雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 69 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 37 東区天王町の大歳神社<再録>

2018年06月25日 05時58分31秒 | 遠州古代史


古代ブログ 69 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 37 東区天王町の大歳神社<再録>

 2010年7月21日にアップした時に、なぜか大歳神社の写真を掲載していない。写真が見つかったら、後で追加します。

 パソコンとネガとプリントで残っている写真は、いま整理しているので。ただしゆっくりと。終わりはいつになるやら。

 以下、再掲。

「遠州の遺跡・寺社18 東区天王町の「大歳神社」
2010年07月21日 05時08分25秒 | 遠州古代史

 「てんのうちょう」の「おおとし」神社です。

 「17」で紹介した「白山神社」の続きです。続きですという意味は、ここの主神である「大歳神・大年神」さんがスサノオさんの息子であるためです。

 大年神さんは、スサノオ命さんが、高天原から追放されて、出雲へ行き、有名な「ヤマタノオロチ」退治をして出雲の主になったあと、「大山津見神」さんの娘である「神大市比売(かむおおいちひめ)」さまと結婚して生んだのが、この大年神さんと宇カ之御魂神(うかのみたまのかみ)さんの2人の兄弟です。

 大年神さんは、「年神」ですから、毎年、やってくる神で、祖先神とも、穀物神ともされています。

 兄弟神の宇カ之御魂神(うかのみたまのかみ)さんも穀物神で、このウカノミタマノカミさんやその一族が、いわゆる「お稲荷さん」になったと思われます。

 この天王町(てんのうちょう)という町名は、たぶん、スサノオさんの別名「牛頭天王」から来ています。後の時代の「天皇家」とは、たぶん関係ないと思います。

 この「大歳神社」は浜松市内では花火でも有名です。今年は、7月31日(土)と8月1日(日)夜です。

 大歳神社に行くと、社務所でお守りを打っている中に「勾玉」がありました。うわあ、古代の勾玉だと嬉しくなって、つい、妻のN子さんの「幸福長命頭脳明晰交通安全商売繁盛子孫繁栄」を願って買ってしまいました。霊力があるかどうか、信じているわけではないですが。

 ところで、スサノオさんがその娘と結婚した、つまりスサノオさんにとって義父さんとなる大山津見神は、後の「天孫降臨」(うわ、科学的社会主義者がこんな神がかりな字を打つと、祟りがないか、手も震えますね。でも手書きじゃないので、表示には指の震えは残りません)でも、天下ったニニギさんが結婚したのは、同じ大山津見神の娘であるカムアタツ姫さま、別名コノハナサクヤヒメさまでした。

 大山津見さんっていったい何物なんでしょうか?以前に「遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡」に書きましたが、これも探っていきたいと思います。

 たぶん、弥生のスサノオの出雲王国よりも更に古層の、縄文時代までさかのぼる日本列島の【原初の】神という気がします。
 
 この大歳神社は、南向きです。私たちからは北向きで、北極星の方向を拝みます。」

 


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