雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮智彦哲学経済学メモリー 27 20200328 資本論の学習 7 「共通な社会的実体の結晶として」の「価値」 20100325

2020年03月28日 19時46分01秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 27 20200328 資本論の学習 7 「共通な社会的実体の結晶として」の「価値」 20100325


「資本論の学習 7 「共通な社会的実体の結晶として」の「価値」
2010年03月25日 04時46分18秒 | 人間・生命・宇宙

 1ページを何回も「学習」する、カタツムリのような遅い歩みですみません。

 カタツムリで思い出して,脱線しますが、最近、デンデンムシムシカタツムリを見なくなっていませんか?これは、大気汚染による酸性雨の影響で、カルシウムの殻をもつカタツムリが減っているのではないかという記事を数年前に見ました。
 ほんとうにそうかもしれません。

 子どもたちが「でんでんむし、むし、かたつむり、おまえの頭はどこにある」という歌を知らないなら、さびしい日本列島だなと思います。

 前回、引用した原文です。
 「そこでこれらの労働生産物に残っているものを考察しよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性以外のなにものでもなく、区別のない人間的労働の、すなわちその支出の形態【雨宮注 労働の具体的形態のこと】にはかかわりのない人間的労働力の支出の、単なる凝固体以外のなにものでもない。」(新日本新書①p65、原書p52)

 この続きで、マルクスさんは、こう書いています。

 「これらの物が表わしているのは、もはやただ、それらの生産に人間的労働力が支出されており、人間的労働が堆積(たいせき)されているということだけである。それらに共通な、この社会的実体の結晶として、これらの物は、価値ー商品価値である。」

 第1点は、注意深く読むと、新日本新書版は「もの」と「物」を訳し分けています。このことは「表わす」と「現わす」も同じだと思います。

 第2点は、マルクスさんは、価値とは、抽象的人間労働の直接の結晶であるとはしていないことです。

 抽象的人間労働の「それらに共通な、この社会的実体の結晶として、これらの物は、価値ー商品価値である。」

 このことの意味は、また後で述べたいと思いますが、マルクスさんは、そう言っているということを確認して、この項目を終えます。」


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