雨宮日記 2月25日(土) 眠いのを無理して、午後に静岡市へ
24日深夜から25日朝の仕事は、大雨で疲れました。午前5時ごろ、帰宅。パソコンに向かいながら飲んで、もしくは飲みながらパソコンを打って、寝ました。
午前11時頃、則子さんに無理矢理起こされて、意識もうろうとしながら、自宅前で日課の放射線量測定をしていたら、もう遠鉄タクシーが来ちゃって、すこし待ってもらいました。
遠鉄タクシーは、いつも指定時間の10分くらい前に来ちゃうんですね。
家計は裕福ではないですが、こういう時は、則子さんが、電車で行くのではボクが足元フラフラして心許ないので、タクシーにしてくれます。
☆
こういうときは、ボクの父が一人で家にいるので、則子さんは父の昼食と夕食の心配をして、手配をして、でかけます。
もう十数年以上、こういう生活で、妻の則子さんのボクの父への気配りには、感謝、感謝です。
父が月何回か、3つの病院に行くときには、タクシーを呼んで、則子さんが午前中、いっしょについていってくれます。
たぶん、不出来な次男の、望外に出来た「お嫁さん」だろうと思います。
☆
則子さんが午前中に、近くのストアで買ってきた「お寿司」を新幹線の車内で食べようとしたら、「あれ?醤油は?」。
どうしようもないので、お寿司を醤油なしで食べました。
やはり、日本人と言えば醤油、醤油と言えば日本人、ですね。
☆
静岡駅から北へあるきました。
静岡市で駿府城のお堀端で「教育会館」地下・D会議室で「浜岡原発永久停止裁判」の弁護団・原告団の合同会議でした。
第4次原告が併合になるので、ボクは新しい原告団の事務局として、今日が初めての参加です。
則子さんは原告団だけの前回の会議に参加しているので、前回、顔見知りになった原告が多いようです。
5月に出した訴状のあと、第2次原告団追加、第3次原告団追加、と続いて、今回は県西部の第4次原告団追加提訴と、原告「準備書面(1)」の検討をしました。
ぼくにとっては、半分以上の6割くらいが、初めて見る顔の方々(原告と弁護士)なので、すごく新鮮でした。
24日深夜から25日朝の仕事は、大雨で疲れました。午前5時ごろ、帰宅。パソコンに向かいながら飲んで、もしくは飲みながらパソコンを打って、寝ました。
午前11時頃、則子さんに無理矢理起こされて、意識もうろうとしながら、自宅前で日課の放射線量測定をしていたら、もう遠鉄タクシーが来ちゃって、すこし待ってもらいました。
遠鉄タクシーは、いつも指定時間の10分くらい前に来ちゃうんですね。
家計は裕福ではないですが、こういう時は、則子さんが、電車で行くのではボクが足元フラフラして心許ないので、タクシーにしてくれます。
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こういうときは、ボクの父が一人で家にいるので、則子さんは父の昼食と夕食の心配をして、手配をして、でかけます。
もう十数年以上、こういう生活で、妻の則子さんのボクの父への気配りには、感謝、感謝です。
父が月何回か、3つの病院に行くときには、タクシーを呼んで、則子さんが午前中、いっしょについていってくれます。
たぶん、不出来な次男の、望外に出来た「お嫁さん」だろうと思います。
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則子さんが午前中に、近くのストアで買ってきた「お寿司」を新幹線の車内で食べようとしたら、「あれ?醤油は?」。
どうしようもないので、お寿司を醤油なしで食べました。
やはり、日本人と言えば醤油、醤油と言えば日本人、ですね。
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静岡駅から北へあるきました。
静岡市で駿府城のお堀端で「教育会館」地下・D会議室で「浜岡原発永久停止裁判」の弁護団・原告団の合同会議でした。
第4次原告が併合になるので、ボクは新しい原告団の事務局として、今日が初めての参加です。
則子さんは原告団だけの前回の会議に参加しているので、前回、顔見知りになった原告が多いようです。
5月に出した訴状のあと、第2次原告団追加、第3次原告団追加、と続いて、今回は県西部の第4次原告団追加提訴と、原告「準備書面(1)」の検討をしました。
ぼくにとっては、半分以上の6割くらいが、初めて見る顔の方々(原告と弁護士)なので、すごく新鮮でした。