雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

青い銀河とオレンジの花 断片 7 帰郷と出会い ④  20200825

2020年08月25日 21時40分45秒 | 雨宮日誌
青い銀河とオレンジの花 断片 7 帰郷と出会い ④  20200825




 もう記憶も定かではないし、記録もない。1976年のころだと思う。民青の会議が和地山公園のなかの和地山集会所であり、ボクも参加していた。民青の会議が終わった頃に、会場内の他の場所で会議をしていた団体も終わって出て来た。


 その会議は「平和委員会」の会議だと、その団体名を初めて聞いた。その中にIくんと知り合いの、若い女性がいて、当時保母だったS典子さんだった。後でIくんから、静岡県原水爆被害者の会のS会長の長女ということを聞いた。


 その時に、どういう話を3人でしたかも覚えていない。おぼろげで申し訳ないが、いつ平和委員会へ入ったかさえさだかではない。この前後であることは確かだが。


 その後の記憶は、当時の成子の「開かずの踏切」がまだあった頃、これもその年のうちだと思うが、民主書店の「浜松書房」の店があり、同居していた新婦人の事務所などがあった、浜松市平和委員会の事務所もそこに同居していた。


 その浜松書房の店で、典子さんと待ち合わせ、その場で、同じ保母という伊藤則子さんを紹介された。それがいまの雨宮則子さんとの初めての出会いだった。


 その後、たぶん、場所を移動したのだと思うが、なんと、申し訳ないことに、その場にいたはずだとは思うが、Iくんや、現在の典子さんの夫であるAさんがいたかどうか覚えていない。


 今は妻の則子さんがそこにいたということだけがボクの記憶に残っている。ごめんなさい。


 そこは、地下室になっている喫茶店だと思う。最近になって(2014年)、被爆者の会西遠支部の総会に、ぼくが浜松市原水協事務局長の則子さんの代理で出席したら、A夫妻に出会い、聞いてみたら、昔の松菱デパートの前、北側の日興證券の地下にある喫茶店「グリーンパーク」であると答えてくれて、A夫妻の記憶がいいのには感心した。


 その時に、青年平和サークル「ブーゲンビリア」の結成の話をしたように思う。またそれは別の話になる。



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