東海の古代史 2012年2月 牧之原市の宮下遺跡で庭園池発掘
静岡県中部の牧之原市にある宮下遺跡は、静岡空港の東南、空港と東名高速との間にあります。2月22日に、牧之原市教育委員会は、宮下遺跡で中世前期の庭園池跡を発掘したことを発表しました。
池は南北が約35m、東西が20mで、中之島があり、庭園池の中から「福万」「寿」と墨で書かれた墨書土器も多数発掘されました。
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地図(手元の『街の達人 静岡 便利情報地図』昭文社、227ページ、定価3200円)で宮下遺跡(p149に「宮下遺跡」が掲載)を見ると、すぐ間近に「坂部神社」という神社があって、しかも地図では坂部神社の参道が神社から宮下遺跡の方向に向いています。
明らかに、宮下遺跡の関係者が参拝した神社ではないでしょうか。
宮下遺跡の時代は鎌倉時代初期の13世紀ごろ、つまり今から800年くらい前です。「坂部神社は存在しない」という証明はできないのではないでしょうか。
新聞では今回の発掘は「仏教遺跡」と解釈されていますが、そんなに簡単なものではないように思います。
台頭する武士階級と関連するのであれば、たとえば「八幡信仰」など神社との関連も考察してもらわないと、と思いますが、どうでしょうか。
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墨書土器の「福万」は『静岡新聞』では「福万(よろずにふくきたり)」と読み仮名がふられていましたが、なぜ「福万(ふくまん)」と読んではいけないのでしょうか。
「万人の福」(みんなのしあわせ)という思想・思考は、今の時代にはありえますが、中世武士の台頭時代に、そういう共産主義的思想を求めるのは無理があるのではないでしょうか。
なぜまん丸の池ではないのでしょうか。
楕円形の池(つまり水)で、真ん中に島がある。ということは「古代史幻想」に属する妄想かも知れませんが、古代の卑弥呼信仰、あるいはアテネ女神信仰のような女性信仰との関連で「福万」という文字を解釈できないでしょうか。
現代でも「あげまん」という言葉があります。つまり、ペアになった男性の「運」を上昇させる女性のことです。
「まん」は「間」のことという解釈もされているようですが「まん」と「ま」では違いますね。
やはり「まん」は、女性のシンボルのことではないでしょうか。
墨書土器の「寿(じゅ、ことぶき)」も、「長寿」や「結婚」を祝う言葉ですから、やはり「女性信仰」の一つだと言えるのではないでしょうか。
つまり、女性の受胎と生誕を願う「再生儀式」の一つではないでしょうか。