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福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

ペリー来航と吉田松陰

2010-10-01 21:35:20 | 歴史

幕末のペリー来航後の吉田松陰の言葉を紹介したい。
(『吉田松陰』[川口雅昭著、致知出版社]から引用抜粋)

我が国が万国より優れ、世界で君子の国といわれる訳は、天地の心を心とし、仁義を重んずる国家だからである。
とすれば、米露使節への対応も、ただ、この仁義という、人として踏み行うべき正しい道に則ることが大切である。
この道に従わなければ、ただ平和をのみ望む場合には、国体、我が国の国柄に傷をつけることとなる。
また、戦うという場合には、敗れるであろう。
これらが明かであることはいうまでもない。
大体、我が国が外国に対応する際、方針とすべきことは、心ある国家には国交を許し、法を無視する心ない国家は拒絶する、という二つである。

米国は無法にも浦賀に乗り入れ、色々な無礼を働き、一切我が国の法律を守らない。
今その無礼な行いを責め、もしも彼らがそれを承知せず、敢えて戦闘を起こすようであれば、彼らが間違っており、我々が正しいのである。
どこに遠慮することなどあろうか。

我々が今の平和な日々に溺れ、彼らの武力に屈し、和睦の評議を提唱することは最も下劣な政策である。

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博多の歴史と食文化、住吉深発見!

2010-09-23 18:14:47 | 歴史

先日、博多情緒めぐりの担当表をいただいた。
小職が所属するのは、「博多の歴史と食文化、住吉深発見!」コースだ。

第1期:10月15日~19日
第2期:10月28日~11月1日
第3期:11月10日~14日

全15日間。
1日に午前・午後各1回の情緒めぐり。
10/19は、楽水園が火曜日定休のため、本コースは休み。
最終日(11/14)は、午前中のみ。
コースとしては、全14日・全27回だ。

1回につき、ガイド1人とサポーター1人が担当する。
また、一人1回ずつ、寺院に一日中はりつく「定点」を担当する。
小職もガイド、サポーターをそれぞれ数回、定点を1日担当する予定だ。

ガイドとして解説する対象は、下照姫神社、キャナルシティ博多、清流公園・高灯籠、妙円寺、楽水園、住吉神社、天竜池(天津神社)、柳橋連合市場。
神社系は比較的良いのだが、特にキャナルシティ博多、楽水園、柳橋連合市場はもっと勉強しておかなければならない。

ちなみに、このコースは今年の新コース。
昨年までの資料等何もない。
基本は独学となるが、かえって楽しく感じる。

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ちゅうおうPRサポーター

2010-05-27 21:48:38 | 歴史

福岡市中央区役所の事業として、中央区のPR事業がある。
この担当窓口が企画課だが、企画課を支援するボランティアスタッフが「ちゅうおうPRサポーター(以下、「サポーター」)」だ。

偶然募集記事を見た小職はこれに応募し、任用されることになった。
任期は来年3月末まで。

サポーターが作成する記事をベースに、区役所ホームページの「中央区みどころ情報発信館」の記事が更新される。
また、市政だよりの中央区PR特集号を企画したりする。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/index.html
(中央区みどころ情報発信館↑)

中央区PRといっても、かなり範囲が広い。
サポーターの活動はかなり本人の自由に任されているため、当然中央区内の歴史や神社の記事を担当したい。

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幕末に散った筑前勤王志士

2010-05-26 21:05:22 | 歴史

今日は、福岡県行政書士会の総会に代議員として参加した。
特に問題なくスムーズに進行。
総会への出席は、それないに時間をとられてしまうことがちときつい。

ところで、ご依頼をいただいていた講演会のテーマ、ほぼ決めた。
『幕末に散った筑前勤王志士~平野国臣、加藤司書、月形洗蔵』だ。

現在は忘れ去られてあまりにも知られていないが、幕末の筑前藩は多くの傑出した人物を輩出している。

平野国臣は、倒幕論の先駆者で、当時全国的に名を知られた大物。
幕府の手配書で「西郷吉之助(隆盛)、平野次郎(国臣)、高杉晋作」の「捕立方申附書並人相書」は有名だ。
維新三傑という言葉があるが、幕末三傑を選出すればこの三人となる可能性が高い。

加藤司書は、筑前藩家老で筑前勤王党のエース。
今様「皇御国の武士はいかなる事をか勤むべき只身にもてる赤心を君と親とに尽くすまで」は戦前は準国家の扱いを受けるほどだった。

月形洗蔵は、薩長和解の先鞭をつけた人物で、筑前勤王党の中心人物。
幕府軍の長州征伐を解兵させるために最も尽力した人物といえる。
「月形半平太」とは、月形洗蔵と武市半平太をモデルに組み合わせて作られた名前だ。

戦前は、西公園に平野国臣、加藤司書と明治の軍人・吉岡友愛の銅像があったが、戦時中に金属供出で失われた。
平野国臣像だけが戦後再建された。

ということで、三人を中心に語りたい。

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ご冥福をお祈り申し上げます

2010-03-04 15:43:46 | 歴史

昨日、日華(台)友好親善慰霊訪問団より一通の葉書を受け取った。
台湾の台中市在住の林渓和氏のご逝去の通知だった。

林渓和氏(享年86歳)は、大正12年、台湾に生まれ、台湾に育った方だ。
小職は、5年ほど前に日華(台)友好親善慰霊訪問団に参加し、先の大東亜戦争で日本人として亡くなられた台湾の方々の慰霊訪問をしたが、このときに初めて林渓和氏にお会いした。

その後、2回台湾に遊びに行った。
事前に何も連絡しないまま台北空港から電話すると、2回とも「今すぐ台中に来なさい!」だった。
そして、林渓和氏のご自宅に到着すると、最初に私の荷物を隠し、「今日は泊まって行きなさい」である。
いつも大変お世話になるばかりだった。

林渓和氏は、戦前の台湾にて、日本人として生まれた。
そして22歳まで日本人として生活する中、先の大戦では軍医として従軍。
戦後は台湾から日本人が引き揚げ、代わりに大陸から中国人が入ってきて、台湾人の生活は大きく変わる。
少なくとも、日本は戦後の台湾人(元日本人)に手をさしのべることは無かった。

台湾では、「日本語世代」「日本語族」と呼ばれる世代だ。
日本語と、現地の台湾語しか話せない。
その子供の世代は台湾語と中国語で、孫の世代は中国語のみ。
孫と言葉が通じない、というのは有名な話だ。
※「中国語」とは、「普通語」といわれる北京地方の中国語を指す。
※「多桑」という言葉がある。中国語で「トオサン」、日本語世代を指す言葉で、数年前映画のタイトルとなったことがある。

日本は、林渓和氏にとって、第二の故郷という安易な言葉で表現できない「母国」だったと推測する。
台湾人としての誇りを持ち、同時に元日本人としての誇りを持つ林渓和氏には、教えられることばかりだった。

※林渓和氏には、『台湾の真相と心の声』(丸善出版社2003年1月)という著作がある。
 日本に対する愛情いっぱいの著書。
 少しだけ、引用したい。
「昔、想い出深い領台時代、日本人の活躍、莫大な資金を投じて基礎建設、苦労かけての辛さや楽しさ、滅私奉公の犠牲的精神、台湾の教え子を励まし厳しい教育は『想い遣りあって』『心温かく教え』、50年間は決して短くなかった。現在の若い日本人に、先人達の苦労は想い出深い領台時代のかずかずを偲んで貰いたい。
~日本人にもっともっと台湾で日本人の医大なる先駆者が過去住み慣れた第二故郷台湾をお忘れなく再びと偲ぶ人情味が欲しい。
日本は過去半世紀の間、苦労して立派に築き上げた宝島の台湾を大東亜戦争の為惜しげもなく簡単に放棄してしまった。
台湾人は終戦と共に悲哀を秘めて大きなショックを受けた日本人に捨てられた孤児のようだった。
~歴史を知らなければ、真に其の国と其の国民を理解するには難しい。(序文より)」
「当時日本の内地人も、台湾の本島人も、みんなが挙国一致で団結していた。みんなが明るい平和な時代を迎えたい。戦はあってはならない。ワールドで生きる各種の人種にしても、戦争するもんぢゃない。」

ここ2~3年、台湾には行けないままだった。
年賀状は、今年もいただいた。
どうしようもないが、後悔の念でいっぱいだ。
林渓和氏のご冥福を、心から祈念する。