新・本と映像の森 80(文学9) 丹羽郁夫『飛翔の季節(とき)』
まだ日刊新聞連載中で、終結もしていないし、ましてや有名小説家ではないから(ごめんなさい!丹羽さん!)本になるかどうかもわからない。
注目すべき小説だが、注目すべきみなさんが見逃すことのないよう、ここに明記しておく。
日刊新聞は日本共産党中央委員会発行の『しんぶん赤旗』で、連載小説は8月22日(火)付きで228回目となっている。
著者は丹羽郁夫(にわいくお)さん。タイトルは「飛翔の季節(とき)」。
時代は1960年代後半から1970年代前半、主人公は土岐啄磨、ボクとほぼ同時代を高校生・大学生として同じように生き、ほぼ同時代を民靑同盟員・日本共産党員として同じように生きたといっていい。
ボクは1971年春に民青に入り、1972年4月に日本共産党に入った。
だから時代のいぶきを同じように呼吸していた点で啄磨には共感する。活動の濃密さも、住宅のひどさも、仲閒のすばらしさも。
228回目の今日は1972年4月末である。
「228=第三章 再び起つ(12)」から引用する。
「民青は、4月十一日から四日間開かれた「九中委」で、全国十二大会の決議草案を決定していた。また、去年の沖縄闘争の真っ最中に開かれた「七中委」で延期が決められた大会を、今年の六月七日から三日間開くことも発表された。・・・・
大会決議案は「民新」の四月二十六日号にのった。分量は新聞の一ページと三分の二ほどでひどく少なかった。琢磨啄磨は、一読して何かおかしい、と思った。胸にずんと響くものがなく、気合いも入らない。ーどこか変だ、ひろく浅く総花的で、これが今後の二年間の指針になるとはとても思えない。
啄磨はそう思いながら、机の上で考え込んだ。」
小説のこの時点でボクたちは、激変の日、五月九日がすぐ間近に迫っていることを良く知っている。
それを丹羽さんがどのような立場から、どのように描くのか、ボクたちは見逃せない。
まだ日刊新聞連載中で、終結もしていないし、ましてや有名小説家ではないから(ごめんなさい!丹羽さん!)本になるかどうかもわからない。
注目すべき小説だが、注目すべきみなさんが見逃すことのないよう、ここに明記しておく。
日刊新聞は日本共産党中央委員会発行の『しんぶん赤旗』で、連載小説は8月22日(火)付きで228回目となっている。
著者は丹羽郁夫(にわいくお)さん。タイトルは「飛翔の季節(とき)」。
時代は1960年代後半から1970年代前半、主人公は土岐啄磨、ボクとほぼ同時代を高校生・大学生として同じように生き、ほぼ同時代を民靑同盟員・日本共産党員として同じように生きたといっていい。
ボクは1971年春に民青に入り、1972年4月に日本共産党に入った。
だから時代のいぶきを同じように呼吸していた点で啄磨には共感する。活動の濃密さも、住宅のひどさも、仲閒のすばらしさも。
228回目の今日は1972年4月末である。
「228=第三章 再び起つ(12)」から引用する。
「民青は、4月十一日から四日間開かれた「九中委」で、全国十二大会の決議草案を決定していた。また、去年の沖縄闘争の真っ最中に開かれた「七中委」で延期が決められた大会を、今年の六月七日から三日間開くことも発表された。・・・・
大会決議案は「民新」の四月二十六日号にのった。分量は新聞の一ページと三分の二ほどでひどく少なかった。琢磨啄磨は、一読して何かおかしい、と思った。胸にずんと響くものがなく、気合いも入らない。ーどこか変だ、ひろく浅く総花的で、これが今後の二年間の指針になるとはとても思えない。
啄磨はそう思いながら、机の上で考え込んだ。」
小説のこの時点でボクたちは、激変の日、五月九日がすぐ間近に迫っていることを良く知っている。
それを丹羽さんがどのような立場から、どのように描くのか、ボクたちは見逃せない。