超人日記・作文

日々の随筆の合間に、短歌や俳句も登場します。

<span itemprop="headline">連休に浴びる交響曲一覧</span>

2014-05-02 17:57:34 | 無題

カルロ・マリア・ジュリーニのソニー録音集を聞いて連休を過ごしている。
昨日はモーツァルト39番、未完成、グレイト、田園を聞いた。
今日はドヴォルザーク7番、9番、フランス音楽集を聞いて、今モーツァルトの40番、41番を聞いている。
あまりによく知られた有名な旋律も、ジュリーニが振ると、悠大で張りのある名演となる。
ミラノ・スカラ座フィルのベートーヴェンの交響曲だけは単売で持っていた。
ところが、その他は重ならず、一枚一枚新鮮な感動に満ちている。
明日はジュリーニではなく、エルガーの管弦楽集を聞く予定。
連休中に交響曲や管弦楽を浴びるように聞くのはひじょうに快適である。
珈琲を飲みながら宗教史の数冊を手に取って読み、交響曲に浸る。
天気もいいので晴々とした気持ちになる。
クーベリック・エディションは連休に間に合わなかった。
だが、ジュリーニ&フィルハーモニア&クラウディオ・アラウのブラームスの響きに感動して耳を傾けている。
また、ジュリーニのソニー録音集の後期ジュリーニの悠久の耽美的な響きを堪能している。
それに加えて、エルガー名曲集の威風堂々とした調べで、連休後半も晴々とした時間を過ごしたい。
ジュリーニのモーツァルト、堂々とした佳演。
このようなモーツァルトなら、連日聞いてもあきることがない。
このあとモーツァルトのレクイエムを真摯に聞くつもりである。
初夏の日差しを浴びて大指揮者の遺産を心行くまで味わい尽くしたい。
ギュンター・ヴァントもカルロ・マリア・ジュリーニも
私はどちらにもかけがえのない個性があり、どちらも素晴らしいと考える。
カール・ベーム、ベルナルド・ハイティンク、ラファエル・クーベリック、そしてジュリーニ。
どれも異なっていてそれぞれに素晴らしい。

連休に交響曲を浴びながら手足を伸ばし振出しに戻る



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<span itemprop="headline">タイ料理、蔵王権現の由来、鬼も内</span>

2014-05-02 16:37:36 | 無題

昨日は夜、隣町のタイ料理屋さんで友人と会う。
友人は相変わらず津軽じょんがら節の映画の話、金峯山寺の金剛蔵王権現の由来の話、高野山と東寺の話を話す。金剛蔵王権現の由来は以下の通り。
行者が民を救うために祈ったら、最初にお釈迦様が出てきた。だがお釈迦様の像は尊すぎて今の民には見えない。
続いて行者が祈ると千手観音が出てきた。千手観音の像も尊すぎて今の民には見えない。
続いて行者が祈ると弥勒菩薩が出てきた。弥勒菩薩の像も尊すぎて今の民には見えない。
最後に行者が祈ると凄い勢いで憤怒相の蔵王権現がお出ましした。この怖い形相の蔵王権現なら今の民にも理解できる。
という訳で、釈迦と千手観音と弥勒菩薩の功徳を兼ね備えた金剛蔵王権現を祀ることにした、というのが金剛蔵王権現の由来だと言う。
また鬼を回心させた話の由来は以下の通りである。
昔、悪さを繰り返していた鬼がいたが、行者によって説き伏せられて人々を護るいい鬼になると誓った。
その故事に因んで金峯山寺では節分の豆まきのときに福は内、鬼も内と掛け声を掛ける習わしになっている。
この蔵王権現の由来と鬼の回心の話は絵本になってお寺に売っていたと友人は話す。
また現代になって金峯山寺のお寺の僧正があたまを割られた蛇に山で出遭って助けてあげた。助けられた蛇が僧正の夢に出てきて自分は権現様の化身である、自分を祀れば頭にまつわる諸事に霊験があると告げた。そこで金峯山寺の麓には脳天天神の社があって厚く信仰されているのを見てきたと友人は語る。
金峯山寺と大峯山寺は近くにありセットになっていて、修験道の修行の聖地である。
そこで語られる神仏の由来や伝説は修験道のあり方と密接に結びついていて、聞けば聞くほど興味が尽きない。
友人に凄い所に行ってきたなと言うと、おれが修行した訳じゃないからなと笑う。
タイ料理屋さんでナムトック、パネーン、パットシーユウを頼んで青いパパイヤをかじって帰る。

今の世の民にもわかる形相の憤怒の顔の神仏の凄み



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