荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

薮下通りが明るくなりました。

2022年04月03日 | 散文

日本医科大学付属病院の周辺が見違えました。

 

住宅が整備されて、明るい公園になりました。

 

新旧の坂です。左右で段の数が違います。新しい「お化け階段」になるのでしょうか?

 

薮下通りの中心部です。崖上の藪が鬱蒼と茂った路でしたが、すっかり明るくなって、面影がありません。この部分に辛うじて古い石垣が残っています。

 

藪上の街が数年前から再開発されていて、綺麗な建築物が完成されています。

 

 

この崖が面影を留めていますが、もう、「薮下通り」の呼称は似合いません。

 

まだまだ工事が続いています。もっともっと明るい路地になります。

 

再開発のきっかけになったマンションです。元は芸術家の大きな屋敷でした。

 

いつもの路地をいつもの場所に来ました。

 

 

崖から見る景色は変わりません。

 

ビルの隙間の薄曇りの空に、スカイツリーが見通せます。

 

いや、ここに住んだ森鷗外にすれば、随分と風景が変った筈です。

 

なんせ、この敷石を馬が踏んで、陸軍省へ通勤していたのですから。当時の石を残しているそうです。

 

「観潮楼」跡です。

 

 

森鷗外が名付けました。

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「水月ホテル鷗外荘」の、あれから半年

2022年04月03日 | 散文

あれからずっと気になっていました。閉鎖から半年が経過しました。まだ「お知らせ」が出たままです。

 

振り返れば、第1次緊急事態宣言の時、経営者の女将さんは閉館を決断しました。

 

館内に森鷗外の旧居が保存されていて、赤字続きの今、経営を辞めれば、残っている資産で鷗外の旧居の保存を続けられる、との理由でした。

 

その旨をお得意様に伝えた処、有志がクラウドファンディングを立ち上げる提案をしました。

 

予想以上の賛同者が集まって経営を継続していましたが、結局半年前に閉館してしまいました。

今は、森鷗外旧居を管理しているのだと思います。

根津の街には「森鷗外没後100年」のバナーが春風にはためいています。

これは縁だな、と思いました。行ってみます。

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寛永寺の桜/2022年

2022年04月03日 | 散文

徳川慶喜の墓所を覗いた足で、徳川家の菩提寺「上野寛永寺」に来てみました。桜が満開です。

 

 

檀家は主に徳川家だと思います。篤姫もここに眠っています。

 

屋根に葵の紋が輝きます。

 

 

観光場所じゃないので、代表的な花見の聖地上野に在って、驚くほど閑静な場所です。

 

 

賑やかな花見も好きですが、喧騒の今この時だから、静寂の花見も好いです。

喧騒の真っ最中の東京に、静かに訪れた春の景色です。

コメント (2)
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