☆フェアリーベルの暖輪室☆・・・♪京都風日和♪

時空のキラメキのなかで、感性を研ぎ澄ませ、
吹く風のままに・・・ちょっと不思議な話も・・・ 

酵素ジュースと春の風

2013-03-21 00:20:02 | 手作りライフ

 日本列島を吹き荒れた春の嵐とうって変わって
 今日は穏やかな春日和

 春らしい陽射しの中ふと思いたって天然石の浄化をした
 一点もの天然石のアクセが好きなので
 東京や名古屋等いろんな場所の作家さんにお願いしてきたけど
 2年ほど前に地元京都の素敵な作家さんに出合って点数がドンドン増えている

 浄化には沖縄で買ったホワイトセージをいぶして一つずつ通している
 定期的にするようにはしているがこの方法はとっても簡単・・・

 このところ毎日手作りの酵素ジュースをお湯割で飲んでいる
 本当に何とも美味で体がほこほこあったまる感じがする

 西宮のピラミッドハウスのSさんに教えて貰ったやり方で初めて作った
 お宅でゆずの酵素ジュースだといって出したもらったのが

    あまりに美味しかったから教えて貰ったのだ
 レモンとゆずの2種類、Sさんのところで売っている

   昔ながらの製法で作ったこおり砂糖使っている

 ゆずは去年の暮れには2軒のお庭(完全無農薬)で

   できたものをいっぱい貰ったのに
 ほとんど使い切れずにお鍋には少々使ったもののお風呂に入れたり
 白味噌に合わせてゆず味噌にして大根に添えたり

 (大変美味ではあった)しただけで
 ほとんどダメにしてしまった
 ほんの少し生き残った何とかいけそうなものを使った

 レモンはお隣からいつもこの季節頂くもの
 九州の親戚から柑橘類が送られてきてそのおすそ分けに与かっている

 今年はいつもよりたくさん頂いたけどジャム作りとかでは

    使い切れないと思ってまたよそにおすそ分けしたが
    こんなことなら残して置けばよかった

 レモンは皮ごと細かく切って種は取り除きさとうまぶしながら重ねていく
 ゆずは表面の皮は薄くはがし(それはそれで冷凍しておく)

   薄皮や筋を取ってこれも砂糖と重ねる
 (使う果実と砂糖は同量、普通は上白糖を使うらしい)
 瓶詰めにして1日1回手でかき回すのみ

    ぶくぶくと泡が出てくれば発酵している
 1週間ほどしたら布等で濾したら酵素てジュースの出来上がり
 濾した残りもマーマレード等にして食すこともできる

 このやり方は以前「なちゃってローフード」の会で

   聞いてはいたのだがその時は知り合いのお庭の枇杷を
   いっぱい貰って上白糖も買ったけど(普段は使わない)
 酵素ジュースには挑戦せず、結局枇杷ジャムにしてしまった
 
 レモンやゆずでやってみようとは思わなかった
 今思うととっても残念!
 何故こおり砂糖や上白糖を使うのがいいのかについては

    Sさんから講義されたが忘れてしまった
 今度しっかり聞いておこう

 レモンとゆず、かわるがわる毎日飲んでいるとこれが何ともいいのだ
 お肌がつるつる・すべすべ・やわらか・・・顔から全身へっていう感じ
 飲んでいるととってもおいしくて本当にほっこりする

 あんまりいい感じなのでジャム造りに残しておいたレモンを使って
 今2回目の酵素ジュースを作っている・・・

                        

 

 
 
 
 
 
    
  

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お水取り・・・声明の内なる宙(そら)に響き居り

2013-03-11 01:25:45 | 徒然・・・お水取り

 
    今年も南房総から届いた50本のポピー
 この暖かさの中、一斉に帽子を脱ぎ捨て見事に開いている
 オレンジ、黄色、橙、ピンク、赤、白・・・
 艶やかに華やかに可憐に、春を告げる

 今日は奈良へドライブ
 奈良町の陶器の二人展に寄って備前焼きに織部の緑を合わせた湯飲みを2つ買う
 主な目的は東大寺二月堂・お水取りのお松明!
 例年は参籠見舞いで訪れるが今年はS師が籠もられなかったので

    今年初めての東大寺

 去年と一昨年は二月堂の舞台の上でお松明を見せて貰ったので
 今年は舞台がよく見えるちょっと遠い場所から見ることにした
 指折り数えてみるとお水取りにはもう15年連続で来ていることになる

 奈良町のちょっとコダワリの「塩」で食べるとんかつ屋さんでお食事をして
 いつもよりだいぶ遅い時間についたのでもう廻りは人で埋め尽くされている

 それでも始まるまで40分ぐらい
 その間に今年はマイクでお水取りの歴史や行の簡単な説明等があり
 北河原別当の御挨拶と東日本大震災への追悼や復興への思い等
 お参りについての心得やお願いがあった

 思えば1昨年お水取りの本行中に東日本大震災が起こり
 東大寺は色々な形で支援に取組んで来ている
 (私もお松明に参加してお水取りのブログを書いている

   最中に大きな揺れが来たのだ・・)

 童子が階段を2回往復していよいよお松明が始まる
 練行衆(籠もりの僧)が一人ずつ階段を登り二月堂の

   礼堂に入られる足元を照らすのが10本のお松明
 (11人の練行衆のうち1人は先に入られているので)
 先に入られた一人の差懸(サシカケ)と呼ばれる木下駄の音が高らかに響く

 今夜は上空の風が強いらしく松明の炎は高く強く燃えさかり

   容赦なく火の粉の舞い落ちる
 近くに陣取った人たちから小さな悲鳴があがる
 野趣溢れる火と水の遠い昔の行を感じるちょっとハラハラドキドキのお松明だ

 広場にいても練行衆のサシカケの音が高らかに響いてくる
 次々とお松明が登って来て舞台を駆ける・・・
 それにしても今迄で一番の暖かさ
 寒いのは大丈夫だが暑いのは堪えると聞いたことがある修二会の行
 この暖かさではもう紙衣も破れているだろう

 波のごとく人の引いていく境内から階段を登り舞台に上る
 それでも団体客らしい人たちが何組か毎年より多くの人が残っていて
 舞台から夜景を眺めまだ局も騒がしい

 しばらく待って局へ
 礼堂では次々と行が繰り広げられ徐々に気が高まっていく
 時が経つにつれて熱い気の波がこちらにダイレクトに伝わってくる

 声明は勿論のこと鐘の音や法螺貝の響きが今年はことに内に響く
 毎夜528Hzの音叉を響かせているからより敏感になっているのだろうか

 瞬く間に時が過ぎ待ち合わせの時間に・・・
 余波を残しながら清々しい大気に包まれて二月堂を跡にした  

 
   声明の内なる宙(そら)に
響き居り暗き局に星降るごとく 

   踏み鳴らす差懸の音高らかに幕内の僧清く美し

   響き合う声明高く木魂して修二会の熱気波打ち来る



                   

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ミッドナイト・イン・パリとヒロイック・ゲーム

2013-03-01 00:10:52 | 徒然

 
 今年はじめての「さくらさくらカンパニー」の公演は「HIROIC GAME」
 ゲームの世界と現実を繋ぐ世界
 さくらさくらカンパニーの演劇世界は2つか3つの異次元(異時代!?)が
 交錯し絡み合う世界を描き出すのが特徴の一つだ
 (この前の作品は、現代の大阪と中東らしき戦乱の場と中世らしき
       ちょっと妖しい!?世界が交錯していた!興味深くとても面白かった)

 主人公は就活が上手くいかずゲームに明け暮れる普通の大学生
 それを親にも友人にも隠し言い訳を重ねてゲームの世界に逃げ込んでいる
 というのがいかにもありそうで今的だ
 光と暗黒(ホワイトとブラック)がせめぎ合い閉じ込められた
   平和と世界のバランスをつかさどる姫を  救出するか
   手に入れるために戦いが繰り広げられているゲームの世界
 誰を主人公に設定するかでゲーム世界の成り行きも変わってくる・・・

 そこから閉じ込められた世界に飽き飽きした姫が
    大学生の元に飛び出してくる・・・
 こちらからその世界へ行くのではなくて向こうから
 コッチへ来るというのが面白い
 今テレビでやっている漫画の登場人物が現実世界に出てくる
 「泣くなはらちゃん」の世界を思い出した

 
設定された世界でしか生きられないゲームの主人公たちと違って
 自分の意志で選び自分の可能性を追求していくことができる
 現実世界を肯定して大学生は前向きな意欲を取り戻す・・・
 と言う展開になるのだが

 笑いの部分も多々あり衣装とかもなかなかこっていて面白く楽しかった
 ゲームの世界に精通していればより楽しめたかも
 知れないけどなかなかだった・・・

 今年はじめての「映画会」はウッディ・アレン監督の「ミッドナイトインパリ」
 こちらはパリへ婚約者家族と旅行中のアメリカ人の売れっ子脚本家で
 小説を書き始めた男性がパリの裏道に現れたクラシックカーに誘われて
 憧れていた1920年代へタイムスリップする話

   
その頃のパリは世界中から様々な分野の芸術家がいっぱい集まっていた
 
コール・ポーター、スコット・フィッツジェラルドとセルダ夫妻、
 ジャン・コクトー、ジョセフィン・ベーカー、
   ガートルート・スタイン、パブロ・
 ピカソ、
 アーネスト・フェミングウェイあとサルバドール・ダリや
 マン・レイ、エリオットなどなど聞き覚えや見覚え
 それぞれの作品には接した覚えもある人たちが
 
次から次へとそれなりの風貌やしぐさで登場する
 そこが見所・・
 (せっかくならレオナルド・フジタも登場してほしかったけど)

  そこで芸術家たちとの恋多きとっても魅力的な女性に
 一目惚れもしたりして・・・
 現代と1920年代を行ったり来たりしながらお話は進み

 その女性の憧れの「ベル・エポック」の時代
 1890年代へも二人でタイムスリップする
 そこでもロートレックやゴーギャン、エドガー・ドガと出会い
 彼らが「もしルネッサンス期に生まれていたなら・・・」と

 言うのを聞いて・・・深く気づく
 それぞれがそれぞれで自分が今ある現実ではなく過ぎた時代に

 幻想を抱き強い憧れを持っているのだと・・・

 映画会を主宰しているAさんが言うようにウッディ・アレン作品としては
 本当に皮肉もブラック的なところも少なくて素直に

 楽しめるなかなかステキな映画だ
 そういう意味では昨年12月に東京で見た

 「恋のロンドン狂騒曲」の方がウッディ・アレン的
 (らしくないとも言われていたが)と言えるかも知れない・・・

 今を今として生きること(それしかできないのだけれど)
 それならば今を今として今、この時を・・・

 

                 

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