雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月24日(金)夜 たんぽぽ保育園へ佐治さんの紙芝居を聞きに行きました

2012年08月25日 05時41分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月24日(金)夜 たんぽぽ保育園へ佐治さんの紙芝居を聞きに行きました

 則子さんが「たんぽぽ保育園に、佐治さんが来るの。聞きに行く?」と言うので「もちろん!いきます」と答えて、夕食を早めに作って、父はまだ寝ていて起きてこないので、2人だけで食べて、午後5時半頃、車で家を出ました。

 佐治さんは、いま24才の若い女性で、西伊豆町のお寺の住職さん(家を継いだのです)です。小学生の時に、広島で白血病で亡くなった少女さだこさんの物語を読んで、12才でさだこさんと折り鶴の紙芝居を書いたのが、始まりだそうです。

 則子さんは、2010年にアメリカ・国連本部で開かれた「核不拡散条約再検討会議」に、日本原水協代表団の一員として浜松市原水協代表として参加、そのときに、佐治さんといっしょに旅をしました。

 今日は会場に、原水協のパネルや、則子さんが管理している千羽鶴を飾るために、早めに行ったので、佐治さんがたんぽぽに到着したときに迎えることが出来ました。

 佐治さんは、則子さんのことを覚えていてくれて「あ!雨宮さん」と。則子さんは感激してました。

  ☆

 たんぽぽ「平和のつどい」は、則子さんが園長だったころにもやっていたので、それからずっとやっているのでしょうか?やっぱりたんぽぽだなあと感激しました。子どもたちの声のうるささも、やはり昔からのたんぽぽの伝統ですね。でも、うるさいのは、うるさいよ。

 司会の、お母さんの声が聞こえませんでした。

  ☆

 則子さんや、被爆者の会の大和さんは今までに聞いたことがあるのですが、ぼくは初めての、佐治さんの紙芝居でした。とってもよかったです。

 そして、たんぽぽの子どもたちと母親と先生の歌もよかったです。デジカメの動画で、佐治さんの紙芝居の一部と、合唱のほぼ全体を撮影したので、たんぽぽに寄贈しようと思います。

 ☆

 則子さんと、いろいろ、話しました。則子さんの感激や、行動派の則子さんにしては珍しい冷徹な分析、則子さんの秘書・参謀としては「うん、ぼくの司令官、則子さん、前進してるな」ということで、嬉しいです。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。