☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

意識をコントロールする

2015-03-19 14:31:51 | 風話

 
 平穏無事な「毎日がお正月状態」に近い日々から一転
 怒涛の日々が始まって3ヶ月たらず

 FB等のお気楽な記事がうらやましなんて
思ってしまう
 自分なんて全く思いもしなかった
 その裏の大変さもわかりつつ、自分は裏とてなく

 「本当にお気楽だなあ」と思っていたのに・・・
 わずか3ヶ月前までは・・・

 あの平穏さは何だったのだろうなんて思ってしまう

 日々は大変でやらねばならないことはやらねばいけないんだけど
 意識だけ元に戻せれば、
少しは「平安」でいられるのだということが
 3ヶ月たってようやく感覚として分かってきた
 でも「とてもとても難しいこと」

 「実践することはとっても困難であること」には変わりないけれど・・・

 困難な「状況」から逃げてはいけない
 困難な「状況」は困難な「状況」としてしっかりと観察する
 自分はその「状況」のどこに不安や恐怖を抱いているのか
 しっかりと直視してまずはそれを理解する
 それだけで随分その困難への「意識」は軽減する
 
 「状況」は人生の「状況」であるだけで過去と未来を

 思考するから困難を極めてしまう
 「状況」を「問題」に変えて自らに痛みを与えている
 
 自分がこれからやるべき百のことという重荷を背負って
 今できる1つのことに集中できない
 先々を考え過ぎなければ、重荷を軽くすることはできるだろう
 
 「状況」を「問題」に変えて自分に痛みを与えることは

 しないと決めるたならまた痛みも軽減するだろう

 今までは「投げかけたことが返ってくる」という法則を受けて
 自分たちの裁量で「状況」を「問題」にすることなく過ごしてきたから
 問題もなく日々平安に暮らして来られたと思う
 他者が同じ人生を歩んできたなら「本当に恵まれた平穏な人生だ」と

 思うかもしれないし「なかなか大変な道のりだ」と思うかもしれない
 
 子どものころから「苦労はできるだけするものではない」と思ってきたし
 苦労や苦難は絶対に体に貼り付かないヒトだと思ってきたし
 「道」を学ぶにつれその確信を得てきた

 しかし「自分の裁量でどうにもならないことが起こるのが人生と言うものだ」
 と多くの人たちは思っているしその通りのことが人生で起こっているのだろう
 

 今回はその間に立っている
 自分の裁量でどうにもならない根本の状況は日々深刻さを増している
 しかし考え抜いたり、直感で打った手は全てあたり
 有難くもいろいろなところから「情報」や援助の「手」が差し伸べられ
 驚くほどうまくいろんなことが運んで取り巻く状況は日々改善して行っている

 いちばん心を痛めていたのは、怒りさえ湧き出てくるほど
 いつの間にかエネルギーの流れが妙に捻じ曲がってしまった場や空間だ
 これは何なんだと思えるくらい・・・

 いろいろな意味でできるだけ綺麗にし、気の流れ・エネルギーの

 流れを良くするべく取り組んできた
 (清掃、配置換え、カーテンや家具の新調、電気系統・ガス系統・

       水道等の改善  整備、表・裏出入り口の改善、
  できる範囲で家の周りの改修・改装等)
 内・外ともどんどん気持ち良くなってきているのを実感する
 
 頭と体を46時中動かして「寝ること」も「食べること」も

 なかなかできなかった自分が風邪を引いて家から10日ほど
 出られなくなってしまったことも(感染の心配もあり)
 天の采配としんどさの中で思っていた・・・
 それで他の人の助けを借りられるようにもなった 
 
 本当に実践のときが来ていると思う
 次々起こってくる深刻な状況に目を奪われ意識は右往左往して
 痛みばかりに気持ちは動く
 しかしあまりにうまく運ぶなりゆきに
 進めるべき道やその方向性は間違ってはいないと確信は持てる
 
 焦点の当て方によって「どうにもならないこと」も

 少しは柔らかさを増すかも知れない



                      
 

 
 

コメント
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