代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 5&6&7 2015年12月2日
これで「代執行訴訟 翁長知事陳述書全文」は終わりです。興味のある方は熟読されることを望みます。(雨宮智彦)
5 前知事の突然の埋立承認
6 前知事の埋立承認に対する疑問-取消しの経緯
(1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問
(2)第三者委員会の設置と国との集中協議
(3)承認取消へ
(4)政府の対応
7 主張
(1)政府に対して
(2)国民、県民、世界の人々に対して
(3)アメリカに対して
5 前知事の突然の埋立承認
平成22年の県知事選では私は仲井眞前知事の選対部長をして普天間飛行場の県外移設ということで選挙を戦い、前知事が当選を果たしました。2カ年半は全く同じ考え方を発信しながらやっておりました。
実際、仲井眞前知事の議会等でのご発言を見ていただければ分かりますが、私が今申し上げていることとほとんど同じようなことを話しています。
例えば、私がよく、危険な普天間基地の移設について、嫌なら沖縄が代替案を出せ等と言われることに対して、「日本の国の政治の堕落だ」ということを申し上げますが、実は、この言葉は、他でもない仲井眞前知事が発したものでした。それだけに、突然、公約を破棄する形で埋立承認をされ、これによって今日の事態が生じているわけでありますから、今思い返しても大変残念であり、無念な出来事だったと思っております。
安倍総理大臣との会談後、「有史以来の予算。これはいい正月になる」と記者会見で満面の笑みを浮かべたわずか2日後に行われた、辺野古の埋立承認でした。多くの県民は、あたかも振興策と引き替えにしたような承認に、誇りを傷つけられました。それは同時に、承認手続そのものへの不信感を招く結果ともなったのです。
6 前知事の承認に対する疑問-取消しの経緯
(1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問
仲井眞前知事の突然の埋立承認に対する疑問は、あまりに突然の対応の変化が不自然であったという感覚的なものだけではありませんでした。承認に至る手続の中で示されてきた知事意見や生活環境部意見を踏まえても判断を誤っているのではないかと思われるものでした。
ア 埋立承認に至る経緯をみますと、まず、仲井眞前知事は、平成24年3月に、辺野古埋立事業についての環境影響評価書についての意見を述べましたが、その内容は、「評価書で示された環境保全措置等では、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは、不可能と考える」というものでした。
イ その後、平成25年11月には、「普天間飛行場代替施設建設事業公有水面埋立承認願書に対する名護市長意見書」が名護市議会において可決され、同月27日に沖縄県に提出されておりましたが、同意見書は、「環境保全に重大な問題があり、沖縄県知事意見における指摘のとおり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能であると考え、本事業の実施については強く反対いたします。本件申請については、下記の問題があると考えられますので、未来の名護市・沖縄県への正しい選択を残すためにも、埋立ての承認をしないよう求めます」というものでした。
ウ 同じ頃、県では、土木建築部海岸防災課・農林水産部漁港漁場課により、審査状況について中間報告が提出されております。同報告は、「『事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能』とした知事意見への対応がポイント」とするとともに、「環境生活部の見解を基に判断」するとしていました。
そして、平成25年11月29日、環境生活部長から土木建築部長宛に、環境生活部長意見が提出されております。そこでは、環境保全の見地から、18項目にわたって詳細に問題点を指摘したうえで、「当該事業に係る環境影響評価書に対して述べた知事等への意見への対応状況を確認すると、以下のことなどから当該事業の承認申請書に示された環境保全措置等では不明な点があり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全についての懸念が払拭できない」と結論づけていました。
その後、土木建築部から環境生活部への再度の照会等はなされておりませんので、この結論が、環境生活部の最終意見ということになっているのです。
エ 仲井眞前知事の埋立承認は、それからわずか1カ月後でした。環境生活部の最終意見についてどうやって対応できたのか、非常に疑問が残る突然の承認であったのです。
(2)第三者委員会の設置と国との集中協議
ア このように、前知事の承認は、単純に公約違反というような政治的な意味合いにとどまらない問題をはらんでいると思われました。世論はもちろん、環境関係の専門家らから要件を充足していない違法な承認であるとの抗議が一斉に起きたのです。
そこで、平成26年12月に知事に就任した私は、まず、埋立承認に法律的な瑕疵(かし)がないか確認することとしました。平成27年1月26日に第三者委員会を設置し、環境面から3人、法律的な側面から3人の6人の委員に依頼して、客観的、中立的に判断していただくようお願い致しました。
その結果、平成27年7月16日に法律的な瑕疵があったとの報告を受けました。報告書は、約130頁に及ぶもので、公水法の各要件について詳細な検討がなされておりました。
イ その後、平成27年8月10日から9月9日まで、沖縄県と国とが集中的に協議をするということで国が工事を中止して、会議が始まりました。
私はその中で沖縄県の今日までの置かれている立場、歴史、県民の心、基地が形成されてきた過程、あるいは沖縄県の振興策のあるべき姿や現状を説明し、ご理解を得られるよう最大限努力しました。5回の集中協議の中で、私の考え方をまんべんなく申し上げましたが、国から返ってくる言葉はほとんどなく、残念ながら私の意見を聞いて考えを取り入れようというものは見えてきませんでした。
集中協議では、ある意味で溝が埋まるようなものが全くない状況でございました。協議の中でも、私どものいろいろな思いをお話させていただきましたが、1つ議論が少しできたのは、防衛大臣との抑止力の問題だけで、それ以外は、閣僚側から意見、反論はありませんでした。
その抑止力の問題についてですが、一つには、沖縄一県に米軍基地を過度に集中させている現状にあります。このことは他国からすれば、日本全体で安全保障を守るという気概が見えず、日本の安全保障と抑止力の観点から深刻な問題であると考えています。
また、防衛省は、海兵隊が沖縄に駐留する必要性として、海兵隊の機動性、即応性、一体性を挙げて説明します。しかし、海兵隊は今でも、各国の基地にローテーション配備されている状況にあります。防衛省が主張する機動性等は、逆に沖縄以外での配備が十分に可能であることを示すものであり、沖縄に配備し続ける理由たり得ないのです。
この他にも、海兵隊は西日本にあれば足りるとする森本元防衛大臣の発言や、海兵隊の分散配備を可能とする中谷防衛大臣の過去の発言など、沖縄に起き続けなければならないことを否定するような話は、政府高官からも出ているのです。
抑止力と関連しまして中国の脅威でありますけれども、中谷防衛大臣からは、中国軍機によるスクランブルや尖閣への領海侵犯の説明とともに、宮古にも石垣にも与那国にも自衛隊基地を置く必要があるとの話がありました。
私が申し上げたのは、それでは、私たちが27年間、米軍の施政権下にあったときのソビエトとの冷戦構造時代は、今の時代よりは平和だったのでしょうかと。その過去と比べて、いわゆる今の中国の脅威というものは、あの冷戦構造時代よりももっと脅威になっているのかどうか。日本政府は積極的平和主義ということで、オバマ大統領と協定を結び、これから中東も視野に入れて、沖縄の基地を使うと言っているのです。
沖縄は、冷戦構造のときには自由主義社会を守るという理由で基地が置かれ、今度は中国を相手に、さらには中東までも視野に入れて、沖縄に基地を置き続けるということになります。これはまるで、私たちの沖縄というのは、ただ、ただ、世界の平和のためにいつまでも、膨大な基地を預かって未来永劫(えいごう)、我慢しろということを強要されているのに等しいことです。沖縄県民も日本人であり、同じ日本人としてこのような差別的な取り扱いは、決して容認できるはずもありません。
それから、ジョセフ・ナイ氏や、マイク・モチヅキ氏といった高名な研究者が、「沖縄はもう中国に近すぎて、中国の弾道ミサイルに耐えられない。こういう固定的な、要塞的な抑止力というのは、大変脆弱性がある」というような話もされております。また、米有力シンクタンクの最新の研究でも沖縄の米軍基地の脆弱性が指摘されています。抑止力からすれば、もっと分散して配備することが理にかなっているのです。
中国のミサイルへの脅威に、本当に沖縄の基地を強化して対応できるのか。これが私からすると大変疑問であります。なおかつオスプレイは運輸、輸送するための航空機であることを考えると、抑止力になるということは、まずあり得ないというのが私の考えです。
私は、中谷防衛大臣とお話をしたとき、巡航ミサイルで攻撃されたらどうするんですか、と尋ねました。すると大臣は、ミサイルにはミサイルで対抗するとおっしゃったのです。迎撃ミサイルで全てのミサイルを迎撃することは不可能ですし、迎撃に成功した場合でも、その破片が住宅地に落ちて大きな被害を出したことを、私たちは湾岸戦争等を通じて知っています。ですから、防衛大臣の発言を聞いたときには、私は心臓が凍る思いがしました。そして、沖縄県を単に領土としてしか見ていないのではないか、140万人の県民が住んでいることを理解していないのではないかと申し上げたのです。
4回目の協議で菅官房長官と話をした際、沖縄県の色々な歴史、県民の心を話して、それについてのお考えはありませんかと申し上げましたが、その時に官房長官が何とおっしゃったかといいますと、私は戦後生まれで、なかなかそういうことが分かりにくいと。また、普天間の原点は橋本・モンデール会談ですとおっしゃっていました。
私なりに言葉を尽くして説明しましたが、この発言には驚かされました。そしてこの方には、沖縄の抱える問題についてご理解いただけない、理解するつもりもないのではないかという印象を抱いた次第です。
5回目の最後の協議には、安倍総理大臣も出席されておりました。私は安倍総理大臣にはこういう話をしました。
私たちがアメリカ、ワシントンD.C.に行きまして、米国政府関係者に話を聞いていただいても、最後は国内問題だから日本政府に言いなさいとなります。
そして、日本政府に申し上げると、アメリカが嫌だと言っていると。こういうものが過去の歴史で何回もありました。
私はそれを紹介した後に、沖縄が米軍の施政権下に置かれているときに、沖縄の自治は神話だと高等弁務官から言われましたが、日本の真の独立は神話だと言われないようにしてください、ということを総理大臣に申し上げたわけです。しかし、総理大臣からは何も意見はありませんでした。
そういう状況の中で、最後の集中協議の場で、私の方から、このまま埋立工事を再開する考えなのか尋ねたところ、菅官房長官からは「そのつもりです」という話があり、事実、協議期間の終わった翌日には有無を言わさず工事を再開する政府の姿勢に、沖縄のみならず日本の行く末に大きな不安を感じた次第です。
集中協議の終了後、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、私は取消しの決意を固めました。
ウ 今回、取消手続の中で、意見聴取、あるいは聴聞の期日を設けましたが、沖縄防衛局長には応じていただけませんでした。陳述書は提出されましたが、聴聞に出頭してもらえなかったことを考えますと、政府の皆様が繰り返しおっしゃられる「沖縄県民に寄り添ってこの問題を解決する」姿勢は微塵(みじん)も感じられませんでした。
こうした意見聴取、聴聞という取消手続を経て今回の承認取消しに至るわけですが、これはもうある意味で沖縄県の歴史的な流れ、あるいはまた戦後70年の在り方、そして現在の、0・6%に73・8%という、沖縄の過重な基地負担、ひいては日米安保のあり方等について、多くの県民や国民の前で議論されることに意義があると思います。
いろんな場面、場面で私たちの考え方を申し上げて、多くの県民や国民、そして法的な意味でも政治的な意味でも理解していただきたいと思っております。
なお、原告である国土交通大臣は、地方自治法に基づく代執行手続に入る前日に、沖縄防衛局長が行った審査請求に対し、審査庁として取消処分を停止する決定を行っております。準司法的手続であり、審査庁である国土交通大臣には厳格な中立性が求められます。その審査庁自身が、原告として知事を訴えるという、異様としか言いようのない対応が行われています。法治国家であることを自ら否定するような国土交通大臣の対応は、沖縄県民の民意を踏みにじるためなら手段を選ばない、米軍基地の負担は、沖縄県だけに押しつければよいという、安倍内閣の明確な意思の表れに他なりません。
しかし、沖縄県にのみ日米安全保障の過重な負担を強要する政府の対応そのものが、日本の安全保障を危うくしかねない問題をはらんでいます。やはり日本全体で日米安全保障を考えるという気概がなければ、日本という国がおそらく他の国からも理解されないだろう、尊敬されないだろう、というように考えます。
(3)承認取消へ
前述のとおり、第三者委員会による報告を受けた後、集中協議においても、なぜ基地の過重な負担に苦しむ沖縄の辺野古に新たに基地を造らなければならないのか等について質問させていただきましたが、納得のいく回答は全く得られませんでした。そのうえ、菅官房長官は、協議終了後には、工事を再開すると言われました。
そこで、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、平成27年10月13日に、前知事の承認処分を取り消しました。
(4)政府の対応
沖縄防衛局長が取消通知書を受け取った日の翌日に審査請求を行ったことは、新基地建設ありきの政府の強硬姿勢を端的に示すもので誠に残念でした。
行政不服審査法は、国や地方公共団体の処分等から国民の権利利益の迅速な救済を図ることを目的としておりますが、国の一行政機関である沖縄防衛局が、自らを国民と同じ「私人」であると主張して審査請求を行うことは、同法の趣旨にもとる行為であり、国民の理解を得られないと思います。
また、「辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされている中で、同じ内閣の一員である国土交通大臣に、本件について審査請求を行うことは不当という他ありません。いずれにしても、行政不服審査法の運用上悪しき前例になるものと考えております。
執行停止につきましては、去る平成27年10月21日、900ページを超える意見書とこれに関する証拠書類を提出しました。その際、国土交通大臣に対しては、「県の意見書を精査し、慎重かつ公平にご判断いただきたい」旨申し上げました。
「辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされてはおりますが、国土交通大臣におかれては、審査庁として公平・中立に審査されると期待しておりました。しかし、それが実質2、3日のわずかな期間で、しかも、沖縄防衛局長が一私人の立場にあるということを認めた上で執行停止の決定がなされたことに、強い憤りを覚えました。この執行停止決定については、やはり内閣の一員として結論ありきの判断をされたと言わざるを得ません。
このような国土交通大臣の執行停止決定は違法な関与行為であると考え、沖縄県では国地方係争処理委員会に対して審査を申し出ております。
理由としては2点あります。
第1に、代執行手続には、執行停止の手続が定められておりません。このたびの本件執行停止は、まさしく、代執行手続が進められている間も埋立工事を行うための方便として使われているものにほかなりません。政府は、「辺野古が唯一」との方針を明確に示しておりますが、憲法上、内閣の構成員は一体となって統一的な行動をとることが求められています。沖縄防衛局長は、防衛大臣の指揮命令を受けて業務に従事しているに過ぎず、また、内閣の構成員である国土交通大臣が、閣議決定等が行われている辺野古移設の方針に反する判断を下すことは不可能であります。したがって、今回の審査請求では、判断権者の公正・中立という行政不服審査制度の前提が欠落していると言わざるを得ません。
第2に、本来、公有水面埋立承認は、国が米軍基地の建設を目的として、「固有の資格」、つまり私人には行い得ない立場において受けたものです。本件執行停止決定が、沖縄防衛局長を私人と同様の立場にあると認めたのは明らかに誤っております。この点につきましては、90名を超える行政法学者からも批判されております。
7 主張
(1)政府に対して
私は1カ月間の集中協議の中で、沖縄の歩んできた苦難の歴史や県民の思い等々を説明しました。その置かれている歴史の中で戦後の70年があったわけで、その中の27年間という特別な時間もありました。そして、復帰後も国土面積の0・6%に在日米軍専用施設の73・8パーセントの基地があるという状況に変わりがありません。それは米軍施政権下の1950年代に日本本土に配備されていた海兵隊が、反対運動の高まりにより、沖縄に配置された結果、沖縄の基地は拡充され、今につながっているのです。
このように沖縄の歴史や置かれている立場等をいくら話しても、基地問題の原点も含め、日本国民全体で日本の安全保障を考える気概も、その負担を分かち合おうという気持ちも示してはいただけませんでした。そのような状況に対して、私は「魂の飢餓感」という言葉を使うほかありませんでした。
政府に対しては、辺野古新基地が出来ない場合、これはラムズフェルド国防長官が普天間は世界一危険な飛行場だと発言され、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように普天間の危険性除去の為に辺野古が唯一の政策だとおっしゃっていますが、辺野古が出来なければ本当に普天間の危険性を固定化しつづけるのか、明確に示していただきたいと思います。
そして、埋立てを進めようとしている大浦湾は、「自然環境の保全に関する指針(沖縄島編)」において、大部分が、「自然環境の厳正な保護を図る区域」であるランク1に位置づけられています。この美しいサンゴ礁の海、ジュゴンやウミガメが生息し、新種生物も続々と発見され、国内有数の生物多様性に富んでいる海を簡単に埋めて良いのか。一度失われた自然は二度と戻りません。日本政府の環境保護にかける姿勢について、国内だけではなく、世界から注視されています。
安倍総理大臣は第一次内閣で「美しい国日本」と、そして今回は「日本を取り戻そう」とおっしゃっています。即座に思うのは「そこに沖縄は入っていますか」ということです。そして「戦後レジームからの脱却」ともおっしゃっています。しかし、沖縄と米軍基地に関しては、「戦後レジームの死守」のような状況になっています。そしてそれは、アメリカ側の要望によるものではなく、日本側からそのような状況を固守していることが、様々な資料で明らかになりつつあります。沖縄が日本に甘えているのでしょうか、日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことはできないと考えています。沖縄の基地問題の解決は、日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー、世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。辺野古の問題で、日本と沖縄は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが、そうではないのです。
沖縄の基地問題の解決は、日本が平和を構築していくのだという意思表示となり、沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。さまざまな意味で沖縄はアジアと日本の懸け橋になれる。そして、アジア・太平洋地域の平和の緩衝地帯となれるのです。
辺野古から、沖縄から日本を変えるというのは、日本と対立するということではありません。県益と国益は一致するはずだ、というのが、私が日頃からお話していることなのです。
琉球処分、沖縄戦、なぜいま歴史が問い直されるのか。それは、いま現に膨大な米軍基地があるから過去の歴史が召還されてくるのです。極端に言うと、もし基地がなくなったら、一つのつらい歴史的体験の解消になりますから、「過去は過去だ」ということになるでしょう。銃剣とブルドーザーで奪われた土地が基地になり、そっくりそのままずっと置かれているから、過去の話をするのです。生産的でないから過去の話はやめろと言われても、いまある基地の大きさを見ると、それを言わずして、未来は語れないのです。ここのところを日本国が気づいていないものと考えております。
(2)国民、県民、世界の人々に対して
よく私が辺野古移設反対と述べると、本土の方から、「あなたは日米安保に賛成ではないですか」と質問されます。私が「賛成です」と答えますと「なぜ辺野古移設に反対するのですか」と続きます。その時に私は「本土の方々は日米安保に反対なのですか。賛成ならば、なぜ米軍基地を受け入れないのですか」と申し上げています。こういったものの見方が沖縄と本土の人とでは完全にすれ違っているのだと考えています。
米軍基地問題はある意味では沖縄が中心的な課題を背負っているわけですが、日本という国全体として、地方自治、本当に一県、またはある特定の地域に、こういったことが起きた時に日本としてどう在るべきか、今回の件は多くの国民に見て、考えてもらえるのではないかと思っております。そういう意味からしますと、一義的に沖縄の基地問題あるいは歴史等々を含めたことではありますが、日本の民主主義、安全保障というものに対して、国民全体が真剣に考えるきっかけになってほしいと思っております。
平成26年12月に知事に当選した私が、官邸の方とお会いしようとしても、全く会ってもらえませんでした。いろいろ、周辺から意見がございましたが、私があの時、今のあるがままを見て、県民も国民も考えてもらいたい、ということを3月までずっと言い続けてきたわけであります。
政府は、大勢の海上保安官や警視庁機動隊員を現場に動員し、行政不服審査法や地方自治法の趣旨をねじ曲げてまで、辺野古埋め立て工事を強行しています。それに対して、私たちは暴力で対抗することはしません。法律に基づく権限を含め、私はあらゆる手法を駆使して辺野古新基地建設を阻止する覚悟です。
そのあるがままの状況を全国民に見てもらう。私からも積極的に情報を発信し、政府とも対話を重ねていきます。そうすることで、今まで無関心、無理解だった本土の方々もこのような議論を聞きながら、小さな沖縄県に戦後70年間も過重な基地負担を強いてきたことをきちんと認識してもらいたい。まして日本のために10万人も県民が地上戦で亡くなって、そういうふうに日本国に尽くして日本国を思っている人々に対し、辺野古新基地建設を強行し、過重な基地負担を延長し続けるということが、どういう意味を持つのか、日本国の品格、処し方を含めて考えていただきたいと思っております。
いわゆるアジアのリーダー、世界のリーダー、国連でももっとしっかりした地位を占めたいという日本が、自国民の人権、平等、民主主義、そういったものも守ることができなくて、世界のそういったものと共有の価値観を持ってこれからリーダーになれるかどうかという点について、国民全体で考えるきっかけになればいいと思っております。
国民と県民の皆さん方に知っていただきたいことは、政府は、普天間基地の危険性除去のため辺野古移設の必要性を強調する一方で、5年以内の運用停止を含めた実際の危険性の除去をどのように進めるかについては、驚くほど寡黙なことです。
辺野古新基地建設には、政府の計画通り進んだとしても10年間かかります。しかし、埋め立て面積が161ヘクタールと広大であること、埋立区域の地形が複雑で最大水深も40メートルを超えること、沖縄が台風常襲地帯であること等を考慮すれば、新基地が実際に供用されるまで、十数年から場合によっては20年以上の歳月が必要となることは、沖縄県民なら容易に推測できます。
私からは、普天間基地の危険性を除去するため、集中協議で再三再四、5年以内の運用停止の具体的な取組みを求めましたが、安倍総理大臣や菅官房長官などからは、何ら返答をいただくことは出来ませんでした。
運用停止について一切の言及がなかったことは逆に、政府にとって不都合な真実を浮かび上がらせることになったのではないかと考えています。
つまり、辺野古新基地が供用開始されるまでの間は、例え何年何十年かかろうとも、現在の普天間基地の危険性を放置し、固定化し続けるというのが、政府の隠された方針ではないか、と言うことです。
辺野古埋立てにより全てがうまくいく、という政府の説明を真に受けてはいけません。5年以内の運用停止の起点からまもなく2年になるのに、なぜ、全く動かないのか、政府から決して説明されることのない、真の狙いについて、国民、県民の皆様にも、真剣に考えていただきたいと思います。
そして、普天間飛行場代替施設が辺野古に仮にできるようなことがありましたら、耐用年数200年間とも言われる新基地が、国有地として、私たちの手を及ばないところで、縦横無尽に161ヘクタールを中心としたキャンプ・シュワブの基地が永久的に沖縄に出てくることになり、沖縄県民の意志とは関係なくそこに大きな基地ができあがってきて、それが自由自在に使われるようになります。
今、中国の脅威が取りざたされておりますけれども、その意味からすると200年間、そういった脅威は取り除かれない、というような認識でいるのかどうか。そして今日までの70年間の基地の置かれ方というものについてどのように反省をしているのか。日本国民全体で考えることができなかったことについて、どのように考えているのかを問いたいのです。
私は、世界の人々に対しても、ワシントンD.C.や国連の人権委員会で沖縄の状況について説明させていただきました。
安倍総理大臣は、国際会議の場等で、自由と平等と人権と民主主義の価値観を共有する国と連帯して世界を平和に導きたい、というようなことを繰り返し主張されておられます。しかしながら、私は、今の日本は、国民にさえ自由、平等、人権、あるいは民主主義というようなものが保障されていないのではないか、そのような日本がなぜ他の国々とそれを共有できるのか、常々疑問に思っておりました。そこで、沖縄の状況を世界に発するべきだと考えたのです。
民主主義国・日本、民主主義国・アメリカとして本当にこの状況に、世界の人々の理解を得られるのかどうか、沖縄の状況のあるがままを世界の人々に見ていただくということは、これからの日本の政治の在り方を問うという意味でも大切なことだと思っています。
(3)アメリカに対して
私たちがアメリカに要請に行くと「基地問題は日本の国内問題だから、自分たちは知らない」と、必ずそうおっしゃいます。
しかし、自然環境保全の観点から、また、日米安保の安定運用や日米同盟の維持を図る観点から、アメリカは立派な当事者なのです。傍観者を装う態度は、もはや許されません。
まず、新基地が建設される辺野古の海は、ジュゴンが回遊し、ウミガメが産卵し、短期間の調査で新種の生物が多数発見される、日本国内でも希有(けう)な、生物多様性に富む豊かな海です。海は一度埋め立ててしまったなら、豊かな自然は永久に失われます。未発見の生物を含め、辺野古大浦湾にしか生息しない多くの生物が絶滅を免れません。深刻な自然環境の破壊と多くの生物を絶滅に追いやるのが日米両政府であり、海兵隊であることを、アメリカの人々はきちんと認識し、受け止めなければなりません。海兵隊基地を建設する以上、自然環境破壊の責任は、アメリカにもあるのです。
次に、日米同盟の維持についてですが、アメリカに対し、私自身が安保体制というものは十二分に理解をしていること、しかしながら、沖縄県民の圧倒的な民意に反して辺野古に新基地を建設することはまずできないということを訴えていきたいと思います。仮に日本政府が権力と予算にものを言わせ、辺野古新基地建設を強行した場合、沖縄県内の反発がかつてないほど高まり、結果的に米軍の運用に重大な支障を招く事態が生じるであろうことは、想像に難くありません。
私は安保体制を十二分に理解をしているからこそ、そういう理不尽なことをして日米安保体制を壊してはならないと考えております。日米安保を品格のある、誇りあるものにつくり上げ、そしてアジアの中で尊敬される日本、アメリカにならなければ、アジア・太平洋地域の安定と発展のため主導的な役割を果たすことはできないと考えております。以上