ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

阪神淡路大震災の時、私は…真っ只中にいた。

2015-01-17 20:39:05 | 日記

 今日、1月17日は20年前に起きた阪神淡路大震災の20年目に当たる日である。

 今日はNHKを始め民放各局もいろいろと特集番組をしているが、私にとっても思い出深い日である。

 震災の起きる前年の平成6年12月ギリギリまで東京支店勤務だったが、住んでいたのは「矢切の渡し」で知られた江戸川ひとつ隔てた千葉県松戸市だった。

 神戸に戻ることになったので東京に来る前に借りていたアパートが空いていたら、そこに住むことにして不動産屋を訪ねたら空きはなかったので、その近くで違う物件を探して借りる手続きをした。

 以前住んでいた所よりも三ノ宮(神戸市の中心部)に近いアパートの2階である。

 その引っ越し荷物は土日の連休を利用して近所で借りたアルミコンテナ2トントラックで行なった訳だが、助手席に会社の後輩1人を乗せ、私が運転して日中に松戸市に到着するように向かう。

 後輩と一緒に家具やら日常品の荷下ろしをし、トラックに積み込んで出発し途中の健康ランドで泊まって翌日神戸に戻って、今度は神戸で借りたアパートに荷下ろしである。

 手伝ってくれた後輩には後日一緒に飲みに連れて行ってカラオケを歌って騒いだものであるが、ただ住所変更は後日松戸市役所に行って住所変更届を出しに行ったが、12月28日で御用納め当日だったため新年になってから松戸市役所に連絡して返信封筒で住所変更届を送り返して貰うようにした。

 届いたらすぐに神戸市役所に行って住所変更の手続きをする予定だったが、その郵便が届いたのが1月14日だったかと思うが、金曜日だったと思う。

 ところが土、日と月曜が祭日だったと思うが連休明けに市役所へ行く予定にしていたが、その当日が17日の阪神淡路大震災だったわけである。

 その当日の朝まだ暗いうちの5時過ぎにトイレに行きたくなって目を醒ましトイレから戻って布団に入って未だ寝付いていない時に突然グラグラッときたのである。

 直ぐに布団から出て起ち上がる方がいいか、どうかしばらく布団に入ったまま様子をうかがっていた。

 というのは日本海側の街に住んでいた子供の頃に昼間だったが、すごく強い福井地震を経験しているのでそれ以上強くなるかどうかの様子を見ていたのである。

 ところが更に強くダッダーンと来たのでこれは凄いと思ったが立ち上がれるような状況ではなく台所の方で冷蔵庫が壁にぶつかったり、テレビも吹っ飛んだりしたが幸い本棚にあった厚めの本が飛んできて私の胸に当たりしばらく痛みを感じたが、それだけで済んだ。

 電気が切れて灯りが消えたので部屋の中は真っ暗である。

 幸い引っ越してきたばかりだったのでお墓参り用の線香やロウソクが入った箱の場所が分かっていたのでマッチに火を点けロウソクを灯す。

 すると隣のオバちゃんが玄関のドアを開けた音がしたかと思ったら「家がない!」と大声で叫ぶ。

 しばらくして私も玄関の戸を開けてみると前にあった2階建てのアパートが平屋になっているのである。

 つまり1階が潰れてその上に2階が乗っかっている状態である。

 後で聞いた話ではその一階に住んでいた人は全て亡くなったということである。

 周りは真っ暗なのでハッキリとは見えないのでパジャマにオーバーコートを羽織って外に出てみたら遠くの西と東の方向で火の手が上がっているし、近所の人達も集まって来て若い女性でもパジャマのまま出てき顔見知り同士でワイワイしゃべっている。

 その中に顔中血だらけにした老人がいたので近くにいた人に消防署の分署が少し行ったところにあると聞いて部屋に戻り着替えて消防署を捜しながら行く途中でも古い民家が沢山なぎ倒されているのを見る。

 道路上に倒壊して散乱した木材や瓦や塀を避けながら歩いて行くがよく分からない初めてのところを歩いている気分である。

 予め聞いていた場所で目を凝らして見てみると消防車らしきものが見えたので、そこに行ってケガ人がいることを告げたら、ここも2階が落ちてきて1階の天井が消防車の上に乗っかっている状態で動きが取れないからケガ人を連れて来てくれたら処置するとのことだったから直ぐに戻るとけが人がいない。

 近くにいた人に訊くとどこかへ治療するとか言って一緒に連れて行ったということだった。

 どうすることもできないので会社の同僚に電話を入れると繋がったので様子を聞くと部屋中散乱しているが特に問題はないようである。

 明るくなって8時を回って出社する時間が近づいたので電話すると全く通じない。

 何度かトライしたが全くダメなのでしょうがないから外に出て様子を見ていたらたまたま西の方から車で来た人が、「三ノ宮周辺はビルも傾いたり、道路もうねったようになってすごいことになっているということだった。

 そこで今日行く予定にしていた市役所の様子を見に行ったが矢張り業務が出来る状態ではないということで落ち着く日までしばらく待ってくれということである。

 近くのビルは9階ぐらいのビルが連なっているが4,5階辺りでポッキリと折れたようになっているビルが多い。

 横揺れによる力のかかり具合でビルの中程がやられているのである。

 そこでその日はどうしようもないということで幸い自家用車が無事だったので両親はいないが、弟が跡を継いでいるので故郷の家に取り敢えず泊めて貰うことにした。

 なにぶん店には水や食料品、日用品など何にもない状態だったからである。

 翌日の朝は神戸に戻らずにすぐ姫路に引っ越すことを考えて姫路で家を借りることに決めたのである。

 というのもその当時は姫路で営業の仕事をしていたからで姫路に到着してすぐに不動産屋を捜し訊ねたら、結構借り手が来ているということだったので直ぐに決めたのが小さなワンルームマンションである。

 結局そこに2年間住むことになった。

 そしてその後に今の地域に来たのだが、最初は賃貸しマンション暮らしだったが金額が嵩むので近くの不動産屋で紹介して貰った今の自宅に住むことになったものである。

 もう今の自宅に来てからでも15年ぐらいになるから早いものである。

 大震災のことが中心になったがあくまで日記なので今日のことを簡単に記述しておくことにする。

 午後2時からHTML&CSS講座の追補②が行なわれたが、今日が最終日となる。

 朝から雨で、昼食を済ませて出かける時も雨は小降りだったが降っていたので傘を差して地下鉄駅まで歩く。

 そして講座があるビルの最寄駅に到着すると日が照っているではないか。

 地面もそんなに濡れてなくて乾いたところが広がっているから、この辺りは雨がすぐ止んだか、殆んど降らなかったものと見える。

 すぐにビルに入るといつもはいつもギリギリに来る2人の受講者がもう来ており、私を待っている状態でこんなことは初めてのことである。

 しばらくして早速始まったが、最初の頃は比較的ユックリだったが最近は講座も早く進み、今日は最後までやらなければと言いうこともあってかドンドンと進むから必死になってメモしたりパソコンを打ち込んだりで帰ってからおさらいをする必要がある。

 帰宅する途中で西方面のスーパーに寄り買い物をして帰り早速夕食の準備に入る。