荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

森鷗外が残した記念碑

2022年04月04日 | 散文

展示場を出ました。森鷗外記念館の大観音通り側から眺めます。この通りに面した光源寺に大きな観音像があることからの名前だと思います。

 

 

団子坂です。鷗外だけでなく、多くの文人が通った路です。夏目漱石の書いた三四郎も歩きました。

 

庭に戻って三人冗語の銀杏と石を観ます。

 

 

 

 

 

さて、根津神社の西参道にやって来ました。

 

透かし塀と乙女稲荷の西参道です。

 

久しぶりに観ます。水飲み場です。

 

この土台が、森鷗外記念館展示の写真で鷗外と一緒に写っていました。

 

日露戦争従軍記念戦利品砲弾の台座です。この凹んだ場所にスッポリと、椎の実状の砲弾を立てた写真を見ました。後年台座を転用したものです。当時、戦勝記念として、ロシアの砲弾を持って帰って飾るのが流行ったのでしょうか?素盞嗚神社でも見たように思います。

 

後ろを見ます。「戦利品砲弾奉納  陸軍々医監森林太郎  陸軍少将中村愛三  明治三十九年九月十日建之」

閉館した「水月ホテル鷗外荘」から始まって、根津の街で「森鷗外没後100年」のバナーを見たのがきっかけの散策でした。

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「写真の中の鷗外 人生を刻む顔」

2022年04月04日 | 散文

さて、今日の目的地です。森鷗外記念館の門を潜ります。

 

庭を通って玄関に向かいます。

 

 

 

 

 

「写真の中の鷗外  人生を刻む顔」展を観に来ました。

 

実は、この新館になった記念館に来るのは初めてです。従って、数年ぶりの記念館訪問です。

 

鷗外が迎えてくれました。

 

 

展示場に向かいます。

 

貰ったチケットとリーフレットです。貰った一部を紹介します。

 

 

これは次回の告知です。

 

1階から降りて来ました。

 

深い地下に、展示場はあります。

 

入り口です。以降、写真は撮れません。森鷗外の生涯を、写真を中心に綴ります。優秀だったんですね。優秀だったが故に、小説に没頭する人生を許されなかった人と理解しました。この展示会の写真で鴎外は、自分の顔は仕事で作り上げた顔だと自負しています。努力の人でもあったようです。森鷗外については殆どを知りません。その文章は難しいと思っています。

 

展示場を出た所に有る休憩室です。見上げる銀杏は「三人冗語」の石と共に、鷗外達と写った木です。

この話、続きます。

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