☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

蓼科山に守られて・・・信州・山中湖春旅2022<1>

2022-05-26 00:00:30 | 徒然・・・旅

今年も信州・蓼科から山中湖・富士山を巡る春旅へ
蓼科・女神湖2泊山中湖でグランピング1泊原村1泊の4泊5日の旅

ゴールデンウィークは思わぬお誘いからこれもご縁と
京都市の中心街の人気のカフェで2週間の家人の展覧会を開催

店内展は初めてだったけれど違った環境での展示の評判も良く
ライティングとともに自然光もふんだんに入って
来て頂いた皆さんにはとても喜んでもらった
ほぼ毎日連絡を受けて出かけることになった
天気も良く人も多くて何せ初めての環境ゆえか
また今年に入って「人馴れ」していないせいか
何故か少し疲れた感があった

「春旅はエネルギーを受けてゆっくり過ごし豊かなパワーを頂く」
「そのために行くんだよ」と言う家人の言葉に
「行けるだけでも有難い!」と京都でさえ例年にない寒さに
準備等に戸惑っていた気持ちがワクワク感に変わった

名神から見る山々は寒さの割にだいぶ緑が濃くなっている
中央高速に乗ると曇り空なのにいつもは見えない
仙丈ケ岳等、残雪の南アルプスが見えた
諏訪インター近くからは蓼科山が…
昨年の春旅では雨模様で殆どその姿を見ることは無く
残念無念だったけれど…

「山大好き」だが「山は見るもの」の我々にとっては
「見て感じて…」が大切なのだ
自然は見る時々によって姿が変わる
諏訪インターを降りてすぐに蓼科山が大きく見えた
「こんなの初めてかも?!」

「こんなところからあの場所がこんな風に見えるの?!」
今回の旅ではこんな嬉しい驚きがたくさんあった
例年より「寒さ」が続いているのでいつもに増して
まだ春浅い感が漂っていて木々の葉の成長が遅いのだ

ビーナスラインを登って
整備が綺麗に進んでいるようすで
前から気になっていた蓼科湖に立ち寄った
ずーっと前はよく来たがこのところはいつも素通り
ほんとに久しぶりに蓼科湖の周りを歩いた

いろんなツツジ等が満開でこの季節にしてはかなり寒いが
空気感が心地よく森の気が漂う
さすが蓼科!!
気持ちよく整備されている彫刻の森?も素敵
「いい作品」もたくさんあった

見渡すと八ヶ岳、蓼科山も綺麗に見える
風も空気も湖も気持ちよく澄んで
「ここでみんなでゆっくりするのもいいかも…」
生檸檬を絞ったホットレモネードを飲みながら思った

いつもの通りビーナスラインを白樺湖から霧ヶ峰へ
其処彼処から蓼科山を眺め
「うわーツ!大きい!」「堂々としてる!」
「毎回そんなことを言ってるね!」
「蓼科山が毎年大きくなってるようね!」
もしかして蓼科山はどんどんパワーを増しているのかも…
なんて話をしながら1日目にして
「蓼科山」を去年の分まで満喫した
30数年も毎年通い続けている蓼科山
今では「ご縁」を通り越して守護山のように思っている

車山、霧ヶ峰はまだまだ芽吹きの時で草も生えそろっていない
しかし辺りは目に沁みる白樺の新緑
落葉松の絵も言えぬ緑が美しい
ダケカンバの幹の朱色もとってもきれいだ
いつもの通り、車で走っているだけで幸せ

今日と明日の宿はいつもの女神湖Aヒルズ
部屋数が10部屋から5部屋になって美しく
ちょっと豪華にリニューアルされている
調度品とかもお洒落感が増している
工事はまだ進んでいる模様…

いつもに増して初めて尽くしのコース料理
どれもお洒落で美しくとっても美味しい
さりげなく岩塩なんかが添えられているのがいい
家人は初めて写真を撮ることに…

いつもは見えないからわからなかったけど
今回このダイニングから蓼科山の山頂が見えることに気が付いた

今夜はさそり座の満月
京都の鞍馬寺では「ウエサク祭」(満月祭)が
行われているだろう
5月の満月には天界と地上の間に通路が開け
ひときわ強いエネルギーが降り注がれるという…
外に出て眺めようと思っていたが
寒すぎて断念…
窓から眺める木々の間から
登りゆく満月が深く青い空に
美しく不思議な光を放って輝く

            

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短歌会の話

2022-05-03 00:00:36 | アートライフ


東京の小さな小さな短歌会に入会させて貰ってもう20数年
ほぼ参加できないのでメール会員としてなのだが…
月一の短歌会にその月のお題の短歌を送っている

来年で25年目を迎えるという短歌会の主催者は
世界で最も知名度が高い人の一人M社のB.G氏(今や悪名も…)
の結婚式に出席した唯一の日本人女性というNさん
今やインフルエンサーとしても有名な占星術者のM.Aさんに
薦められて家人ともどもかなり初期から参加させてもらった
(AさんにそのようにMさんを紹介されたのだ)
家人は途中で絵に集中するとか言って「一抜けた」ままだけど

短歌会としては「歌会始」や以前M.Aさんが主宰されていた
「星と森短歌大会」に短歌をそれぞれが提出することに
なっているが私は出していない

以前は我々の上京に合わせて短歌会を開催してもらっていたが
このところは全く上京できていないのが寂しい

この長きにわたって
短歌の勉強や研究が進んでいるかと言えば
「全く」と言っていいくらいだ
(俳句に関しては、散文的とか説明的とかの俳句も作ってきたが
それでは「俳句にはならない」ことは多少分かってきた)

ただ短歌を詠むことでその時々の想いや情景、世情等が
より鮮明に浮かび上がって来るっていうのはある
それなりに短歌を日々意識して過ごすことは
感覚的にまた観察する視点においても
日常のアクセントになり得るし一種の刺激にもなる
(取り分け仕事を辞めてからは…)

何気ない日々の出来事や
辺りの風景や空気感の移り変わり等々
また何気ない日常が簡単に変えられていく今
そんなこんなの世情の中で
自己の立ち位置をどこに置くのか
そうしたことをたとえ短歌にできなくも
うまく詠みこむことができなくても
少しは意識して日常を送ることができる

そんなことが長年
曲がりなりにも短歌を続けて来た理由かもしれない
やはり旅に出ると大いなる日常の変化が
短歌を生みやすいのも確かだけれど…

初期の頃は「大和ことば」を使うこと
「説明は一切つけてはならない」という制約もあり
メール会員としては誤解や取り違え等があっても
一切説明や解説ができないし
自分の考えや意見も言えないのでちょっと辛い部分もあった

この頃は「言葉」に関してはすぐにググってもらえるし
写真も付けられるし随分スムーズ伝わる部分が増えた
それにコロナ禍によリ「リモート参加」も望めばできるように
なったので思えば「すごい」進化だ

以前はそれなりにいろいろ考えて
言葉も少しは吟味して詠んでいたけれど
この頃と言えば感じたままを
「そのまんま」の感じで詠いこむことが多い
如何なものかな…とも思っていた
自分なりの表現を試みてもなかなかの所があったりして
ちょっと「なんだかな」と言う思いも出てきていた

昨年の11月の家人の展覧会の時
短歌会の初期メンバーのOさんがちょうど
東京から京都へ来られているというので顔を出してもらった
Oさんは表千家の茶人で昨年からお家元に直にご指導?!を
受けることになったそうで月一で京都に来られてるとか…

絵の話の後で
「お歌すごくいいですね。」「この頃益々いい感じで」…
「ええっ?!」「どこが?」…
「女性には誉め言葉にはならないかもですが…年を重ねて
いかれるからこそのおうたの深みと言うか…」
「何かとてもいい感じですよ!」…
と言う話になった
(Oさんは確かそこそこ年下だ)

とにかく褒めてもらったことは分かったが
今一つ意味はつかめず…
「理屈を排除したありのまま感とか」
「俯瞰してみようとする感じが達観しているように見えるのか」とか
「それなら確かに年の重ねが必要ね…」とか
いろいろ考えてはみたけれど…

でも単純なもので「このままの感じで続けてみよう」と
また少しやる気が出てきたのはとても嬉しいことだった

また短歌会の新メンバー(と言ってももう5年は経っている)
の方から月一で京都にずっと通っているということで
(こちらは身体のメンテナンスを受けに)連絡があり
この4月にお食事をご一緒した

コロナ禍の前は主宰のNさんとも京都に来られた時は
よくご一緒にお食事したりしていた
またみんなで「京都で」と言う機会が持てるかもしれない

「継続することに意味がある」かも…
自分らしく生きることの深みを生かして(なんてね)
短歌を続けたいものだ…

                                                         
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