☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

秋のうた

2009-09-28 00:22:09 | 夢話
    静かな静かな里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は・・・
 
 まっ赤だな まっ赤だな つたの葉っぱがまっ赤だな 
 もみじの葉っぱもまっ赤だな 
 しずむ夕日に照らされて 真っ赤なほっぺたのきみとぼく・・・

 秋の夕日に照る山もみじ こいもうすいもかずあるなかに・・・

 更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに 一人悩む
 恋しやふるさと なつかし父母・・・

 「秋」には「唱歌」が良く似合う

 他の季節にはいろんなジャンルの歌が浮かんでくるが、
 何故か「秋」は「唱歌」だ。

 以前、信州・蓼科の森の中のM・Aさんの別荘に
 夏や秋、良く訪れてお泊りさせてもらっていた時
 そこにはよく「唱歌」のC・Dがかかっていた。
 森の中の木作りの家、土間があり、真ん中に囲炉裏がきってあった。
 夏でも夜になると涼しく、囲炉裏に火を入れる。
 そこに懐かしい「唱歌」が静かに流れている。
 クラシックよりジャズより「唱歌」なのだ。
 鮫島由美子の美しい歌声が良く響いていた。

 初めてその別荘を訪ねたのは夏
 初めてお泊りしたのは秋。
 信州のあの黄色い雄大な黄葉にところどころに紅葉のまじる
 「京都の秋」とは一味違うスケールの大きい「秋」に
 歓声を上げ続けた素晴らしい「秋」だった!
 
 その別荘で静かな静かな清らかな森の大気に包まれて   
 「唱歌」を聴くともなく聞きながら、
 囲炉裏端で火を見ながら秋の実りを頂き
 熱のこもった話をいっぱいした。
   
 その別荘で過ごしていると時間がゆっくり流れる。
 ほんとに不思議なのだ。
 いっぱい豊かな時間を過ごして「今何時?」と時計を見ると
 思ったほど時が経っていないのだ。
 「えっ!」と思って滞在してる間中
 何回も何回も時計を見た。
 そんな不思議な空間、「唱歌」がぴったりの。
 そんな「時の不思議」をその時初めて実感を伴って体験した…

 だれかさんが だれかさんが だれかさんが見いつけた 
 小さい秋 小さい秋 小さい秋見いつけた・・・
 
 「秋」には「夕暮れ」と「唱歌」が良く似合う

              
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秋のにおい

2009-09-25 00:26:04 | 徒然

朝ベランダに出ると、風に乗って金木犀の香りがした。
その香りに魅かれて辺りを歩いてみたが金木犀は見当たらない。
「ちっがたかな!?」とちょっとガッカリ。
 
小さい頃からにおいに敏感だった。
いいこともあるけど嫌な臭いはたまらないから不便な時も多い。
人間か感じる五感の内で一番強いのは嗅覚だと
耳鼻科医の友人が言っていた。
でもその代わり嗅覚には「慣れる」という機能が備わっているとか。
いつも「香り」を感じて生活できるというのは
やっぱりいいかなとも思う。
 
シルバーウィークのうち3日間は
やらなければならない事もあって家にいたけど
用事も兼ねて西山から洛西方面へちょっとドライブへ。

刈り取られた田んぼの畦道には彼岸花が其処彼処咲いていた。
お店には露地物の栗や柿が売られている。
すっかり「秋のにおい」がいっっぱい。
捜していた「水なす」が、農家の門先に売ってあった。
いつも買おうとしても売り切れている。
お漬物にはしない。
「水なす」はそのままサラダにするととっても「美味」なのだ!

車で走っていると以前に「カンパニュラ」を買ったことがある
大きなお宅の前に今日は「コスモス」が。
露地物の花は整ってはいないが生命力があり生き生きとして
スケッチすると表情がいい。
 
桃山の友人宅へ届け物の約束の時間まで
ちょっと間があったので伏見の方をグルグル廻っていたら
「伏見稲荷」の参道に。
今まで不思議に思うほど「伏見稲荷」には縁がなかった。
今日はちょっと参道だけ歩いてみたくなって車を駐車場に入れた。
 
お稲荷さん(いなり寿司)や鯖寿司、きつねうどん、
きつねの煎餅がやたら目に付く。
きつねさんの本場だもんね。
参道で一番気に入ったのはきつねの白いお面だった。(でも買ってはいない)

もう夕方、どこも閉まりかけている。
「伏見稲荷」を訪れているのはアメリカ・ヨーロッパ系の
外国人がいっぱいで、ちょっと驚いた。。
折角だからと本殿にお参りだけした。
 
風に乗って金木犀の強い香り境内いっぱいに広がっていた。
やっぱりもう咲き始めたのだ。 

家に帰ってさっそくコスモスを活けた。
玄関に飾って気が付いた。
「コスモスって陽だまりのにおいがするんだ」!!
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この指に星よとまれと天仰ぐ・・・風のうた 

2009-09-21 00:19:19 | 風歌
 
 風のように吹き過ぎる時の流れ
 その一瞬、その一時が輝きを見せる
 大切な時、大切な思い、大切な人…
 三十一文字に閉じ込めたちょっと以前の風のうた
 稚拙なところが思い出を呼んだりだりして…


   大宇宙(おおぞら)に大祈願の声こだまする満月(つき)待つ人の心結びて

 三十年の学びの道に想い馳せふと仰ぎ見る青紅葉かな

 若葉道登り詰めれば神護寺の御仏の笑み何故か身に染む

 コンチキチン秋刀魚の刺身突付きつつ祭談義に夜は更けゆく

 宵山の京の熱風髪に受け団扇片手に鉾町巡る

 函谷鉾上りて眺める人の海祇園囃子の波打ち返す

 空近し乗鞍岳の残雪と白を競いてチングルマ咲く

 真夏日や早蕨の道巡りつつ遠き昔の風の声聞く

 この指に星よとまれと天仰ぐ流星群に時を忘れて

 韃靼の轟き渡る二月堂炎巻き上げ春を呼ぶなり
 
 
 一瞬の、一時の、風を捉えた風のうたを
 詠っていければと思う今日
 吹き過ぎる風の豊かさを、その色を、その香りを
 感じ取れることを願う                   

                  
 
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パワフルなツール・・・「ホ・オポノポノ」

2009-09-18 01:14:03 | 夢話

7月の初めに(このブログにも書いたが)
「ホ・オポノポノ」を<それなり>に理解して以来
この夏、自分流に実践してきた。
 
簡単に作れるということでブルーソラーウォターを
(綺麗なブルーのガラス瓶に水を入れ、それを太陽光に当てて)作り
毎日飲んだり料理に使ったり
たくさん作れた時には洗濯等に使ったりした。
まあ適当ではあるが。

人を、自分を、「許す」ということ
人に、自分に、「愛を送る」ということが
非常に深い意味で言われ、
「それはどういうことか」自分なりに長い時間をかけて
感性や知性の深いところでで理解することが出来てきつつあったが
では「どうすればいいのか」が非常に難しかった。
 
「ホ・オポノポノ」は
「自分の前に現れる現実は全て自分が創っている」
ということの理解を前提とした上で
(きちんとした理解は高レベルにすぎるので、まあ理解できてなくても
いいのだろうが)
「自分の記憶の滞りをクリーニング」していくというもの。
クリーニングの方法は自分の記憶の滞りに対して
例えば「ごめんなさい」「許してください」
「愛しています」「ありがとう」を言うだけ!

それらの「言葉」を自分に向けて発していく中で
不思議なことに自分の「意識のベクトル」の方向が
変わっていくように感じる時がある。
「他の人」のことも「出来事」に対しても
「自分」の記憶に向けて「言葉」を発することで
自分の「意識の方向」が知らず知らずに変わるのだろう。
例えば「許す」ということ
「愛を送る」ということの「ひとつ方法」に成り得るような気がする。
「大いなる信頼」のツールとしても。
あくまでも「我欲」を満たすためのものではないところがいい。
 
「魔法使いになれた」わけではないが
それなりに効果が現われていると言えば言える気がしている。
自分としては「見守ること」しかできなかったことが
よい方向に向かってきたり
「どうなるか」と心配した出来事が
それなりに上手く行ったり等々。
ツールを使って何処か遠くへ出かける時も
行く道筋に「ホ・オポノポノ」をして出かけた。
そのせいかどうか全て順調だった。
「ホ・オポノポノ」の実践等を通じて
自分の中の意識の持ち方が変わってきたことが大きいのだろうが。

と言うことで何れにせよ今にところ
「ホ・オポノポノ」は私にとって
「パワフルなツール」としてとても役立ってくれている。

               
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風のうた

2009-09-15 01:35:19 | 風歌

ここ数年に詠んできた短歌の中から 
その時その時の感覚が蘇り
風のように今を吹き過ぎる。

  風のうた・・・

  
    風吹いて白いページが開くごと春の出逢いを髪切りて待つ
  
    柔らかき光を浴びて山笑い春うららかに雲流れ行く

    輝ける命見つめし三十年を今宵の桜に写しおきたり
    
   洗い髪ほのかな香り戯れて星降る夜に甘き風吹く

   潮の香と日焼けし笑顔目張り寿司友住む里に柔らかき月

    また一つ星は流れて湧き上がる声も大地も温かき夜

   夏空に心の住処失いし人の狂気を救う道有りや
  
   待ちわびて待ちわびて今開きたる月下美人の芳しきかな

   秋茄子を差し出す腕は日焼けして老いはねかえし父は微笑む

   二月空水色に浮く満月に届けよ甘き水仙の香



 日常を詠むことはない。増して生活も歌わない。
 吹きぬける風のように一こまをただ切り取るだけ。
 写生とも言いがたい。
 でも三十一文字に切り取れば
 その時その時が鮮やかに蘇ってくる。
 その時の空気すらも。何とも不思議!
 「いとをかし」である・・・      
     

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風の誘い

2009-09-11 15:30:28 | 夢話
   天高く空蒼く
 気は澄んで優しい風が吹く
 
 心地よい風と
 秋の香りに誘われて
 久し振りに川辺を歩く

 真っ青な空へ小鷺が二羽飛び立っていく
 ほんに絵のように

 河原では青鷺、白セキレイ・背黒セキレイ・小鷺・ケリ、、、、
 幾種もの野鳥が
 まるで楽しく集っているよう

        川原に小鷺の三羽遊び居りヒョロヒョロヒョロと走るもをかし
  
        セキレイのチチチと啼きてホバリング夕光浴びてワルツを踊る
 
 散歩はいつもバードウォチングになる

 川沿いにできた手作りのお花畑を見ながら歩く
 紫、ピンク、薄紫、黄色、、、
 色とりどりの季節の花が咲き
 いろんなハーブもたくさん植えられて
 ちょっと触るとあたりに清しい香りが漂う
 イチジクの木もあった

 「生活を芸術に!」がこれからの課題だと
 文明アナリストの友人は言う
 それってどう言う?具体的には?
 何となく だけどまだ分からない
 ちょっと見えてきたらいいんだけれど

 優しい風に誘われて
 秋の香りをちょっと・・・  
 
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時の足音

2009-09-08 00:41:44 | 夢話
    新しい時の足音が聞こえ始めた気がする
 21世紀も 始まって9年
 「人」は分かれ始めた気がする
 アクエリアスへ向かうのか
 バイシスのまま進むのか

 自分が思い込んでいる方向ではなく
 行動の方向性
 意識の向かい方・持ち方は
 
 例えば
 常に刺激を求めて 時間を埋めるのか
 心を鎮めて 本来の自己と向き合うのか

 「高校生クイズ」を見た
 初戦最高成績のT学園は始まる前
 一校だけちょっとニヤついた感じで何か嬉しそう
 他の高校生は「勝ち」へ向けて必死の様子
 以前ならその「勝利への一途さ」に高校生らしさを感じただろう

 決勝戦
 R高校が掲げた文字は「覇」
 T学園が掲げた文字は「和」

 R高校に分がありそうな感じだが
 こうなったら「時の法則」として
 「和」のT学園に勝って貰わないとエネルギーの流れに合わない

 結果はT学園優勝!
 少し前ならきっと実力の関係があるにせよ
 「時」は「勝ちたい思い」の強い方を選んでいただろう
 ハングリーさが「一時」の勝利をもたらしていた
 あくまでも「一時」だが

 これはほんの小さな出来事

 スポーツの世界ではまだまだ結果は現われないだろう
 でもあのウセイン・ボルトの飄々とした様子はどうだ

 時の足音が少しずつつ少しずつ
 聞こえ始めた気がする

 
 

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ゆるやかな時間・・・宮古島の風

2009-09-04 00:15:38 | 徒然・・・旅

 
「海ほたるツアー」に出かける友人たちと別れて
「夕日」スポットを求めて車を走らせる。
心地よい風が吹きぬける。
この島は台風からの守りのためか海沿いを走る道路がない。
ちょっと走るとサトウキビ畑の風景の中だ。
海のそばにいるのに海が見えない。
よく知れば海近くを走れるのかもしれないが
それがちょっとストレスにもなる。

防波堤のそばの道路に出た。
海が見える!夕日が輝きを増し始めている。

「自分の時」が廻り始める。
時間に迫られ時間を追って
決られたことをするのが苦手になっている。
とにかく何にも縛られないニュートラルな時間や
気ままな思索の時間が欲しい。
それが今の私にとっては
大切な何かを生み出すような気がしている。

海の色が変わり始める。
優しく柔らかい風が吹く。
テトラポットに腰掛けて
夕日と海と空をただ見ている。
可愛い野良犬が寄ってくる。
美しい時の流れと
空と海と夕日のコラボレーション。
吹き抜ける海風の中で至福の時間が過ぎていく。

面白そうなレストランを見つけた。
広い外回りもお店の中も何か不思議なアジアンテースト。
でも落ち着く。
全てオーナーの手作りだとか。
オリジナルのウージ(さとうきび)コーヒーを薦められて飲んでみた。
あまーい香りと味がなかなか美味しい。
 
ここの看板は、波に揺られ打ち寄せれて
独特の風合いに生まれ変わったガラスのかけら
「ビーチグラス」で出来ていた。
何とも風合いがいい。綺麗だ。

このお店の常連という奈良から来た人たちに
ビーチグラスの話と友人が住むという「大神島」の話を少し聞いた。
着いた時から「地図」を見て少し気になっていた。
明日渡ると言う。
今度宮古島に来る機会があったら渡ってみよう。
 
あくる日友人たちとまたこの店を訪ね
有難いことに、オーナーに「熱帯魚が見れてビーチグラスも拾う
ことができる」秘密!?のビーチへ案内してもらった。
友人達は素敵な映像をたくさん撮り
私たちはビーチグラスを拾い
そして近場でそれでも美しいさんご礁とたくさんの熱帯魚を
海の中で一人「わーっ!」とか言いながら見た。
水色の小さい魚の群れが可愛らしく
たくさんの魚の中でもコバルトルリスズメはやはりとても美しく
ウミウシはとても気持ち悪かった。
アクティブ派からほど遠い我々にとってはほんとに貴重な体験!

八重干瀬への船の船長さん親子
レストランのオーナーや奥さん
ドラゴンフルーツを出してくれておみやげにまでしてくれた雑貨店のママ
ヤシガニを見せてくれたお店の人たち等々
出会った人はみんな温かく親切で
天気はまたまたこれ以上ないという快晴の毎日!
 
初めての海の色、初めての体験、新たな「気づき」も…
宮古島で受けた「感性への衝撃」は時間をおいて熟成し
何らかの形になって行くような気がする。
全てに感謝!
         
               

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ブルーブルー・・・宮古島の風

2009-09-02 00:03:22 | 徒然・・・旅

 
あまりの美しさに声もでない!
マリンブルーからアクアブルーの世界!
何よりも透明度がすばらしい!!

8月27日から4泊5日の沖縄・宮古島の旅。
この旅で感じたこと…「地球は水の故郷(くに)」だと言うこと
海に対する感覚が自分の中で大きく変わった感じがする…

音楽家の友人のY夫妻に誘われての旅。
「海と熱帯魚を観に行こう!」
自分達だけでは「きっと実現しない旅」だからと
何も考えずに7月初めに決めた。
 
飛行機の上から見る沖縄周辺の海の色
その透明感にまず感動する。
沖縄本島は何度か訪ねているが宮古島は初めて。
上から見て、何故か「竜神の島だ!」と思った。
「絶対、天気は大丈夫!」何故か確信する。

シュノーケリングはYさんたちが京都から熊野に引っ越して
間もない頃訪ねて教えて貰って以来だ。
その時初めて熊野の海で「コバルトルリスズメ」を見た。
 
宮古島の海で再び教えを受けて恐る恐る挑戦する。
地元の人に「穴場」を教えてもらいながら
いろいろな場所へ行ってみる。
友人たちは「音楽を入れたDVD制作のための動画」を
撮ることを目的にしていた。

時間があると毎日熊野でもぐっている二人なので
泳いでどこへでも行ける。
私たちは近くで水遊びと言う感じ。
それでもいろいろな魚やさんご礁を見ることができた。
家人は時にスケッチ。
私はここにしかないブルー・ブルーの世界の中で
ただ水を感じ、風を感じていたかった。

波しぶきを被りながら船で漕ぎ出す
世界の「八重干瀬」(ヤビジ)の海は
見たこともないような幾種類ものブルーの世界が
幾重にも重なり合い色を織り成すあまりにも美しく
素晴らしい「海の表情」を見せてくれた。
何か世界観が変わったような感性への衝撃を感じた。
 
海に入って色とりどりのテーブルサンゴの群生を見た。
紫色の薔薇サンゴの華麗さに目を見張った。
海の中でため息がでた!特に印象的だった。
あまりに美しいサンゴたちが織り成す世界や
行き交うとりどりの魚たちを
実際に自分の目で見ることができて幸せだった!
ひとり、船酔い・波酔いで苦しかったけれど…。
撮影の話を聞いて船長さんが特別なスポットへ
連れてきてくれたらしい。
 
朝から晴れ渡る空の下
海の美しさに酔いしれる毎日が過ぎていった。
 

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