超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">縄文杉と蓮の花</span>

2010-05-20 05:57:49 | 無題
梅原猛氏の「森の思想が人類を救う」を読んだ。すでに縄文が日本の文化の母胎だと言われている。
その土壌のうえに日本独自の仏教が花開くのである。日本仏教の草分け、聖徳太子は法華経を重んじ、仏のもとの平等を国政に生かした。また、最澄も法華経を中心とする天台宗の基礎を築き、山川草木悉有仏性の教えを説いたという。これが自然界の全ては生きているという縄文以来のアニミズムの土壌にうまく吸収された。また親鸞は還相廻向という考えを強調し、極楽浄土に行った人が衆生救済のためこの世に戻ってくることを重視した。これは縄文以来の魂循環の思想とよく適合した。
釈迦仏教から日本人が学んだのは執着への批判であり、身分差別を越えた平等の教えだったと梅原氏は言う。また日本人とヒンドゥ教が共通しているのは自然崇拝と多神教的な八百万の神への畏敬の念だという。
原始的な多神教は一神教に比べて劣っているという考えが19世紀のヨーロッパの宗教学にはあり、その偏見は完全には拭い去られていない。けれども人間が自然を征服すべきだという西洋の考え方は、環境破壊や核の脅威で限界に来ていて、今、一万年前まで人類を覆っていた縄文的なアニミズム、多神教的な自然崇拝や魂循環の思想はリアリティをもって復権されるべきだというのが、「森の思想が人類を救う」の提言となっている。
チャールズ・カミングズの「エコロジーと霊性」では、キリスト教の被造物への共感は環境保護に繋がる感性だと主張している。そのような西側のしなやかな感受性を受け止めつつ、森の思想が広がってゆくことが望ましいと思う。梅原氏の縄文論は少々強引な力技とも感じられるが、山川草木悉有仏性が日本の仏教の深くに根差した心性であり、エコロジーと響きあうことには明るい可能性が感じられる。閉塞感のある現代日本において、ひとり、梅原猛翁が世界に向けて豊かな思想の種をまき続けている。縄文人の直系がアイヌと沖縄の人々であるという氏の主張に確証はないが、「森の思想が人類を救う」は日本人の宗教観をよく知るのに最適な一冊であると私は思う。


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