり代わり映えしない。日本の食生活は相当にバラエティに富んだものであることを今回の旅行では痛感した。ロシアだってそれほど食文化的に貧しい国ではないはず(いわゆる後進国のように食料自体が不足している国にくらべれば・・・。)なのだが、なんだかこれをずっと食べてるのは飽きちゃうなぁと二週間で早くも思い始めるのだった。
10:00 出発。出掛けに手紙をホテルで出す。フロントで日本へ送ると英語で言って(Japanと書いてあるので無言でも大丈夫なのだろうが)、必要な金額の切手を買い、ロビーの青いポストに入れるだけだから簡単だ。ただ日本の赤いポストを見慣れていると青いポストはなんだか奇妙に見える。しかし後年、ヨーロッパを旅行してみて、ポストが青い国も結構あることを知った。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧 #ホテル・旅館