ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

今年最初のお買いもの

2015-01-04 23:10:20 | 日記

 今日は正月3日間に比べると気温も上がり穏やかな一日となったので洗濯も一瞬考えたが、別に意味はないものの、テレビを見ながら朝食を摂ってしばらくくつろいでいるうちに、いつの間にかそんなことなど忘れてしまっている自分に途中で気が付いたが、億劫になってしまって明日に順延にしようということにしてそのままとなる。

 どうやら正月休みボケと言ってしまえばまだいいが、年齢と共に本当のボケになったようだ。

 最近までこういうことは殆んどなかったがこのところそんなことが少し多くなってきたような気がする。

 ところで今まで殆んどテレビを見なかった私だが、今日もテレビ番組をチェックしている自分がいる。

 やはり習慣というものは恐ろしいもので昨年の暮れからテレビを見る機会が多くなったから同じパターンに慣らされてしまっているようだ。

 しかし3か日と違って正月番組は減って通常の番組へ移りつつあるとは言っても未だ正月気分は抜けてないので特集のようなものが多い。

 今日は日曜日なのでメールも一段落して殆んど入って来ないから、ゲームをしたり、MSNニュースを見たり、YouTubeなどを見ることになる。

 それにしても昨年は色々とあった年であるが、いわゆる中韓との問題が一挙に噴き出した年であったが、21世紀になっても未だ70年前のことをどうのこうのと言い張る支那と南鮮、それも本当にあった事実に基づいているのであれば、我々日本人も謙虚にしなければならないが、完全に捏造したことを全世界に吹聴している2国はどういう神経をしているのかといいたい。

 しかも支那では今年から南京大虐殺だとして記念日を設け、南鮮と歩調を合わせるなど一国の元首としての尊厳も何もない、そこらのオッサンがヨタッていちゃもんをつけてるようなことを平気でやっているのである。

 ホント、情けないとはこのことだ!

 そして支那では権力闘争で反対派の幹部を粛正するということを国内で展開している。

 だいたい南京大虐殺で30万人を殺したとほざいているが、南京に凱旋入城した時には市民が日本軍を歓喜して迎えている事実を示す写真が軍と同行した朝日新聞や毎日新聞などの新聞記者が撮った写真が示しているのである。

 ただし終戦後にそれら新聞社はそれらの写真を表に出して国民に示していないからあたかも日本軍が虐殺をしたんじゃないかと思っている向きもあるかも知れないが、入城してから南京市民と日本軍の兵隊さんが和んで交流している写真も数多くあるのである。

 支那の共産政府はそれらの写真は捏造であると言っているが、その写真を撮った人物の名前もはっきりしている。

 支那共産党政府は捏造するのは日常茶飯事だから同じことを日本もしているだろうと勝手に決めつけているのである。

 大体、南京市民に日本軍が歓迎されたのはどうしてかといえば、日本軍が来るまで蒋介石の中華民国軍が駐留していて平気で市民から物品を取り上げたりして治安を守るどころか軍律もない、ヤクザよりもたちが悪い烏合の衆ならぬ軍隊だったのである。

 敗戦によって日本軍が撤退した後、また蒋介石の軍が入って来て、今度は内戦で共産軍が蒋介石軍を破って台湾に追いやり南京を占領した後に共産軍が南京市民を殆んど虐殺したものと思われる。

 生き残った市民がいてはその事実が洩れないように南京市民を全て殺戮したのであると思われる。

 そんなことを知らされていない一般日本人は日本軍は悪逆非道だったと思わされているのである。

 今でもそうだが家族や知人、友人に対して支那人は非常にフレンドリーだが、他人に対しては非常に冷たいどころか他人は泥棒と思えである。

 戦争時には南京市民は敵である日本軍に通じてる人間と見ているから容赦なく虐殺したものと思われるのである。

 終戦後、支那はウイグルやモンゴル、チベットに侵攻し、容赦なく現地の人達を殺害しているし、今でも現地の人達の人権を無視して抑圧しているが、元々は自分たちの国ではない所に侵攻したのである。

 昨年、ロシアがクリミア半島をウクライナからもぎ取って自国に併合しているのと同じことをやっているのである。

 共産党は自分たちが南京市民を全て虐殺しておいて日本に濡れ衣を着せ、自国民に日本軍の悪逆さを教え込んでいるのである。支那がいかに悪辣であるかを日本人はもっとちゃんと理解していないといけない。

 仮に今日本と支那が戦争して、日本が勝てば民主国家だからまだ問題がないが、もし最悪支那が勝てば日本人は皆殺しにされるのは間違いがない。

 支那はそんな国だと思っておいた方がいい。

 新年初っ端から物騒なことを書いたが、今年一年何とか雲行きがいい方向に行ってくれればいいが、あの習近平のような人間では無事に収まりそうにないのはあの顔付を見ていても分かる通りである

 ゆめゆめ備えを緩めるべからずである。

 最後に今日の日記を付け加える感じになったが、正月間に消費した食材がなくなったり、少なくなったので午後3時を過ぎてから西のスーパーに向かうために歩いて行く。

 20分余り歩いて行ったがもう少しで到着するというころで途中の道路がいつもは余り来ない自動車が数珠つなぎになっている。

 それは有名な神社に初詣に訪れた車で一杯になっているためである。

 スーパーに到着する寸前で当区ガイドの会が出来た時からのメンバーK氏にバッタリ出会う。

 聞けば電車で繁華街まで買物に出かけてその帰りだということである。

 スーパーに入り発泡酒や食材を買い両手に買物袋を提げて元来た道を歩いて帰る。