雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮智彦哲学経済学メモリー 26 20200326 資本論の学習 6 使用価値と労働の有用性を抽象すると

2020年03月26日 21時05分13秒 | 過去現在のメモノート
雨宮智彦哲学経済学メモリー 26 20200326 資本論の学習 6 使用価値と労働の有用性を抽象すると


資本論の学習 6 使用価値と労働の有用性を抽象すると 
2010年03月25日 04時22分13秒 | 人間・生命・宇宙

 前々回の「資本論の学習4」で以下の文章を引用しました。

 「そこで、諸商品の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、1つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。」(新日本新書①p64、原書p52)

 その続きの学習です。

 マルクスさんは、こう言います。
 「それはもはや、テーブル、家、糸、あるいはその他の有用物ではない。その感性的形状はすべて消し去られている。」

 そして、労働による生産物の具体的形状が消し去られたということは、その元の「労働の有用的性格も消え失せ」る、と。

 マルクスさんは、このような「労働のさまざまな具体的形態も消え失せ、これらの労働は、もはやお互いに区別がなくなり、すべてことごとく、同じ人間的労働」に「還元され」と分析し、このような労働をここで「抽象的人間労働」と定義しています。

 この問題は、次の節「第1章第2節 商品に表わされる労働の二重性」で詳しく分析されるので、ここではこれまでにしておきます。

 ただ1点だけ、次のパラグラフを考えます。
 「そこでこれらの労働生産物に残っているものを考察しよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性以外のなにものでもなく、区別のない人間的労働の、すなわちその支出の形態【雨宮注 労働の具体的形態のこと】にはかかわりのない人間的労働力の支出の、単なる凝固体以外のなにものでもない。」(新日本新書①p65、原書p52)

 問題は「まぼろしのような対象性」という用語です。
 「対象性」は、文章で明らかなように「凝固体」と同じ意味だと同じだと思います。
 
 つまり、具体的有用労働は、使用価値という、目に見える「まぼろしのよう」ではない対象性に「凝固」するのですが、具体性を抽象した抽象的人間労働は、その使用価値の中の価値という「まぼろしのような対象性」「凝固体」になるのだと思います。

 図式としては,以下のようになります。
 
 ① 具体的有用労働 → 凝固 → 目に見える使用価値
 ② 抽象的人間労働 → 凝固 → まぼろしのような対象性

 こういうことかな?」


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