荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-5/槍の名人、田坂槍之助

2017年06月06日 | 散文


5.槍の名人、田坂槍之助
戦国時代の頃、来島城主・来島氏丹後守康吉の家臣に田坂鎗之助という武芸に秀でた来島水軍きっての猛者がいました。




槍之助という名も主君により命名されたそうで、彼の槍の妙技は素晴らしいものだったそうです。


ある時、来島瀬戸を十反帆ばかりの船に乗った芸州佐伯氏の家臣20数名が、海の通行税である帆別銭も払わず強引に通ろうとして、槍之助と決闘することになりました。


まず、海上の戦いで8人が槍之助に突き倒され、6人が深手を負わされるという有様に、武士達は海上ではとても勝ち目がないと思い、陸上にて勝負をしてくれるよう頼みました。義理人情に厚い槍之助はそれを聞き入れました。


陸の戦いでも7~8人の武士に取り囲まれながら、その内の5~6人を突き伏せたり傷を負わたりしましたが、遂に力つき討たれて首をとられてしまいました。


しかし、20数名いた武士の内、生き残ったものがわずかに5名で、その内、無傷の者が唯一人だけであったといいます。


里人は、法を守る為に身命をも顧みなかった正義感に富んだ槍之助をたたえ、その亡骸を桜井の入り江にねんごろに葬りました。


その後、墓前を馬に乗ったまま通ると必ず、もだえ苦しむという現象(一説には、馬から落ちる)が相次いだので、里人は迷える霊のたたりではないかと考え、小さい祠を設け、江口八幡宮と称して其の霊を丁重におまつりしました。




今は、志島ケ原の綱敷天満宮の側に、田坂八幡さんとして、お祀りしています。


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「桜井の史跡と伝説」-4/片目の鯛と狸

2017年06月06日 | 散文


4.片目の鯛と狸
昔、桜井の浜に一匹の狸がいました。




この狸は意地が悪く、漁師が鯛をとってくると人目を盗んでいつも片目を食べていましたが、ある日、ひょんな事から、これが狸の仕業であると見破った漁師は、この意地の悪い狸を海にほうりこんでやると息巻きました。困った狸は「命だけは許して下さい。




そのかわり、あなたがとった鯛は必ずよく売れるようにします。」と言って助けてもらいました。


助けてもらった狸は修行僧に化け、桜井を経文しながら各家の前に立ち、「今年は、悪病が流行しますこの厄除けには片目の鯛がよく効きます。」と言ってまわりました。


それで、片目の鯛がべらぼうな高値で売れ、漁師は大儲けをしました。


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