都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ツェー・デー・テー・ホテルにて

1992-10-15 | ロシア  

1992.10.15(Thu) Moscow

 05:30 起床。結局モスクワ滞在中はずっと時差ボケのままだった。しかし徐々に就寝時間と起床時間が後ろにずれており、日本では昼頃起床という状態。帰国後に普通の生活に戻すのがつらそうだ。昨日、ホテルに戻ってから倒れるように寝てしまったので、起き抜けに風呂に入る。

 06:30頃、薬を飲むためにお湯をコップ一杯貰う。モスクワ滞在中、疲労で頭痛がしたりしていたので、大事をとって予防的に薬を飲んでいた。ジェジュールナヤと呼ばれるフロアサービスのおばさんに廊下で声を掛け、ロシア会話ハンディブックを片手にカタコトのロシア語で部屋番号を伝え、お湯をコップ一杯下さいと頼んでみた。最初はうまく言えずにフレーズを繰り返したが、その内面倒になってガイドブックをちょっと見せながら話す。するとおばさんはわかったという顔をしながら、比較的はっきりとした口調で正しい発音で僕の言った言葉を復唱してニコッと微笑み、給湯室へと立ち去っていった。私は取り残される形になり、本当に部屋に持ってきてくれるのだろうかと思いながら自室に戻ったが、数分後、おばさんが部屋をノックしてお湯を持ってきてくれた。ここらへん、ちゃんとしたホテルの客室サービスは良い。

 07:30 朝食までに時間があるのにお腹が空いてしまう。しかし食べ物は何もない。空腹なので再び寝付くこともできず、暇つぶしにCNN等を見る。ニュースの英語は多少判るときもあるが、やはり細かいところは付いて行けない。しかし映像があるのでそれなりには理解ができる。日頃、ニュースや天気予報に浸った生活をしているので、情報過疎状態になるとなんとも心許なくなることに改めて気づく。しかし旅行中は別の情報収集に懸命で、世界がどうなろうと知ったことではないという気分であることも事実だ。

 早朝の窓の外はどんよりとしている。天気予報は今日も曇だと言っている。旅行の最後の方になってまた少し時間と気分的余裕ができたので日本の友人らに手紙を書く。

 ロシアに来てから浴室やトイレが興味深かったので、ここツェーデーテーでも浴室の写真を撮っておく。

 また、土産物として買ったマトリョーシカを電話台に部屋の鍵と共に並べ、身の回りの記録写真を撮る。

 部屋の鍵はシリンダー錠で、これまでのホテルに比べれば開け閉めはうまくいく。だがここの鍵にはタマゴ大の鉛の塊が付いていて、これに部屋番号が刻まれており、ポケットに入れるとズッシリと重くかさばる。また鍵穴にさしてドアを開ける際、必ずドアパネルにこの重りが激突して大きな音がする。度重なるこの激突でドアの塗料は剥げ、心なしか板も凹んでいる。何故こんなに重く大きな塊を鍵に付けておくのか、そこら辺今ひとつ判らないままだった。

 09:00 朝食。ロシアの料理はあまり代わり映えしない。日本の食生活は相当にバラエティに富んだものであることを今回の旅行では痛感した。ロシアだってそれほど食文化的に貧しい国ではないはず(いわゆる後進国のように食料自体が不足している国にくらべれば・・・。)なのだが、なんだかこれをずっと食べてるのは飽きちゃうなぁと二週間で早くも思い始めるのだった。

 10:00 出発。出掛けに手紙をホテルで出す。フロントで日本へ送ると英語で言って(Japanと書いてあるので無言でも大丈夫なのだろうが)、必要な金額の切手を買い、ロビーの青いポストに入れるだけだから簡単だ。ただ日本の赤いポストを見慣れていると青いポストはなんだか奇妙に見える。しかし後年、ヨーロッパを旅行してみて、ポストが青い国も結構あることを知った。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧  #ホテル・旅館 
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サーカス

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 18:30 再びホテルを出発し、サーカスを見に行く。

 会場に到着すると、既に開演間近で場内には多くの人が入っていた。やはり子供連れの客と外国人観光客が多い。ロシアの子供が楽しみにしている娯楽の一つがサーカスだという。中段より少し上の席に座り開演を待つ。サーカス場は日本のようなテントではなく、常設の円形ドームである。人間ロケットや空中ブランコ等の設備も組み込まれた、サーカス専用のホールが各地に造られるほどロシアはサーカスの盛んな国なのだ。

 19:00 開演。動物を使った演目が多い。日本のTVで派手な演出のサーカスショーや中国雑技団などを見慣れてしまっている目には多少退屈な面もあるが、大きな熊が愛らしく振る舞うショーなどは見ていて楽しかった。しかし、時差ボケで20時過ぎには眠くなってしまうのと、暖かい場内で薄暗い客席にじっと座っていたためと、やや動物系のショーばかりで飽きてしまったこともあって、私たちは皆、途中で何回も船を漕いでしまったのだった。

 21:45 サーカス終了。3時間近くに及ぶショーはやや長く疲れた。終盤は僕等は寝てしまっていたが、最後になって皆起きて拍手喝采をしたのだった。相変わらず調子の良い我々である。

 帰る前にターニャさんが、今日は自分たちだけでホテルに帰って貰いますと言い、地下鉄に乗ってどこの駅で降り、どのバスに乗ればよいかを教えてくれた。言葉が判らない上に夜中なのでやや心配だったが、地下鉄の乗り換えはないとのことだったので、何とかなるだろうということになる。ターニャさんが自分たちでと言ったのは、どうやら22時までがこの通訳バイトに従事する時間だったためらしい。それ以上つきあっても報酬が得られないので、サーカス場から自宅に直行することにしたようなのだった。

 夜の地下鉄はさすがに空いていた。モスクワの地下鉄は日本とは異なり、24時間走っているという。なかなか便利な公共交通機関である。車内は蛍光灯ではなく白熱灯がともされていて暖かい感じだが、日本の地下鉄に比べると少し薄暗い。

 地下鉄を降りて地上に出る。ターニャさんに言われたとおりバス停を探してバスに乗ろうとするが、いくつかの路線があって、どれがホテルに行くものなのかはっきりしない。ターニャさんが言っていたバス停に該当する場所は判ったが、本当にこれでよいか自信がない状態だった。もし違う場所に行ってしまった場合、戻って来られなくなったりして厄介だ。ウラジオは小さい街だったので歩いてでも宿舎に何とか戻れたが、モスクワではそうはいかないのでやや緊張する。K氏が近くにいた大学生とおぼしき女性に、片言の英語でこのバスはツェーデーテーホテルにいくか、と尋ねる。女性はしばらく考えた末、YESと言ってくれた。恐らく大丈夫だろうということでバスに乗り込む。地下鉄と違ってバスは本数が少ないためかかなり混んでいた。混んでいる場所ではやはりどうしても緊張してしまう。ホテルの近くで見覚えのある景色が見えてきたとき、ようやく緊張から解放された。

 22:15にホテルへ帰着。23:00に就寝。疲れと時差ボケで、少しだけ日記を書いてすぐに寝てしまう。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#鉄道  #体育館 
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ノボデヴィチ修道院

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 昨日は内部を見学することができなかったノボデヴィチ修道院へ向かう。ガイドの人が是非見ておくのが良いと薦めるので、改めて訪問することになったのだった。

 16:20 修道院に到着。また夕方になってしまったが、今日は中に入ることができた。ソヴィエト時代の1922年に閉鎖され博物館などに転用されたそうだが、その後、神学学校が開かれ、大聖堂も返還された。ロシア建国後は礼拝に訪れる人も増え活動も活発化しているという。私たちの訪問時には修道女が住んではいなかったらしいが、この後1994年には、修道女が生活する往時のスタイルが復活したのだという。

ノボデヴィチ修道院   Google Map
Wikipedia > ノヴォデヴィチ女子修道院

 入口には十字架と金色タマネギを沢山載せた紅白の塔がある。多くの建物は1680年代に建てられたそうだ。

 壁には矢狭間(銃眼)が作られ、敷地の角などの要所には見張り櫓がそびえており、まるで城郭のようだ。そしてクレムリンと同じように鐘塔や寺院が垣間見えている。

 門も城門のように堅固で壁は高い。1524年に創建されたこの修道院は、ロシア・ポーランド戦争(1605~1618)の際に、一時ポーランド軍に占領されたことがあるそうで、その後、このように防護を固めたらしい。

スモレンスクの生神女大聖堂
建設年:1524~1525

 堅牢な壁に閉ざされてはいるが、内部は意外に穏やかな雰囲気で、緑の多い中庭にいくつかの寺院や礼拝堂が建っている。

 青空の中にひときわ高く赤煉瓦と白い石で造られた鐘楼がそびえる。夕暮れの中庭はひっそりとして静かだった。

 庭の端には古くなって修復中である建物があった。天井を張った上に簡単なトラスを載せてそこに屋根板を張るという至極簡便な修復である。断熱材もあまりないような感じで、一般の建物はこんなものなのかと驚かされてしまう。

 また、ある建物の壁面には日時計が描かれていた。後年ヨーロッパ各地の建物を見た時、時計が効果的に用いられているのが印象的だったが、壁面に日時計を付ける発想は日本ではあまり見かけないので面白かった。この修道院の日時計は壁面に針金を取り付け、ペンキで文字盤を描いただけの素朴なものだったが、その簡素な表情がまたどこか心を和ませるものがあった。残念ながらこの時は日が陰っており、日時計には時刻は映っていなかった。寒い国で、日の光を待望する人々の気持ちが現れているような気もするものだった。

 17時前から礼拝が始まる。人々の後ろからそっと礼拝を見学させて貰う。ウラジオの時も感じたが、敬虔なお祈りにはやはり厳粛な雰囲気が伴うものだ。そこらへんどうも日本の寺社の参拝はお気楽な感じであるような気がする。それが仏教的、東洋的な明るさといえばそうかもしれないが、後々韓国を訪れたときに、同じ仏教でもずっと真面目だったのに驚かされたことを考えると、やはり日本人はもう少しは信仰心を持たないと堕落してしまうのではないかと考えさせられてしまうのだった。

 夕暮れが近づいてきて急速にまた寒くなってくる。バスに乗り込みホテルへ向かう。

 バスに乗っている内に日が落ちて、空が茜色になる。夕焼けをバックに、モスクワ大学の塔とスキーのジャンプ台がシルエットになる。印象的な夕暮れを見ながら、市街を通り過ぎる。

 17:30にホテルに帰着して夕食。ロシアの夕食は割に軽いのですぐに終わってしまう。

 EVホールにはジェジュールナヤと呼ばれるフロアーサービス係が24時間体制で待機している。このおばさんはフロアーへやってくる人のチェックもしているので、このようなホテルは安全面でもひとまず安心できる良いホテルということになる。この方式は後年、中国や韓国でも出会ったもので、ちゃんとした大規模ホテルにはあるサービスのようだ。もしかすると僕が知らないだけで、日本でも良いホテルはそうかもしれないが。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#教会  #眺望  #塔  #夕景・夜景 
#16世紀  #17世紀  #ビザンティン  #バロック 
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グム百貨店

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 赤の広場に面したグム百貨店へ行き、ショッピングをすることになる。研究室の人々に対してはここでまとめてお土産を買うことにする。悩んだ末、結局マトリョーシカをいろいろ取り混ぜて買うことにし、購入した大量のマトリョーシカは皆で手分けして荷物の中に入れて持ち帰ることにする。

グム百貨店   Google Map

 モスクワのグムは、ロシアの百貨店で最も立派なものだということで有名だ。建物は3階建てで階数はさほどないが、建築面積はやたら大きく、200×100m以上あるのではないかとさえ思われる広大なものだ。外から見るグムはまるでどこかの宮殿のようだ。そして内部には3列のガレリアが並ぶ。光が降り注ぐ200m近いガレリアは、まさに壮観の一語に尽きる。ましてやそれが3つもあるのだから恐れ入る。モスクワにグム百貨店あり、というほど、都市のプライドに関わる場所になっているのではないだろうか。

 ガレリアには2Fと3Fにブリッジが架かる。2Fは1Fの通路を見下ろすようなテラス通路になっている。

 中央部には噴水のあるホールもしつらえられており、ショッピングの殿堂といった趣である。

 3列のガレリアに面した建物は、列毎に壁面の色が異なり、中央はモスグリーン、左右はベージュ、薄い赤茶といった具合になっている。

 通路には100周年記念のポスターが貼ってあるミラータワーが建っている。確かに歴史を感じさせる建物ではあるが、古くさくはなく社会の変化に伴い、活気のある新しい空気が入ってきているのが感じられる。

 グムは以前は完全な国営百貨店であったが、近年は西側の企業も店を構えるようになっており、Samsoniteの垂れ幕や、ドイツ系企業の看板もみられる。また帰国後にはベネトンがグムに出店して話題にもなった。それにつれて高級品が増え、売り物の値も上がり、庶民的な百貨店ではなくなっているようである。

 しかし一方では、相変わらず品不足の国営商店も同居しているのがグムなのである。

グム百貨店東南側の建物

 15:45 短時間のショッピングを終え、再びバスに乗る。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #商業系  #デパート・百貨店 
#吹き抜け・アトリウム  #アーケード  #ネオ・ロシア 
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もういちど赤の広場

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 14:00 午後の観光のため、またホテルを出発。最初に15世紀の寺院に寄る。

 小さい建物だが古い寺院だと聞いて、期待してバスを降りて中に入ってみると、内部が全部土産物屋になっていた。

 どうやらここはバスの運転手がつるんでいるところらしく、勝手に連れてこられてしまったということに気づく。露店で見たペンやマトリョーシカが大量に並べられていたが、露店では20円程度だったボールペンが1ドル(約120円)程度で売られているので、ばかばかしくなってすぐに建物を出てしまう。しかし寺院がこのように転用され、内部の壁も真っ白に塗られ、小綺麗になっているのは不思議な感じだ。

Big Stone Bridge(Большой Каменный Мост)から
クレムリンとモスクワ川。遠方はロシアホテル   Google Map

 バスでモスクワ川を渡って赤の広場へ向かう。橋の上では、車内からクレムリンの全貌を見ることができた。道路の渋滞に乗じて車内からパノラマを撮影する。

ロシアホテル前の広場から、トロリーバスと
コテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート   Google Map

 14:40 赤の広場に到着。昨日とは違って今日は天気も良く、午後はそれほどは寒くない。ロシアホテル前の広場からははっきりと遠くの景色が見えていた。

赤の広場   Google Map
左 クレムリン  中央 歴史博物館  右 グム百貨店

 広場のパノラマを撮影する。日本にはこのような広場は無い。真ん中に立ってみると、やはり広場というのは周囲に建つ建物によって活かされている物だと改めて感じるのだった。

聖ワシリー大聖堂   Google Map

 15:00になった時、広場にいた観光客が一斉にレーニン廟へ向かって走り始めたので、なんだか分からないまま、僕らも一緒になって走る。途中で日本のおばちゃん達に「あんた達どこから来たの?」と声を掛けられる。「東京の大学生です。」と答えると「あら、あたし達は名古屋から来たのよ、こんなところで一緒に走るなんておかしいわねえ。」などと、ケタケタと笑いながら走っていくのだった。

衛兵の行進。後方はレーニン廟   Google Map

 レーニン廟では衛兵の交代式を行っていた。観光客にしてみれば、この手の儀式はやはり見逃すわけにいかないものだ。銃を携えた衛兵が3人、独特の歩き方で歩いていく。レーニン廟の衛兵は、ソビエト時代に革命の英雄の遺体を安置した墓所を警備するために設けられたが、レーニン他の位置づけも変わり、観光客向けのショーのような側面もあるようだった。また後年、この衛兵は廃止されたとも聞く。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #パノラマ  #広場  #城・宮殿  #教会  #自動車 
#デパート・百貨店  #高層ビル  #ビザンティン  #スターリン様式  #世界遺産 
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アルバート通り

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 10:30 アルバート通りに到着。しばらくの間、ショッピングということになる。晴れて少し明るくなってくる。アルバート通りは国営の商店が建ち並ぶショッピングストリートだが、現在は露店が多く出る歩行者天国という方が雰囲気をよく表している。

アルバート通り   Google Map

 もちろん建物内では国営商店が今も営業しているのだが、モスクワといえども品物が少なく、サービスもいまひとつな状況に変わりはない。これに対して、露店の方は日本の縁日やフリーマーケットのような雰囲気で、様々な物が仮設の台の上に並べられている。ロシアに来てこれだけ多くの露店群を見たのは初めてだったので、やや興奮してあちこち見て回る。Tシャツ、バラライカ、マトリョーシカ等の人形、レザージャケット、毛皮の帽子(例のロシア帽子)、ジーンズ、スカーフ、レース、アクセサリー小物類、軍隊のバッジや勲章など、売り物は様々だ。

露天商の店が国営商店の前に盛大に立ち並ぶ

 面白い店はないかとターニャさんに尋ねたところ、彼女はとあるアンティークショップに私達を連れていってくれた。そこにはなかなか質の良さそうな物がいろいろガラスケースの中に収まっていた。しかしそこは目が利く人でないとちょっと手が出せない物が多く、やはり私達のような一般の観光客は、露店で交渉して物を買うのが、手っ取り早く満足する方法らしかった。

 ターニャさんは真面目な公務員なので、「露店はマフィアの収入源だから買っちゃダメです。」みたいなことを言うのだが、欲しくもない物を国営商店で買って政府が儲かるより、欲しい物を買った方が個人的にはみな満足して良いのではないかと思ってしまう。それほど国営商店と露店や自由市場の差は大きい。

 ウラジオでもそうだったが、露天商たちは国営商店で売るはずの物をなにかしらの裏ルートで手に入れて、多種多様な商品を揃えて売り捌いている。計画経済下でノルマを達成したらそれ以上は生産も販売もしない国営企業や商店と違って、需要があればどんどん手に入れて売るわけで、自ずと店頭の商品ラインナップも充実してくる。ただしもちろんマージンは取っているので、国営商店に比べればかなり高い。「安いですが今はありません。いつ入荷するかもわかりません。」と「いろいろなものがたくさんあります。でも高いです。」のちがいである。

マトリョーシカを売る露天商。国営商店よりも種類がかなり豊富。

 露店を出しているのは確かに流通ブローカー系が多い。しかし2~3割程度、一般市民もフリーマーケット状に私物を売っている。おばあちゃんがレース編みを一人で立ちっ放しで売っていたり、おじいちゃんが勲章を一つ右手に持って売っていたりする姿はややもの哀しい雰囲気があって、通りかかるこちらも気分的に落ち着かなくなってしまうが、アルバート通り自体は総じて活気があって面白い場所だ。

 歩いていると、途中に美術館とおぼしき建物も見られる。外側には垂れ幕が掛かっているが、意外におしゃれにデザインされておりこれも楽しめる。

レニンスキ計画道路近くの高層アパート   Google Map

 12:00 バスに集合して昼食に向かう。お土産をどうするか検討中だったが、結局この時は買い物はしないで終わってしまう。

ガガーリン記念碑   Google Map

 帰り道の途中に、銀色に輝く塔状の銅像があった。何かと思って聞いてみると、ガガーリン記念碑だという。まるで自らがミサイルのように飛び上がるイメージで建てられていてビックリする。また台座の足下にはサッカーボールのような、帰還船をかたどったモニュメントも置かれていた。一同、オオッと驚く。まるでアニメか何かのヒーローのようだ。

ホテルのレストラン

 13:00 ホテルに戻り昼食。天気が良くなって日が射せば少しは暖かくなるのだが、曇ってしまうと途端に寒くなってしまう。そこで部屋に戻った際にパジャマを重ね履きして防寒対策をする。

ホテルロビーのらせん階段
1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#街並み 海外  #道  #住宅系  #商業系  #高層ビル 
#モニュメント  #ホテル  #屋内階段  #ソビエト様式 
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コムソモーリスカヤ駅からアルバート通りへ

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 環状線コムソモーリスカヤ駅で地下鉄を下車し、地上に出る。列柱の並ぶ出口から外に出ると、なんだか劇場か美術館から外に出たような晴れやかな気分になる。駅は同じ名の広場に面している。

コムソモーリスカヤ広場   Google Map
左 カザンスキー駅、左奥 コテルニチェスカヤ川岸通りの高層アパート、右 レニングラードホテル

 市内北東部にあるこの広場の周りには地方都市への長距離列車のターミナルが集中しており、カザンスキー駅、レニングラーツキー駅、ヤロスラフスキー駅などがそれぞれに様式を競って建ち並んでいる。レニングラーツキー、ヤロスラフスキーなど異なる名の駅が一ヶ所に集まっているのは変な感じだが、実はこれらの駅名はその路線の終着地の名をとっている。レニングラーツキー駅から出る路線の終着駅はレニングラード、ヤロスラフスキー駅の場合はヤロスラブリなのだ。従ってモスクワの街の周囲には地方都市の名の付く駅がいくつもある。行き先と駅名が一致するのは、考えてみれば面白い発想だ。青森行きの列車が出発する上野駅が青森駅と呼ばれるようなものである。

ヤロスラフスキー駅(左端はコムソモーリスカヤ駅)   Google Map
開業年:1862年(コムソモーリスカヤ駅は1952年)
Wikipedia > ヤロスラフスキー駅コムソモーリスカヤ駅 (環状線)
カザンスキー駅   Google Map
開業年:1864年

 広場はこれらの駅に来る人々のためのバスターミナル及び駐車場になっている。日本の駅前広場のように、ラインや植栽で仕切られているわけではなく、舗装されただけのだだっ広い場所になっていて、横断歩道さえよく分からない。

レニングラーツキー駅   Google Map
完成年:1851年
Wikipedia > レニングラーツキー駅

 しかし周囲の建物が立派だと、これはこれで良いような気がしてくる。後にロンドンやパリの駅も見たが、そちらでも必ずしも緑地やモータープールは設けられていない。駅前広場の使い方はおよその仕分けがあるだけで、その他は暗黙の了解でフレキシブルに使われているようだった。よく考えてみると、実はその方が合理的な使い方であるような気もしてくる。ただそれはやはり、広場と周囲の建物の関係の中で出来上がることであり、絵になる建物あってこそのものなのかもしれない。

レニングラードホテル   Google Map
建設年:1953年
階数 :17F
高さ :136m
部屋数:329室
Wikipedia > ホテル・レニングラード

 広場の端には、モスクワ7大塔状高層建築の一つであるレニングラードホテルがそびえている。ホテルの質は知らないが、目立つし気になるスターリン・ゴシック様式の超高層建物だ。136mという高さは7つの中では一番低いというが、やはりランドマークであることにはかわりがない。またそんな高い建物であるにも関わらず17階しかないのも、シンボル性を重視した建物ならではだ。

ノーヴィ・アルバート通り(新アルバート通り・旧カリーニン大通り)の高層アパート   Google Map

 コムソモーリスカヤ広場から再びバスに乗って、アルバート通りへ向かう。

ロシア連邦政府庁舎   Google Map
(ベールイ・ドーム、旧ロシア最高会議ビル)
建設年:1981年完成(1965年着工)
Wikipedia > ベールイ・ドーム

 モスクワ川沿いを走っているときにロシア最高会議ビル(当時)(別名:ホワイトハウス)のそばを通る。このビルは、翌年、クーデターが起こったとき、反乱軍が立てこもったため戦車砲撃されて焼けてしまった。正面から見ると巨大でシンメトリーな建物からは独特な威圧感が感じられる。
 コメコンビルのそばも通ったが、こちらは写真に収めることができなかった。コメコンという機関はその後、事実上解体してしまったので、写真を撮りそびれたのはちょっと残念だった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#広場  #鉄道  #塔  #高層ビル  #官公庁  #オフィス 
#スターリン様式  #ソビエト様式 
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モスクワ地下鉄巡り

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 09:00 市内の地下鉄2号線チアトラリナヤ駅付近でバスを降り、ここから地下鉄に乗る。(以下、途中の乗換駅等の詳細ははっきりしない。写真がどの駅のものなのかも一部分からないが、帰国後、資料やWEBで調べて判明した事をもとに記載する。)

 モスクワの地下鉄は駅が壮麗なことで有名だという。ターニャさんの案内で地下鉄巡りをすることになる。駅入口は天井が高いホールになっていて、日本の地下鉄のような、地下に入っていく狭苦しさがない。

地下鉄2号線チアトラリナヤ駅(Teatralnaya)   Google Map
1938年開設(手前の建物)。駅名は周辺に劇場が多いことから。
Wikipedia > Teatralnaya (Moscow Metro)(英語版)

 切符売り場に自動販売機はない。窓口でおばさんから1RBでトークンと呼ばれるコイン状のものを買う。私達に体験してもらうために、何と言ってトークンを買うか、ターニャさんが教えてくれる。
 ソビエト崩壊後、物価は急上昇しているが、地下鉄は国営であるためか未だに1RBのままだ。日本円に換算すると0.4円で、モスクワ地下鉄の全路線・全区間に乗れてしまうそうだ。これだからこの国の金銭価値感覚は理解できない。トークンを入れて改札を通る。ただ同然のものなので、トークンを2枚買い、1枚は記念に持ち帰ることにする。

 そういえば公衆電話も受話器を上げるとそのままつながってしまうらしい。物価事情にあわせて通話料金を取ろうとすると、紙幣でないとダメだからだという。日本のように電話機をプリペイドカード化する資金はないらしい。だからといって無料になってしまうあたりがすごい。

チアトラリナヤ駅構内の通路

 エスカレーターで地中深く降りて行く。モスクワの地下には、地下鉄路線から派生して、巨大な地下都市とも呼べる施設があることが、後日新聞に載っていた。地下鉄の深さは地下30mほどだそうで、そのようなものがいかにもありそうだ。

 通路はヴォールト状になっているが、やはり閉塞感が感じられる。だが、安くて便利な公共交通機関であるため多くの市民が利用しており、通路はかなり混雑している。天井からの明かりが白熱灯である場所も多く、暖かい雰囲気なのが魅力的だ。自慢の地下鉄だけあって電球が切れていたりしないのも嬉しい。日本の地下鉄のようにあちこちに広告が貼ってあるなどということはなく、ひたすら建築空間としての駅を見ることができる。
 ホームには大理石の列柱が並び、通路の壁は一面にモザイクタイルが貼ってある。またヴォールト天井にも様々な彫刻が施されている。

 ホームの端のトンネル入口上部に減算式のデジタル時計が付いている。あと何分何秒で電車が来るということを表示しているようだ。しかしあちこちで待たされることの多いロシアで、地下鉄だけにそのようなものが必要かどうかははなはだ疑問だし、第一それほど正確に地下鉄が運行されているのかも定かではない。

 ほどなく列車がやってくる。給電方式は第三軌条によるものだ。車輌も昔の銀座線や丸の内線のようなものだ。車内は相当混雑していて、この時は200%近い混雑率だった。

 2号線マヤコフスカヤ駅で一時下車して、駅構内を見学。この駅はアールデコ調の装飾で飾られている。

マヤコフスカヤ駅(Mayakovskaya・1938年開設)   Google Map
Wikipedia > Mayakovskaya(Moscow Metro)(英語版)

 マヤコフスカヤ駅の名は、ロシア・ソ連の詩人、ウラジミール・マヤコフスキー(1893~1930)にちなむ。

ホーム天井のモザイク画

 ヴォールト天井にはいくつもの楕円形のスペースがあり、その一つ一つに、ソビエト建国にまつわる出来事に関するモザイク画が描かれている。ここまで見てくると、これが観光に値するだけの立派な施設で、モスクワっ子自慢の場所であることがはっきり判ってくる。

 ベラルースカヤ駅で環状線に乗り換える。モスクワの地下鉄路線のうちの一つは、東京の山手線のように旧市街地周辺を環状に走っている。そしてこの環状線上のいくつかの駅は、地方都市への長距離列車ターミナル駅にも接続している。ベラルースカヤ駅の名はベラルーシ共和国へ向かう駅の近くにあることから。

ベラルースカヤ駅(Belorusskaya・1952年開設)   Google Map
Wikipedia > ベラルースカヤ駅環状線(モスクワ地下鉄)

 乗り換え通路は不思議なほど狭く、天井が低い。車輌の上をかすめるように、ヴォールト上部の空間を通路が交差している。面白い景色だが、これは狙って作ったのだろうかと不思議になってしまう。

 駅ごとにデザインが異なり、ここはまた別のデザインで構内が飾られている。ただ、駅によっては照明が薄暗く、歩いている人の表情が分からないほどだったりすることもある。

 環状線ノヴォスロボーツカヤ駅でまたまた一時下車して、駅構内を見学。

ノヴォスロボーツカヤ駅(Novoslobodskaya・1952年開設)
   Google Map
Wikipedia > ノヴォスロボーツカヤ駅

 こちらの駅では壁面の美しいステンドグラスを見ることができた。

 環状線コムソモーリスカヤ駅で下車。

コムソモーリスカヤ駅(Komsomolskaya・1935年開設)   Google Map

 ツルツルに磨かれた大理石の壁に明かりが反射している。

コムソモーリスカヤ駅・ホーム
Wikipedia > コムソモーリスカヤ駅(ソコーリニチェスカヤ線)
      コムソモーリスカヤ駅(環状線)

 ここの駅のホームは広く、軌道、ホーム、軌道と、3連のヴォールトになっている。真ん中の大きなヴォールト天井からは、立派なシャンデリアが吊り下げられている。地下宮殿とまで言われるだけのことはある。途中の通路にもステンドグラスがあり華やかだ。

 このコムソモーリスカヤ駅で地上に出て、今回のモスクワ地下鉄巡りは終了。いくつかの駅を見て回ったが、いろいろなデザインがあって興味深かった。地下鉄巡りなんて変な観光だなと最初はちょっと思ったが、それがモスクワ名物であることもよく分かった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#鉄道  #地下  #スターリン様式 
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市内観光へ

1992-10-14 | ロシア  

1992.10.14(Wed) Moscow

 04:00 時差ボケで早朝に目が覚めてしまう。昨日そのまま寝てしまったので風呂に入り、その後、薄明るくなってきた早朝の窓の外を写真に撮っておく。

ツェー・デー・テー・ホテルから   Google Map

 その後TVでCNNなどを見ながら、昨日の分の日記を少し記入し、荷物の整理をする。終わったのは6時頃だったが、今日の外出は8時からの予定で、起きていても仕方ないので再度寝ることにする。

ツェー・デー・テー・ホテルから

 07:00 K氏に起こされる。妙な時間に寝入ったので今度は起きられなかったのだった。

 ところでこのホテルでは警備が極めて厳重なのに驚かされた。後に日本の外務大臣も宿泊していたことを考えると、この時もどこかのVIPが泊まっていたのかもしれない。それにしても、ロビーの一角が柵で仕切られ、フロントに行く際には必ずそこで屈強な男に囲まれ、ボディーチェックを受けなければならないのにはいささか疲れた。

 そういえばロシアのホテルでは、チェックインの際に私達外国人はパスポートを預けなければならない。当時はまだ外国人が自由に旅行できる環境ではなく、宿泊先や受け入れ先が明確でないと、飛行機にも乗れないという不便な状況だった。そしていったんある都市で宿泊し始めると、ふらっと周辺の街へ出掛けて一泊してしまうというのもままならないようだった。街中でトラブルを起こして警察沙汰になったりすると、パスポートを所持していないので厄介だ。しかし一方で、パスポート紛失の心配があまりないのは結構な話かもしれない。身分を示すものは宿泊先を示すホテルカードで、これが大切なものになる。その後、中国でも同様の体験をすることになり、社会主義系の国ではどうやらそれが一般的らしいと判ったのだった。どちらにせよ外国人がどこにいるかを常に監視・管理しているということである。

 07:45 ロビー集合。
 08:00 出発。朝は小雪だった。あいかわらず寒い。

 ホテルは都心から南にやや離れた郊外にあるため、バスはしばらく幹線道路を走って街の中心へ向かう。

ウニヴェルシチェート駅(大学駅・Universitet)   Google Map
Wikipedia > Universitet(Moscow Metro)

 モスクワ大学の付近も走る。大学そばの地下鉄駅(ウニヴェルシチェート駅)は交差点に面した大きな円形の建物が出入口になっている。日本ではなかなか見られない形をした駅だ。

ホテル・モスクワ   Google Map
Wikipedia > ホテル・モスクワ
1935年完成・開業。2004年にファサードを残しながら建て替え。

 中心部に近づくと、ホテル・モスクワ、メトロポールホテルなど、次々と壮麗な建物が車窓に現れてくる。

メトロポールホテル   Google Map
Wikipedia > Hotel Metropol (Moscow)(英語版)
1899~1903年完成。ロシアモダン様式と呼ばれるスタイルだそうだ。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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#新古典主義  #ロシアモダン様式 
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レーニン丘

1992-10-13 | ロシア  

1992.10.13(Tue) Moscow

 再びバスに乗って今度はレーニン丘へ向かう。

ドルジバ多目的アリーナ   Google Map
Wikipedia - Druzhba Multipurpose Arena
Wikipedia - ロシア科学アカデミー

 丘を上る坂の途中で、車窓にドルジバ多目的アリーナとロシア科学アカデミーの建物が見えた。アリーナはギヤを伏せたようなコンクリートのごついドームで、奇妙な形でやや格好良くない。一方、ロシア科学アカデミーは20F程度の高層建物で、頂部に金色の鳥かご状のもの(アンテナ?)が付いている不思議な建物。でも両方とも、一度見ると忘れないようなインパクトがある。

 あとあとネットで調べたところでは、ドルジバ多目的アリーナは、1980年のモスクワオリンピックでのバレーボール会場として建設されたものだそうだ。また、施設の名称は、英語ではDruzhba Multipurpose Arena、ロシア語では、Универсальный спортивный зал "Дружба"で、Дружба(ドルジバ)は「友情」の意味だという。

 レーニン丘の展望台でバスを降りる。

 高台は風もあってやはり寒いが、モスクワ市街を一望できてこれは素晴らしい。早速パノラマ写真を撮る。

レーニンスタジアム   Google Map
Wikipedia - ルジニキ・スタジアム

 眼前に見えるレーニンスタジアムは、西側がボイコットしたことでも記憶される、モスクワオリンピックのメイン会場である。広大な公園にいくつかの施設が点在しているのが見える。なお、レーニンスタジアムはソビエト連邦の崩壊後、ルジニキ・スタジアムという名称に変更されている。

 モスクワに7つあるという尖塔状の超高層建物もいくつか見える。慣れればそれらの位置で方角や現在位置が判るのだろう。周囲に塔を建てたのは街の守りという感じで、結界を作るような感覚で、角櫓を建てるのにも似ている。スターリンのような独裁だからできたことかもしれないが、やや呪術的性格も持っており、且つランドマーク的発想でもあり興味深い。

モスクワ大学   Google Map
Wikipedia - モスクワ大学

 街を見下ろす私達の背後には、広場の向こう側にモスクワ大学の塔がそびえている。かずある尖塔の中でも、この塔は左右に小塔を従えた堂々とした造りで目を引く。頂部にひときわ高く赤い星を戴くその姿は美しく立派で、ロシアの最高学府としての威厳を持つ建物だ。できれば建物の足下まで行って、下から見上げてみたいところだったが、時間が無くてそれはできなかった。今考えてみるととても惜しい。

 夕暮れが近づいてくる。本日はここまで、ということで、ホテルに戻ることにする。

ベルナツキー通りの高層ビル   Google Map

 バスに乗って幹線を走っていると、20F建て程度の超高層オフィスが、3棟、点々と並んでいるのが目に付く。近代的だがどこかモニュメンタルな雰囲気が漂う姿だ。

 18:00 ホテルに帰着。ホテルの客室は8F4号(0804)だった。TVも冷蔵庫もしっかり使えて、CNNなども見られる。ツインに私一人になってしまったので、ちょっと退屈な気もしたが、とりあえず広々として気持ちよい。

 19:30 夕食。時差ぼけで眠い。食事をとるので余計に眠くなる。I氏は一言、眠いと言って、食事もそこそこに部屋に戻ってしまった。ロシアの夕食は軽いので、僕はとりあえず食事だけはしておいた。食後、明日の計画をたてようとしたのだがやはり非常に眠くて、21:00には早くも就寝してしまったのだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

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