☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

和して響く・・・星と森国際短歌大会

2010-07-30 00:01:53 | アートライフ
今年で12回目を迎えた「星と森国際短歌大会授賞式」。
大賞歌等の披講が何といっても楽しみだ。
東京・神楽坂の日本出版クラブ会館。
 
厳かな雰囲気で静まった会場
35度を超える暑さも忘れる。
男性6人による披講、今年は国際短歌大会らしく
披講に西洋人が含まれている。

今年の歌題は「逢ふ」。
今年は星と森大賞と副賞1首が選ばれた。
この会は無言のうちに進められる。
前に「松」がおかれ「和歌の神様」と言う設定。

披講が始まる。
事前に入賞歌等の配布はないので
「披講」されてはじめて知ることになる。

まず副賞から
 
 パラソルは白を選びて逢いに行く五月の空を味方に付けて

気持ちの良い歌だ。映像が浮かぶ。
5月の明るい日差しと萌える緑の中を
足取り軽やかに、ちょっと強気の白いパラソルが行く。
柔らかに香る風と抜けるような青空・・・
「わたしも短歌を詠ってみたいなあ」という
気にさせてくれる素敵な力がある。

大賞歌の披講が始まる。
「逢ひたしと 書かれし葉書 ふところに・・・」

どんな風に続くのか想いは巡る。
私の場合、副賞歌の余韻もあってか
明るい方向を期待してしまった。

 逢ひたしと書かれし葉書ふところに焼香の列の中ほどにゐる

挽歌だった。披講の余韻が味わい深い・・・
素直な歌だが何とも深い味わいの短歌だ。
初めの部分で「すぐわかったよ(挽歌ということが)」
という人もいたが、
私は披講を聞きながら先に想いを巡らせた分
また違った感じで披講の良さを実感した。

相聞歌と挽歌。いつもは三首選ばれるのだけれど
この二首が今年は抜けて良かったらしい。

「披講」されるようになってから
本当に「素直な短歌」が入賞歌として
選ばれるようになった気がする。
詠み手の心情がダイレクトに伝わってくる歌・・・

一時選考された短歌を「披講」して最終決定されるようだが
やはりうたってみての響きが文字としてみた時とはちがうと言う
その響きの感じと映像化(イメージとして浮かんでくる)は
関係あるような気がする。

祝賀パーティは
M短歌会主宰のNさん(私たちの参加してる)や
占星術研究家でストーンセラピスト・アロマテラピストでも
あるAちゃんたち常連組とテーブルを囲んで
参加された方々のいつもながらの興味深いお話に
耳を傾けながらシャンパンやコース料理を頂く。
楽しい時間が流れた。
この会主催のIさんとのご縁をつないでくれた
J社の編集者Tさんとも久しぶりに会うことができた。

「いろいろなもの」と「和して歌うこと」の
素晴らしさや言霊の響きを改めて感じる
「いい時」が今年も流れ
気持ちの中に一陣の新しいい風が吹いた・・・


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前世記憶?!・・・象の鼻

2010-07-23 17:53:11 | 徒然

先日の祇園祭・宵山の宴のさなかのこと。
 
「どこかでお会いしたことがあると思ったら
パラグライダーの先生でしたか!25年ぶりですね!」
と磁性鍋の開発者で今日の料理人のKさんに
今夜初めて見えた方が声をかけた。

Kさんは超博識で尚且つ体験・実践の人。
何を聞いても答えてくれるし
日本ばかりか世界の各地へも行かれている。
その数ははかり知れない。

今は「エコロジー」「ロハス」をキーワードに
さまざまな事を開発されたり研究されている。
いったい頭の中はどんな風にになっているのだろう
と思うばかり・・・
パラグライダーの指導までできるとは初耳だった。

そのKさんが話し出した。
「象の鼻を食べたことがある・・・」と。
「象の鼻ってゼラチン質ですよね!?」と
思わず言ってしまった。
先ほど頂いたアロエベラのサラダが浮かんだ。
 
「象の鼻は、先は2つ穴があるけど
中で一つになっている。そのあたりが美味いんだ・・・」
「ゼラチン質でちょうどアロエベラを剥いたときみたいに・・・」

やっぱり!「ゼラチン質」のところで
周りの人たちが私を見た!
「コラーゲンたっぷりですね!」
「わたしも食べたことある・・・」
「前世で・・・」とは言わなかった。
「ゼラチン質だと知ってたもんね・・・」
とジョークになった。

前世かどうかわからないけど
なんか記憶に「感覚」としてあるのだ。
薄味だが濃厚・・・上質で上品なお味・・・
アロエベラというより
「冬瓜に弾力性を持たせ、脂っこくしたような・・・」

タイでの話らしいが、もちろん「ご法度」である。
バレたら「一生国外に出してもらえない」ということで、
急いでミャンマーに逃げた・・・
と言う話だった・・・

                                                       


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京つれづれ・・・梅雨明けて

2010-07-22 00:33:56 | 徒然
祇園祭の山鉾巡行とともに京都の梅雨も明けた。

夏空と強い日差し。真夏日が続く。
いつもは梅雨明けと同時に騒がしいくらいのセミの声が
降り注ぐが今年は静かだ。
増え続けていたクマゼミと油蝉に異変が起こったか?
ちょっと心配でもある。

梅雨明けを告げるような大きな雷と
激しい夕立のあと宵山へ。
放下鉾の鉾ビルへいつものお呼ばれ。
人々のざわめきと祇園囃子を耳に
幾種ものおばんざいに舌鼓。
いつもこのときこの場所でお会いする人
久しぶりの人、初めてお目にかかる人たちと
次々話も弾んで良い時が過ぎる。

今年のお料理の多くは
昨年12月の家人の京都での展覧会が縁で
ご紹介した磁性鍋(電子レンジのマイクロ波を
遮断しいろんな用途に使えるセラミック鍋)の
開発者Kさんが自ら出向き創られたもの。
アロエベラのサラダやかぼちゃのあん煮とか
ズッキーニに味噌をあしらったもの等
珍しい美味しさのものがたくさんあった。
「日和神楽」の戻り囃子も聴くことができた。 

梅雨明け早々
京都近辺では知らない人はいないであろう老舗の
今は素敵なお店をチェーン展開されているオーナーご夫妻から
京都の隠れ里にある別宅へご招待頂いた。
ここを訪れるのは何年ぶりだろう。
すぐ横に川が流れ、せせらぎが大きく聞こえる。
ひんやりとして一日中クーラー無しでは過ごせない京都から
考えられない涼しさと清清しさだ。

元は名だたる旅館と料理屋だったこの地。
購入されて整備を始められたすぐの頃
まだ雪が残っていた冬の終わりに
一度伺ったことを思い出す。
 
生い茂る庭木も美しく整備され見違えるようだ。
流れる池には見事な鯉がたくさん泳いでいる。
鯉マニアの方が身近に居られるとか。
お庭も二階建ての日本家屋も美しく素晴らしい。
休みの日は全てここの整備にかけて
それでも3年以上はかかったと聞いた。
少しおくと草がぼうぼうになる。
本当に手をかけて愛情をこめて
進めてこられたことが伝わってくる。
その分素敵で暖かい。

夕方近くになるとヒグラシが鳴き始めた。
「カナカナカナ」「カナカナカナ」心地よく響く。
せせらぎと相和して・・・半月が綺麗だ・・・


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祇園囃子

2010-07-10 14:05:55 | 徒然・・・祇園祭

京都はまさに祇園祭の季節。
 
テレビニュースで月鉾の縄がらみの様子を写していた。
昨年はスケッチする家人について、
縄がらみから宵宵山、宵山と毎日のように
四条辺りに出かけていたのを思い出す。
一年とは早いものだ。

何処からともなく祇園囃子の音が聞こえて来る。
雅びで厳かで華やいでいるがどこかに哀愁も漂う。
ちょっと聞くと同じように聞こえるが
山や鉾によってそれぞれみんな受け継がれてきた
「節」があるのだ。

コンコンチキチン、コンチキチン。
京都の学校の体育大会の応援では
三三七拍子とかと並んで「祇園バヤシ」があることを
知った時には驚いた。
どんな風にやるのかなーと思っていたら
コンコンチキチン、コンチキチンに合わせて
言葉を入れていたり
そのリズムを使って振付けたりしていた。
なかなか面白い。

祇園囃子には上がり囃子と戻り囃子があり
私は宵山の夜遅くに明日の「山鉾巡行」の無事と晴天を願って
それぞれの山鉾の囃し方がお囃子を奏でながら
台車を引いて祇園さんに詣でる「日和神楽」が一番好きだ。
なかでもたたみ掛けるような美しい戻り囃子に強く惹かれる。

祇園祭一色の京都の夏。
熱い暑い夏の「祇園囃子」は心にしみて来る。
聞こうと思えばいつも耳に聞こえてくるお囃子は
京都ならではのものだ。
 
ついさっき「宵山で会えるのを楽しみにしています!」と
メールが入った。
今年も京の町衆の心意気(雅さ漂っているところがいい)を
味わいに出かけよう。
    
                

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光交わすや・・・俳句と短歌

2010-07-06 00:13:44 | 徒然

母音が主となる日本語の響きは
一部ポリネシア地方に見られるだけで世界でも
他に類を見ない言語体系だと言われる。
それが古代から日本人の感性を培い
日本人独特の脳の働きを耕してきたと言う研究が一時話題となった。

日本語の言霊の響きや言葉そのものに関わっていたくて
折にふれて短歌を詠んできた。
去年の秋からは長年親しくしている友人のお父さんの
主催されている小さな俳句の会にも入れてもらった。
各地に住む会員が投句してみんなでいいと思う句を選ぶと言う形だ。

世界最小の定型詩と言われ
「五七五や三十一文字に世界観を込める」
日本の言葉の世界に関わっていたい気持ちがある。
以前は興味はあったが自分とは遠い世界のことと思っていた。
いろいろな会派や決まりごとや権威等が
煩わしかったこともある。
今はそんなことはどうでもいいと思っている。

そうはいってもあれこれ忙しくしてたり
今年からどうもボイド(空)の時期に入ったらしく
短歌も俳句も全く詠めないと言うか
詠む気にならない状態が続いていたので
あんまり参加できていないのだが・・・

ほんのちょっと触れて見ただけの
全く自分の感覚の思いなのだが
俳句の世界は「知」すなわち「精神」の世界。
そこに哲学的感性や真理探究等がある世界のように思える。
客観的な視点がどこかに必要な気がする。
 
短歌や和歌の世界は「情」の世界。
豊かな「感情」の世界だ。
修羅の世界でもある。
いかに客観的に見えようとあくまでも主観的・主体的な世界・・・
「写生」的な短歌であってもそのアタリの違いがあるような気がする。
いかに和泉式部といえども五七五では
「男心」を捉えることはできなかっただろう。
三十一文字を使ってこその歌の世界だ。
短歌も俳句も詠めなくなっていた原因の一つは
そのあたりがゴチャ混ぜになっていたこと
かもしれないなーといま思う。

どちらの世界も
「それら」をはるかに超えた「世界」が生まれた時
「芸術」となり得るのだろう。
時を越えて人の心を惹き付ける表現となる。
日本の風土の中でそうした優れた作品が
どの時代も数多く生まれ
今この時代にもに受け継がれているのだろう。

  風の句

        せせらぎに光交わすや恋蛍
        
        口ずさむ枕草子蛍坂

        睡蓮に何を語るかみどり雨     

        散紅葉メロディ奏で流れ居り

        散紅葉一陣吹いて軸を成す

        皺重ね旨み深みも柿すだれ    

                    
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ラッキーカラー!

2010-07-01 00:30:03 | 夢話

この前東京で、美容家のOちゃんに占ってもらった
ラッキーカラーというか守護色が
「金」「銀」「紫」だった!
「やっぱり!」と言う感じ・・・

以前、同僚の少し年下の男性に
「奥さん、どんなひと?」と何気なく聞いたら
「○○さん(わたしのこと)見たいな人!」と言われた
ビックリして「どういう意味???」と聞いたら
「黒・金・銀の好きな人!」と言う予想外の答えが返って来た・・・

金・銀は多様しているつもりは全くなかったが
他人から見るとそう見えていたらしい。

黒は10代後半から着ている。
今では「黒」「モノトーン」が定着し
むしろ「黒」の時代が長く続いているが
その頃はまだお洒落着としての黒は(特に若い子の)珍しかったのだ。
 
それからずーっと「黒」中心だが
無性に違ったカラフル且つ艶やかな色が着たくなる
時期がありそれが過ぎるとまた「黒」に戻る。
6年前「黒」はやめようと思い
意識して「ピンク」への移行を図ったが
またこのところ「黒」中心に戻っていた。

ここからは守護色「紫の話」。
去年の夏、「そろそろ黒を着ることはやめて、
紫を身に着けましょう!」と言うメッセージを
受けたような気がした。

「どうしてですか?」
「黒は振動率の低い色です。紫は振動率が高いのです。
黒は周りを遮断し固定化します。
周りとの共感関係が持ちにくい色です。
紫は高い波動でアタリを融合する色です・・・」
と言うようなことだった。

黒を着ていると確かに落ち着くし安心感がある。
黒好きな人には同じような感じを持つ人が多い。
「黒い服は私の精神安定剤!]と言っている人もいた。
周りを遮断する働きがあるのでそれを
「守られている!」と感んじるのかも・・・

「その感覚から出て、一歩前へ踏み出すように・・・」
と言うことかと感じたが
深く考えず、去年の夏は「とにかく紫を」と
カットソーやTシャツを5枚も買った。
 
でも「紫」って難しい!
黒なら今どき素敵なデザインがいっぱいあるけど
紫は色の種類もたくさんあって
なかなか「素敵な紫色」にも出逢えないし
一歩間違えば「なにこれ!?」と言うことにもなりかねない。
なかなか「いい紫」との出会いも少なく
それでも薄紫のセーターも編んだし
薄紫のダウンコートも買った。
それでも主流は黒。脱出は難しかった。

東京で「紫」が守護色だと言われた時
ずっと前「○○むらさき」と呼ばれていたことがあったこと
を思い出した。(○○は私の名)
本人はあずかり知らぬことだったが
「紫の服を着て紫の靴下を履いて・・・
紫の自転車に乗ってる」紫好きの人と
仕事関係でうわさされていたらしい。
 
そういえば紫バージョンののセーターもよく編んできていたし
ストッキングやタイツも紫を幾種も揃えていた。
紫のブーツや紫の革のバックも愛用していた。

影響?!を受けた人たちが紫好きになり
「○○むらさき」と呼ばれていたと言う。
そんなこととは露知らず後から聞いた話だ。

その頃はどうだっただろう。
随分未熟だったがあるがままありのままに
あるだけの情熱で「熱く」仕事に取組んでいた
のを思い出す。
何事にも一生懸命で
ある意味「怖いもの知らず」だったなあ・・・

もうその頃には戻れないけど
また「紫」を身に着け始めたら
もっともっと素敵な意味で「怖いもの知らず」になれるかな・・・
 
素敵な紫に出逢えるように、
素敵な「金」や「銀」にも出逢えるように・・・
この夏は金銀・紫バージョンで・・・ 

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