嬉しいんだと
言うんです
ころがって出てくるのが
それで東大寺の脇の宿屋で
カキをむいてくれた
16才の仲居さん?が
しっとり綺麗で
はー
と思って
そしたら側の東大寺の鐘が
ゴーン
と鳴って
この鐘は今も
同じ鐘が同じ時刻に
鳴るそうですが
それで
その余韻?を
保ったまま
翌日法隆寺に行って
あの有名な句になったんですと
はー
うるわしい
◇
子規と言っても
おじさんで病気の
あの切手の子規じゃなくって
22才?かな
若い兄さんの
姿なんです
◇
NHKの
(元)黒田あゆみアナの
番組見たんですけど
そうか
漱石が卒業して
子規の故郷の松山へ
新任教師で赴任したときだから
23歳か?
漱石は親友の子規が
喀血したあと
自分の赴任先の家に
周囲の反対を押し切って
子規を引き取って
ウナギや団子?や
栄養のあるものを
自分の給料で買って食べさせて
養生させたんだと
ふーん
『坊ちゃん』松山で
そんなことしてたのか
そりゃ親友なわけだ
子供の頃読んだ
旺文社ブンコで
漱石が冬の京都を
訪れたときの随筆で
『子規は冷たい何とかのようになって…』
いなくなってしまった
と言うような述懐を
していたっけ
『京都は余をよくよく
寒がらせるところだ』って
昔の人だから
自分のこと「余」とか言うんだ
と思いましたその時
◇
それで
この東大寺で柿のゴーンの宿の
事は
その漱石の家での養生の
おかげで立ち直って
東京へ帰る途中の
奈良への立ち寄りの時の
エピソだそうです
あー
さまざまな事を
感じさせる
挿話です
漱石
親友を世話できる
経済力があってよかった
東大国費留学だからな
うなぎは買えると思う
◇
その黒田アナの続きで
子規は例の
へちま咲いての
病気で寝た根岸の家で
友人後輩に
慕われて
30数人の集まりの
集合写真をそのたびに
撮っている
慕われて
いたんだ
おせっかいで
熱情で
温かかった
みたいです
少年時代の
ヒヨヒヨした
繊細な子規からみると
良い部分が
表出したんじゃないでしょうか
天下の
夏目漱石の俳句、短歌の
『添削をしてやる』
って物凄いことですよね
◇
そうだ私は
縁あって
一葉の住んだあたり
界隈には立ち寄ったですが
子規の根岸までは
行きませんでした
鴎外の団子坂も
ただ歩いて下ったぐらいです
白山坂上から
◇
すみません画像は
適当なものがなかったので
例の三井住友CMの
ウリボーの漱石借りました
◇