雨宮日記 8月11日(月)の8 「幸福」も「平和運動」もデパートでは売っていない
「幸せはデパートでは売っていない」と読んだのは、もしかして羽仁五郎さんの本でしょうか。
幸福はデパートでもコンビニでも共産党でも売っていないし、売れません。「1000万円で幸福を買える」でしょうか。1億円出しても無理です。
学力で幸福は買えません。学歴でも幸福は買えません。
幸福とは何でしょうか。その人の人生の「最善の選択」のことですから、ぼくの幸福は、人生のいくつかの時点で「いくつかの選択」をしたことです。
つまり、自伝「青い地球とオレンジの花」で詳しく書きますが、大学をドロップアウトして適切な時点で(1976年)浜松に戻ったこと、、なぜか同じ頃に伊藤則子さんが浜松に戻る選択をしたこと、2人の共通の友人が2人を同じサークルに誘う選択をしたこと、そして2人が出逢ったときに「チャンスの前髪をつかんでしまう」選択をしたこと、そして出逢った後、どっちかが先導するのではなく、2人で対等平等の立場で「いっしょの人生を論議して生きていく選択をしたこと」
かなり長い間、2人で話をしていると「また、お父さんとお母さん、けんかをしている」と2人の娘に誤解されました。つまり、それくらい激しい論議に明け暮れたんですね。
幸せは、みんなの論議で創造するもので、創造できるとは限りません。ましてや、創造できる「マニュアル」などはありません。そういうことができるなら、雨宮智彦著「幸福になれるマニュアル」あるいは「正しい平和運動をできるマニュアル」を書いて、1冊10万円くらいで売りますね。1万円では安っぽく見えるし、100万円では高いでしょう。
平和運動も、デパートでは売っていません。ましてや平和委委員会や共産党でも売っていません。「平和委委員会大会決定」や「共産党決定」を売っているではないかと、言う方へ。あれは、一人ひとりの、あるいは自治体平和委員会・自治体共産党の具体的方針を作る上での「参考文献」であって、あれだけを「正しい方針」「上からの指示」にするなら、大間違いになるはずです。
あれを「みんなでどう具体的に修正するか」が、個人や個々の地域の集団が試される「試金石」です。
たぶん、そういうことのできる集団は意外に少ないと思います。
「幸福」も「運動方針」も同じです。
「正しい方針:だけで、「正しい運動」ができるなら、科学はいりません。集団論議もいりません。宗教になってしまいます。理研がそうだったように。つまり集団討議ができなかったんですね。自殺した笹井さんも。