火の粉が高く舞い上がり「お松明」が終わる
毎回、初めはお松明の本数を数えているのだが
いつも何本行ったかわからなくなる
今年で1273回目の東大寺・修二会
正式名称は「十一面悔過法要」
「十一面悔過」とは我々が日常に犯している様々な過ちを
二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で
悔過(罪や過ちを懺悔し悔い改めること)することを意味する
1273年間、毎年一度も途切れることなく行われてきた
「悔過の行」は
すべての衆生の罪や汚れを、練行衆が担って
身をもって悔過・懺悔するという「行」なのだ
一気に人の波が引いていく
「これからが本番なのにね!」とMさん…
二月堂の中では練行衆11人による今夜の「行」が粛々と行われている
帰っていく人々の混雑を避けて「お松明」の余韻に浸っていると
いつも違う場所に多くの人たちが並んでいた
前回までの二月堂へ向かう正面の急な階段は閉鎖され
(模様が掘り込まれた多分二月堂造成当時からの幅が狭い階段だが
一気に多くの人が上るので毎回ヒヤヒヤものだった)
脇の2か所の上りやすい階段から上ることになったらしい
警備会社がすべて取り仕切っていて
最後尾に並んだ時には300人目くらい(警備会社の人が数えていた)
「昨日は、お松明に来た人もこんなもんじゃなかった!」
「何倍かの人でいっぱいだった…」と後ろに並んだ人たちが話していた
今日でも2000人くらいは入っていたと思うけど…他の日はどんなだろう
昨日は寒さももっと厳しかったらしい
「準備が整っていない」と
舞台に水を撒いてある程度水が引くまで入れないようにしているのか
辺りの店は閉まり休憩所等は閉鎖され通行止めになっていた
いつも帰りに降りていた練行衆の上られた階段も通行止めに…
舞台も一方通行で規制がかかる
まだ正面の局は閉まっていて鐘も止められ
燭台に蝋燭の一本も灯されていない
家人は頂いた「許可書」を見せて内陣へ
局はより整備されていて
注意書きを映す?ほんの小さい2つ明りのためかいつもより明るい
それでも暗き局は別世界
瞬く間に引き寄せられる
美しく重なる声明の響き
薄っすらと垣間見える練行衆のお姿
うねるように吹き鳴らされる法螺貝の音
悔過のために身体を投げ出して打ちつける五体投地の
ダーンという高らかな音…
「南無観世音菩薩」「南無観世音菩薩」
「南無観世音」「南無観世音」
「南無観」「南無観」「南無観」「南無観」…
瞬く間に時間は過ぎて…これはいつものことだ
約束の時間が過ぎて、思いを残しながら局を出て舞台へ…
「お願い!あと10分だけ…」とKさんが家人に言って
我々3人は今度は開いていた正面の局へ
ここは真っ暗で静かだ
(きっと今日のこの時間は多くは「通」の人たちだろう)
高まりゆく「行」の何とも言えない清々しさと心地よさが沁みていく
思いを断ち切って舞台へ…(それでも合わせて1時間くらいは入っていた)
真っ暗な局から出て澄み渡る冷気が流れる舞台から
仰ぎ見る夜空は格別だ
澄み切った大気の中を浄化の息吹を身に纏って
石畳の参道を下りていく
毎回この時間も何とも言えないくらいいいのだ
清々しい「気」が満ち満ちて
梅の香りがかすかに…
振り返り見上げると「行」の続く二月堂が
美しく光っていた…