昨年暮れから、顧問契約事業所様への情報提供の一環として、「髭爺の歴史紀行」を送付している。
「なぜ歴史紀行?」と思われるかも知れない。
しかし、温故知新という言葉通り、歴史を知ることは未来を知ることであり、現代の事業運営におけるヒントも多く隠されていると考えるからだ。
直近のテーマは、「西公園」、「警固神社」、「広田弘毅」。
どちらかというと福岡市内の史跡紹介のような内容で、歴史に興味が無くても身近な話で読みやすい、と勝手に思っている。
送付前に職員に読んでもらうが、概ね好評だ。
しかし!
今月号では異変が起きた。
史跡紹介ではなく、小論文のような形式にしてしまったからだ。
職員から、「さっぱりわからん」と言われてしまった...
今月号のテーマは、「月形洗蔵」。
今月下旬に顧問契約事業所様へ発送予定。
なぜ月形洗蔵かというと、今年は坂本龍馬ブームが再燃しているからだ。
坂本龍馬の最大の功績は、「犬猿の仲の薩摩と長州とを和解させ、薩長連合を実現して明治維新につなげた」というものだろう。
しかし、これは坂本龍馬一人の功績でないことはもちろん、「史実」としては、歴史学者のほとんどが特に功績を認めていない。
坂本龍馬の魅力は、その人間性だ。
史実は史実として正しく評価し、その上で坂本龍馬の人間像に迫るべきだ。
小職も坂本龍馬の人間性は大好きだ。
で、薩長連合の話にもどるが、薩長連合の端緒を開いたのが、月形洗蔵だ。
月形洗蔵は福岡藩士。
筑前勤王党の中心人物だ。
残念ながら、幕末の筑前藩主黒田長溥が佐幕的立場から、勤王党に大弾圧を加え、乙丑の獄で月形洗蔵らを斬首刑に処してしまった。
書き始めたらきりがない。
ひとまずここまで。
とりあえず、月形洗蔵関係の史跡だけ紹介して終わる。
「月形洗蔵居宅跡」碑(福岡市中央区赤坂)
「月形洗蔵幽閉の地」碑(筑紫野市古賀)
月形洗蔵の墓(福岡市中央区天神・少林寺境内)
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