今日は、九州大学名誉教授の山口宗之先生の講義を受講した。
テーマは、西郷隆盛。
山口先生は、橋本左内、真木和泉等の他、西郷隆盛に関する著書もある先生だ。
今日初めて知ったが、先生ご自身「旧制七高(現在の鹿児島大学)」のご出身で、鹿児島で3年間生活されたことがおありだ。
鹿児島では、西郷隆盛を呼び捨てにすることは問題で、「西郷隆盛先生」、「西郷南洲先生」、「西郷どん」等の呼称で言わなければならないそうだ。
※実は小職は鹿児島生まれ。しかしわずか4歳で熊本に引っ越したため、ほとんど記憶はない。
西郷隆盛の人生は、4つの時期に分けられる。
最初は誕生から父(西郷吉兵衛)死去により家督相続するまで。
次が島津斉彬に見いだされ、島津斉彬が亡くなるでの短い期間及び僧月照とともに身投げして蘇生し、大島、徳之島、沖永良部島等にながされた時期。
次は赦免帰藩から薩長同盟、大政奉還、鳥羽伏見の戦いを経て新政府の参議となる時期。
最後は鹿児島に戻って私学校をおこし、西南戦争まで。
西郷隆盛は、政府に対し軍事行動を起こした反乱軍の指導者だ。
しかし、広く日本国民に愛され、賊名も除かれ、正三位を追贈される。
東京上野、鹿児島には立派な銅像がたつ。
幕臣である勝海舟は、恐ろしい者として先進的な思想家・横井小楠と西郷隆盛を挙げた。
福沢諭吉は、西南戦争終戦からわずか1カ月後には西郷隆盛を高く評価する『丁丑公論』を著した(福沢諭吉の死後公表)。
内村鑑三は、『代表的日本人』として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮を挙げる。また、「わが国の歴史で最も偉大な二人を挙げるなら」として、太閤秀吉と西郷隆盛を挙げている。
それだけでない。
戊辰戦争で最後まで抵抗した奥羽越列藩同盟の庄内藩は、最後は官軍(薩摩)に降伏するが、そのときの丁重な取りなし等に恩義を感じ、西南戦争に従軍した庄内藩士がいたほどだ。
さらに、有名な『南洲遺訓』は、庄内藩によってまとめられた。
西郷隆盛自身は、藤田東湖と橋本左内を尊敬していた。
城山で自害したときの遺品の中に、橋本左内から受けた20年前の手紙があったという。
小職の歴史関係のテーマである、福岡の神社、福岡郷土史から少し外れるかもしれないが、幕末の全体像を深く知る必要もあるし、西郷隆盛についていろいろ知りたい。