本と映像の森(第3) 12 川西政明『小説の終焉』岩波新書、2004年 20201213
岩波書店、214ページ、定価本体700円。
タイトルが禍々(まがまが)しいので、ボクは「何を言ってるんだ」と打ち捨てて数年間も読まなかった。
その後、著者が大部の『昭和文学史(上・中・下)』講談社の著者であることを知って文学の専門家であることを知って、専門家の本なら立場はどううあっても、読む価値はあるだろうと読み出した。
川西政明さんは二葉亭四迷さんの『浮雲』(1887年~1891年)から敗戦の日までの60年を前半、敗戦から現在(2005年)まで60年を後半として120年を1周樹ととらえる。
「小説はつねに歴史とともに歩いてきた。・・・・・・これまでの歴史の上に立つ小説はもう書いてはいけない。」(はじめに、pⅳ)
そういう立場で、著者は一つひとつの「終焉」を叙述する。
目次は以下のとおり。
Ⅰ
私の終焉
家の終焉
性の終焉
神の終焉
Ⅱ
志賀直哉の終焉
川端康成の終焉
太宰治の終焉
大江健三郎の終焉
村上春樹の終焉
Ⅲ
戦争の終焉
革命の終焉
原爆の終焉
存在の終焉
歴史の終焉
以上です。こういうふうに書くと、まだ終焉してないものがある。早く終焉しろよ。
新しい小説のサイクル、新しい歴史のサイクルが始まることをボクも望む。
著者は言う「その非滅亡のかぼそい一線を発見してもらいたい。その非滅亡のかぼそい一線を見つけるために本書が役に立てば幸せである。」(「おわりに」、p213)
この本は役に立ったけど、そためにはまだ足りないとボクは思う。
岩波書店、214ページ、定価本体700円。
タイトルが禍々(まがまが)しいので、ボクは「何を言ってるんだ」と打ち捨てて数年間も読まなかった。
その後、著者が大部の『昭和文学史(上・中・下)』講談社の著者であることを知って文学の専門家であることを知って、専門家の本なら立場はどううあっても、読む価値はあるだろうと読み出した。
川西政明さんは二葉亭四迷さんの『浮雲』(1887年~1891年)から敗戦の日までの60年を前半、敗戦から現在(2005年)まで60年を後半として120年を1周樹ととらえる。
「小説はつねに歴史とともに歩いてきた。・・・・・・これまでの歴史の上に立つ小説はもう書いてはいけない。」(はじめに、pⅳ)
そういう立場で、著者は一つひとつの「終焉」を叙述する。
目次は以下のとおり。
Ⅰ
私の終焉
家の終焉
性の終焉
神の終焉
Ⅱ
志賀直哉の終焉
川端康成の終焉
太宰治の終焉
大江健三郎の終焉
村上春樹の終焉
Ⅲ
戦争の終焉
革命の終焉
原爆の終焉
存在の終焉
歴史の終焉
以上です。こういうふうに書くと、まだ終焉してないものがある。早く終焉しろよ。
新しい小説のサイクル、新しい歴史のサイクルが始まることをボクも望む。
著者は言う「その非滅亡のかぼそい一線を発見してもらいたい。その非滅亡のかぼそい一線を見つけるために本書が役に立てば幸せである。」(「おわりに」、p213)
この本は役に立ったけど、そためにはまだ足りないとボクは思う。