25.1.14
1月9日、移動中にBOOKOFFがあり、つい立ち寄ってしまった。
そして、つい内田康夫の推理小説を数冊買ってしまった。
内田康夫氏は、既に150冊以上の推理小説を出している推理小説界の第一人者。
内田康夫の名は知らない人でも、浅見光彦の名は聞いたことがあるのではないだろうか。
浅見光彦は、内田作品にしばしば登場するフリーのルポライターで、もう一つの顔が名探偵であるという設定だ。
小職は、過去に内田康夫作品を100冊以上読破している。
社会保険労務士業には直接関係ない書籍だが、歴史には多少関係ある。
浅見光彦はフリーのルポライターだが、『旅と歴史』という雑誌の取材を主な仕事としている関係だ。
ということで、この5日間で3冊を読み終えた。
『氷雪の殺人』、『不知火』、そして『靖国への帰還』だ。
『靖国への帰還』だけ、浅見光彦は登場しない。
しかし、内田康夫氏は、扉に「ぼくの過去150作を超える作品のどれよりも、この一冊をあなたに読んでいただきたい。」と記している。
読んでみると、本当に多くの日本人に読んでいただきたい小説だった。
一部抜粋して紹介する(以下すべて、『靖国への帰還』から引用)。
・・・
英霊たちは無言である。
ただ、じっと黙って、日本人の心がもはや靖国神社から離れてしまっている現代を、見守っているしかないのだ。
戦場で撃たれ、あるいは飢えて死にゆく瞬間、彼らの脳裏には、母親や家族や恋人や郷里の風景や、そして靖国神社のことがかすめたことだろう。
遺書の多くに「靖国神社で会おう」と書かれているのは、母親の懐やふるさとに還るのと同じくらい、靖国神社へ還ることに安らぎを託した気持ちがあるからだ。武者(主人公の名)もそう書いた。柳もそう書いていた。
戦争で死んだ者の魂が靖国神社に還るのは、宗教的な「嘘」かもしれない。しかし、たとえ嘘でもいいのだ。そういう切ないまでの想いが込められていたことを信じてもらえさえすれば、靖国神社を信じて散った死者たちは慰められる。
・・・
(公務員、特に首相が宗教行事に参加することが許されないという問題に対して)
「それは靖国神社に限って問題にされているのではありませんか?伊勢神宮への公式参拝は行われているそうですし、首相が外国に行って、その国の宗教施設にその国の宗教に則って参拝することもあるでしょう。内閣総理大臣や衆議院議長の肩書などはその時その時の飾りのようなものですから、外していくこともできません。だからといって、内閣や衆議院がお参りするのではなく、参拝するのは、あくまでも個人です。それなのに、どうしてそんなに大げさに騒ぎ立てるのか、自分にはよくわかりません。」
(国益を犠牲にしてまで靖国神社に参拝すべきでないとする意見に対して)
「それはむしろ逆ではないですか。外国に脅されて、節を曲げるのでは、黒船来航に恐れをなして、不平等条約を結んだ時代と、少しも変わらないではありませんか。そういう追従外交をしなければ国益が損なわれるというのなら、『国益』のほうが間違っているのだと思います。たとえ経済的なしっぺ返しを受ける恐れがあろうと、毅然として信じる道を歩むのでなければ、国の尊厳を守ることなどできません。経済的な属国となり、さらに精神的な属国になるのでは、あまりにも情けないと思います。」
25.1.14
弓道の新年初射会。
東平尾公園の弓道場。
何がつらいかというと、朝8時30分くらいに現地到着を要すること。
早起きせざるを得なかった。
福岡地区で370人も参加。
すごい人数だ。
しかし、一人一立で弓を引くのはわずかに二本ずつ。
残念ながら一本も当たらず。
昼の弁当は、直会ということで、新年らしい弁当が。
抜刀道の今年の初稽古。
毎回練習場が一定しないが、今回は初めて早良体育館に。
練習終了後、車のナビにすぐ近くに「警固神社」とあるので、現地確認へ。
警固神社は天神の警固神社が有名だが、警弥郷に鎮座する警固神社の方がもともとで歴史があるとする有力説がある。
しかし、四箇田団地近くに警固神社があることは知らなかった。
行ってみると、扁額には確かに警固神社と刻まれている。
鳥居は、明治時代の建立のようだ。
境内はよくある地域の鎮守の神様のような雰囲気。
鳥居と社殿の向きがちょっとずらしてある。
社殿隣には、「お薬師地蔵堂」と書かれた社殿も鎮座。
拝殿には、地域の方から寄進されたと思われる絵馬等が奉納されている。
天井には恵方盤がある。
ちなみに今年の恵方は南南東というか南やや東よりのような方角だ。
福岡市中央区大名からは、ちょうど熊本市が恵方だ。
さて警固神社、事務所に戻ってインターネットで確認したところ、警弥郷の警固神社から勧請されたように書かれている。
真偽のほどは定かではないが、警固神社の総本山が警弥郷の警固神社であれば、すべての警固神社が警弥郷から勧請されていておかしくない。