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福岡髭爺の今日も絶好調!!

労働法、神社、郷土史、グルメ、他
※記載事項について、一切責任を負いません。

西郷隆盛

2010-02-21 22:52:17 | 歴史

今日は、九州大学名誉教授の山口宗之先生の講義を受講した。
テーマは、西郷隆盛。
山口先生は、橋本左内、真木和泉等の他、西郷隆盛に関する著書もある先生だ。

今日初めて知ったが、先生ご自身「旧制七高(現在の鹿児島大学)」のご出身で、鹿児島で3年間生活されたことがおありだ。
鹿児島では、西郷隆盛を呼び捨てにすることは問題で、「西郷隆盛先生」、「西郷南洲先生」、「西郷どん」等の呼称で言わなければならないそうだ。
※実は小職は鹿児島生まれ。しかしわずか4歳で熊本に引っ越したため、ほとんど記憶はない。

西郷隆盛の人生は、4つの時期に分けられる。
最初は誕生から父(西郷吉兵衛)死去により家督相続するまで。
次が島津斉彬に見いだされ、島津斉彬が亡くなるでの短い期間及び僧月照とともに身投げして蘇生し、大島、徳之島、沖永良部島等にながされた時期。
次は赦免帰藩から薩長同盟、大政奉還、鳥羽伏見の戦いを経て新政府の参議となる時期。
最後は鹿児島に戻って私学校をおこし、西南戦争まで。

西郷隆盛は、政府に対し軍事行動を起こした反乱軍の指導者だ。
しかし、広く日本国民に愛され、賊名も除かれ、正三位を追贈される。
東京上野、鹿児島には立派な銅像がたつ。

幕臣である勝海舟は、恐ろしい者として先進的な思想家・横井小楠と西郷隆盛を挙げた。
福沢諭吉は、西南戦争終戦からわずか1カ月後には西郷隆盛を高く評価する『丁丑公論』を著した(福沢諭吉の死後公表)。
内村鑑三は、『代表的日本人』として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮を挙げる。また、「わが国の歴史で最も偉大な二人を挙げるなら」として、太閤秀吉と西郷隆盛を挙げている。

それだけでない。
戊辰戦争で最後まで抵抗した奥羽越列藩同盟の庄内藩は、最後は官軍(薩摩)に降伏するが、そのときの丁重な取りなし等に恩義を感じ、西南戦争に従軍した庄内藩士がいたほどだ。
さらに、有名な『南洲遺訓』は、庄内藩によってまとめられた。

西郷隆盛自身は、藤田東湖と橋本左内を尊敬していた。
城山で自害したときの遺品の中に、橋本左内から受けた20年前の手紙があったという。

小職の歴史関係のテーマである、福岡の神社、福岡郷土史から少し外れるかもしれないが、幕末の全体像を深く知る必要もあるし、西郷隆盛についていろいろ知りたい。


日本の建国をお祝いする集い

2010-02-05 19:58:05 | 歴史

小職は、日本会議の正会員だ。
正式には日本会議福岡の会員、という位置づけではないかと思う。

日本会議は、誇りある国づくりを目指す団体だ。
理念はとても素晴らしいし共感できる。
だから会員なのだ。
しかし、会員のみんなが「誇りある国づくり」を目指すような方かどうかは正直なところわからない。

2月11日に、日本会議福岡の主催で、「日本の建国をお祝いする集い」が開催される予定。
昨年に引き続き、弊所は広告協賛することになったので、当日配布されるパンフレットに掲載される予定だ。
この広告掲載の関係で、当日の入場招待券を10枚いただいた。
関心がある方で安藤と知り合いの方、安藤までお声掛け頂ければ差し上げたい。
詳細は次の通り。

日時    平成22年2月11日 13:30~16:30
会場    福岡国際会議場メインホール(博多区石城町2-1)*福岡サンパレス隣
記念講演 「日本の教育再生へ -皇室を仰ぐ教育を」
講師    小川義男氏(狭山ヶ丘高等学校校長)

ところで、2月11日は建国記念の日だ。
「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」だ。
建国記念の日は、国民の祝日に関する法律第2条では、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」日で、その日は「政令で定める日」とされている。
政令で定められたのが2月11日だ。

「憲法記念日」は5月3日で、「憲法記念の日」ではない。
つまり、同じ記念日で「の」が入るかどうかは、その日であることが100%確実かどうかで決まっているものと思われる。

建国記念の日は、初代天皇とされる神武天皇が即位された日とされる(日本書紀より)。
神武天皇が即位された日が、皇紀元年1月1日。
皇紀とは、天皇家の歴史とともにある年号の一種だ。
現在は皇紀2670年(覚え方は簡単、西暦に660年加算するだけ)。
天皇家の歴史は、2670年とされている。

実際は「欠史八代」といわれる第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までは実在しなかったという有力説等もあるし、天皇家の歴史はおそらく1500年~1800年くらいと考えられている。
しかし、事実が特定できないほど古いことが証明されているということであり、いいことではないか。
世界一古い伝統ある皇室に敬意を表したい。

少し話が逸れるが、実在性が濃厚といわれる古代の第15代応神天皇は、福岡県出生だ。
有名な宇美八幡宮が出生地とされる。
神功皇后が三韓征伐から帰国して、この地で出産されたという。
「産み」が「宇美」の地名の由来というのが有力説だ。

ところで、皇紀元年1月1日が何故現在2月11日とされているかというと、西暦の紀元前660年の2月11日にあたるかららしい。
戦前は建国記念の日は「紀元節」という名称だった。
明治5年から始まった祝日だ。
当初は旧暦の正月があてられたらしく、最初の紀元節は1月29日だったとか。

日本が太陽暦に移行するのは、明治6年からだ。
明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日とされ、しかもこれが11月に周知されたため社会混乱の原因になったという。

ともあれ、建国記念の日がいつであるか諸説あるような国は珍しい。
それほど日本の歴史は古いのだ。
千年前の世界地図にも日本は現在と同様に日本として存在する。
世界中で他にこのような例はない。
世界で最も古い歴史をもつ国といえる。
日本人として誇りを持とう!


近代貨幣(古銭)

2010-01-24 20:00:10 | 歴史

今日は、福岡県護国神社で「蚤の市」が行われていた。
多くの露天が出ており、お客さんでにぎわっていた。
蚤の市というと、実は苦い思い出がある...

実は小職は、古銭コレクターだ。
この趣味、実に歴史は長く、中学1年生から始めた趣味だ。
ただ、本格的なコレクターではないため、常に狙った古銭を追い求める、というタイプではない。
気が向いたときに気に入ったものを入手する、という程度だ。
根本には「歴史好き」がある。
古銭は歴史を物語るから好きなのだろう。

中学生の頃(昭和50年代)、小職は新聞少年として熊日新聞(熊本日日新聞)を配達していた。
従って、普通の中学生と比較すると、ややお金持ち(ともいえないが)。
当時の中学生の小遣いの相場は月額3,000円くらいだったと思うが、小職は多いときは月に25,000円くらい稼いでいたのだ。

ここで、蚤の市の話になるのだが、明治初期に貿易専用の貨幣として「貿易銀」というものが発行されたのだが、確かこれが1枚2,000円くらいで売られていた。
当時、コインショップで買えば確か5万円以上する代物だ。
中学生の小職は迷わず購入したが、ここが中学生、甘かった。
そう、偽物だ。
これ以来、蚤の市では骨董品のような物には手を出さず、ただ実用性と代金との比較で安ければ検討する、ということになった。
いい社会勉強になった。

ところで、小職の古銭収集の対象は、基本的には明治~昭和初期(戦前)の近代貨幣と呼ばれる範囲だ。
もちろん、江戸時代以前の貨幣や明治以降の紙幣にも興味はある。
しかし、難しかったり、高額で手が出なかったりで、中学生の趣味らしく価値のない安価な物を「歴史遺産」のように感じることが楽しかった。

それから既に30年近いときが流れた。
今は、その気になれば当時欲しかった古銭はかなり気軽に購入できる。
ただ、わかってきたのだが、近代貨幣で本当に価値がある古銭は極めて一部だ、ということだ。
つまり、高いお金を出してまで購入しようとするほどのコレクターではないのだ。

ちなみに、現行コインの最初の発行年は次の通り。
500円白銅貨:昭和57年
100円白銅貨:昭和42年
50円白銅貨:昭和42年
10円青銅貨:昭和26年(昭和34年から「ギザ無し」)
5円黄銅貨:昭和24年(昭和34年から「ゴシック体」)
1円アルミ貨:昭和30年

これより前の発行であれば、小職にとっては古銭となる。
単純に戦後だけに焦点を当てても、結構ある。
ただ、価値はほとんどないが。

・鳳凰100円銀貨(昭和32年~33年)
・稲100円銀貨(昭和34年~41年)
・無孔50円ニッケル貨(昭和30年~33年)
・有孔50円ニッケル貨(昭和34~41年)
・無孔5円黄銅貨(昭和23年~24年)
・1円黄銅貨(昭和23年~25年)
・大型50銭黄銅貨(昭和21年~22年)
・小型50銭黄銅か(昭和22年~24年)

ここ5年くらいは全く新たに入手していないが、5年前くらいに入手したときの狙い方は次のとような感じだ。

①「明治六年」シリーズ
 明治時代になって、それまでの「両、分、朱」から「円、銭、厘」の制度となったが、竜1円銀貨、竜50銭銀貨、竜20銭銀貨、竜10銭銀貨、竜5銭銀貨、竜2銭銅貨、竜1銭銅貨、半銭銅貨、1厘銅貨の硬貨がすべて発行されるようになったのが明治6年からだ。
 そこで、明治6年だけを狙って入手しようとした。
 ただ、1円銀貨と1厘銅貨だけは高価で手が出ないままだが...

②「特年」狙い
 同じ硬貨でも、年号によって価値が異なる。
 基本的に「希少性」で決まる。
 そこで、特年で、しかも比較的安いもの(価値は低いが)を狙って購入。
 昭和13年発行の50銭銀貨を入手した。

ちょっとマニアックなので、またの機会にしよう。


李登輝元総統

2009-09-10 23:54:36 | 歴史

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来日中の台湾の元総統・李登輝先生が、本日福岡国際空港から帰国された。
私は日華(台)親善友好慰霊訪問団の団員として台湾に慰霊訪問したことがあるが、そのご縁でお見送りに誘っていただいた。

11時過ぎ頃、専用車で奥様とご一緒に空港に到着され、見送りの私たちの所まで来られて多くの方と握手をしていただいた。
私もちゃっかり握手をしていただいた。
元とはいえ『国家元首』との握手は生まれて初めてで、とても感激した。

李登輝先生は、戦前の台湾のお生まれなので、当時は「日本人」だった。
戦後の中国で共産党に破れた国民党は台湾に逃げ込み、今日に至っている。
台湾では、今でも孫文が建国した「中華民国」が続いている。

蒋介石、蒋経国と続いた国民党政権は、ちょうど日本がバブルの頃、李登輝先生に引き継がれた。
その頃及びその後の台湾の発展・民主化はめざましく、アジアNICS(台湾、香港、シンガポール、韓国)として注目された。
NICSという語が「新興経済国家」の意で、中国(中華人民共和国)が台湾、香港を国家と認めていないことから、NIES(新興経済地域)と変更された、と当時聞いたことを思い出す。

今では台湾は経済的にも発展した「国家」と言いたいところだが、国連にも加盟できず、日本も国家として承認していない。
中国共産党(大陸)と中国国民党(台湾)は、双方が「唯一の中国政府」を主張して相手方の存在を認めなかったことが原因だ。
現在も中国共産党は台湾を自国領土の一部と主張し続けている。
逆に台湾側は、中国唯一の政府とする主張はしなくなったようだが、台湾独立派、現状維持派、中国統合派等が存在し、個人個人の環境や立場で異なる考え方があるようだ。

台湾では、戦前から台湾に住んでいた者を本省人、戦後台湾に来た者を外省人と区分する。
この他に、原住民である13部族が存在する(戦前は総称して高砂族と呼ばれた)。
しかし、本省人でも、終戦時に20歳だった者は、現在84歳だ。
本省人の子は本省人だろうが、やがては厳密に区分できない又はする必要もない時代がくるだろう。
そして、それはそれで一つの民族といえるだろう。
そのときに、中国との統一を望むのか、別の国家として並立を望むのか、このあたりが将来の台湾の鍵になるだろう。