荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

梅雨の晴れ間の水鏡ー2

2017年06月13日 | 散文
梅雨の晴れ間どころか雨が降りません。
それはそれとして、雨具着用の田植は厭です。今がチャンスとばかりに田植が始まりました。
市街地に住んでいる息子も嫁いで行った娘もやって来て、一家総出で行います。


田植が終わった田んぼに小さな苗が頼りなさげです。


そよ風が水面を渡ります。
世田山・笠松山が揺れる田園風景です。

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永納山に赤旗が立ったー2

2017年06月13日 | 散文
眼下の眺望よりも、あの赤旗が気になります。


先を急ぎます。


急坂があります。最後の坂です。
この石は城の名残でしょうか?


赤旗の全体像が見えました。


頂上です。


西条市を一望して、遠く四国山脈まで見通せます。


瀬戸内海を行く舟が手に取るように分かります。


国分寺方面です。
やっぱり城を築くのにうってつけの要衝です。


あの右向こうの岩山が医王山です。
ここ永納山と一体化した山城でした。
昔この辺りに渡来人が住んでいて、医療の知識に詳しい彼らが薬草を採取していた事から、医王山と呼ぶようになったとの伝説が残っています。

古代山城が30年位前に発見された事によって、上記伝説が裏付けられました。

医王山の左向こうに聳えるのが太平記の舞台になった世田山です。
南朝が最後の頼みとした中世山城跡です。
ここ永納山古代山城から約500年時代が下った頃に造った、伊予国守護の拠点です。


500年経つと戦い方が変わるので、より防御に富んだ城が必要になります。
世田山に登るとその戦略的立地に優れている事がよく分かります。
永納山の比ではなく遥かに眺望が利きます。
下界からは、今治、西条の市街及び海浜山々は勿論のこと、瀬戸の島々からもよく見える山です。

敵の動向が手に取るように把握でき、攻める側から見ると厄介な場所に城があります。
雲霞の如く数に物を言わせて一気に攻めないと少部隊では殲滅されてしまいます。

さてところで、この赤旗は何なのでしょうか?
何の説明もありません。


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